WETな備忘録

できなかったときの自分を忘れないように

たとえ余命1年でも、火星にリンゴの木を植える

連休の初日、土曜日の朝、僕は肉離れをした。とても痛い。まともな肉離れは、瞬間「バチッ」とか「バキッ」っていう音がするんですよ。

珈琲屋にて

「やりたいことがないのかもしれないっすね」と、その後輩は言った。常々僕は、「やりたいことをやればよい」とか「君のやりたいことは何なの?」とかはなるべく言わないように心がけている。なぜなら、僕たちはみんな、やりたいことなんてそもそも無い。

それでも、何か大きな決断をするとき、どうしても「自分のやりたいこと」を問い直す必要があることがある。直近で、かつみんな経験してそうなのが、就活だったりするわけだけれど。「自分のやりたいこと」をどう探せばいいのだろうか、というのは僕もずっと考えているものの、決定的な答えは未だに無い。

もし、2000億円あったら

「2000億円あったら、どうします?」と、先輩に聞いてみた。土曜の昼、すごい久しぶりに会う面子で、冒頭の後輩も一緒に、僕たちは珈琲を飲んでいた。「とりあえず会社は辞めるやろなぁ」という回答が返ってきた。まっとうな答えだ。「2000億円あったら会社を辞める」というのは至極まっとうではあるものの「仕事は生計を立てるための手段でしかない」という証左でもある。たぶん、先輩にしても、きっと2000億円もらっても明日会社を辞めるということはないだろうし、きっと、しばらくは自分の意志で、会社を辞めないと思う。なぜなら、仕事とは生計を立てるための手段だけではなく、他者との関係性や、社会的尊厳、承認などを得るための手段という側面も持ち合わせているからだ。

僕たちが思う以上に「働く」ということは、僕たちにとって多面的な活動なのだ。

働き、金を得ることは、それは少なくとも自分が誰かの役に立っている証であり、自分は生きててもよいという許しでもある。

明日、2000億円手にしても、きっと僕たちは「(広義の)働くこと」はやめられないだろう。

もし、余命1年だったら

「じゃあさ、明日『あなたは余命1年です』って宣告されたら、どうする?」と、冒頭の後輩に聞いてみた。彼は童顔なのにもかかわらず、似合わないタバコを吸っていた。「まあ会社は辞めますね、明日辞めます」と彼は答えた。「辞めてどうするの?それがお前のやりたいことなのでは?」と僕は返した。「でも1年なんですよね?1年でできることって言ったら、たいしたこと出来ないっすよね」と言われた。なるほど、たしかにそうだ。

「僕たちはなぜ働くか」を考えるにあたって大いに便利なのがマズローの欲求段階説ではあるんだけど、イマイチ、他人に説明するときに良い日本語が思いつかない。自己実現欲求ってなんじゃらほい、ってなる。最近僕はこれを「どう死ぬか」と説明するのがマイブームだ。「自己実現」とは、「どういう死を迎えるか」「人生を小説に例えたとき、どんな『終章』を書くか」という感覚に近いんじゃないかな、と思っている。

「もし、余命1年と宣告されたら」という質問は、あなたを強制的に『終章』の書き始めへ移動させる。そうしてはじめて、僕たちは自分の物語にたいしてページが残されていないことに気づく。

そして、自分の物語の終章に、他人の物語を書きたいひとは、あまりいない。だから会社を辞めるのだろう。

しかしながら、僕は本当に、終章の最後に全ての伏線が回収され、全ての結末が出ている物語を求めているのだろうか?たしかに「1年ではたいしたことはできない」というのは正しいが、じゃあ2年だったらどうか、3年だったらどうなのか、5年、10年だったらどうだろうか?

自分に残された時間がn年であることと、今自分の物語を書き始めないこととは、実は関係が無い。30年かからないと大成しない目標の、その1年目を、今日、書き始めればいいだけのことではないだろうか、そして、運良く生きていれば、その続きを書けばいいのではないだろうか。

さらに大事なことは、その「30年かからないと大成しない目標」というのは、登場人物は僕だけではないだろうということだ。1人では成し遂げられないのであれば、誰かと一緒に生きた『終章』の1年目を、今日、書きはじめればいいと思った。

一緒に成し遂げたい目標が共有できる仲間がいれば、明日、余命1年と宣告されても、きっと僕は「(広義の)働くこと」はやめられないだろう。

(余談だが、僕が今働いてる会社は、とても良い会社で、たぶん余命1年だっても出勤するわ。なお、エンジニア募集中です)

2000億円・オア・ダイ

つい数日前にも書いたけど僕にとって今年1年は、とても「死に恵まれた」1年だったと思う。「死を思うこと」は「よく生きること」のために絶対必要なものなんじゃないか、と、やっぱり死んでいく人が遺していったものを見たり読んだり聞いたりして強く感じる。「必ず死ぬ」と書いて「必死」なんだから、必死に生きるのが本来普通なのかもしれないっすね。

「よくよく考えてみれば...」先輩が言った。

「明日、2000億円手に入れる確率よりも、明日、余命1年宣告される確率の方が、ぶっちゃけリアルに高いやんな」

これには、僕は笑ってしまった。その通りだ。おっしゃる通りで笑った。可笑しくて、みんな笑うよりほかなかった。

久しぶりに集まったギリギリ20代の談話会は、昼過ぎに終わった。後輩とカレーを食って帰った。

帰り道、電車の中でまた思い出したが、そのときは笑えなかった。

肉離れはズキズキと痛かった。

WETな備忘録として

「困っていること」の共有数を評価すればプロジェクトの炎上はなくなるのではないだろうか

こういうの見た

プロジェクトの炎上とは

// あとで書く

なぜプロジェクトは炎上するのか

// あとで書く

炎上要因はなぜなくせないのか

// あとで書く

無能を晒すこと

// あとで書く

// NOT 困っていたこと

// BUT 困っていること

まとめ

// あとで書く

2015夏の終わり、LiSAは僕を「ずっと覚えている」と言った

 愛すべき後輩が死んだ*1のはまだ寒さの残る3月のことだった。特別仲良くはなかった彼の死は、僕にとっては非常にショッキングな出来事で、死というものを、決してセンチメンタルな方法ではなく、いたって無機質にそして深く考え始めるきっかけとなった。

 彼の死からいく日か経って、実家に帰ることがあった。実家と言っても、一人暮らししているアパートから自転車でも30分ほどの距離で、いつものようにスーパーで半額の刺身を買って、実家で父と酒を飲んだ。僕の親父はもう70に差し掛かろうとしている立派に初老は過ぎた男性だが、体は丈夫で、僕に似て酒が好きだ、僕が似たんだけど。親父と酒を飲みながら、そういえば、高校のアメフト部の後輩が、この前死んで、まあ病気だったらしいんだけど、死ぬまで僕は知らなくてさ、などと彼の話題になった。「アイツとは高校以来ほとんど会ったことが無かったから、僕はアイツが高校生のときのイメージしかなくて、元気で調子者だったわけよ」と酔いながら語る僕を、親父もまた飲みながら聞いていた、「そういう奴がいきなり死んだっていうのは、ショックだったわけよ」と言ってから、僕は半額の刺身に箸を伸ばした。

「そういえば」

その老人は、口を開いた。

「本田さん*2、俺の幼馴染の、床屋やってる」
「ああ、あのおばちゃんね、この前髪切りに行ったよ」

親父の幼馴染(つまり親父とは60年近い付き合い)のおばちゃんが、僕のアパートから近くのところで床屋やっているというので、僕はほんの数ヶ月前に髪を切ってもらいに行ったのだった。

「親父の恥ずかしい昔話をたくさん聞かせてもらったw」
「あいつな、先月な、死んだんだ、朝起きたら死んでたらしい、旦那さんが起きて気づいたら」

 その床屋は昔でこそ繁盛していたらしいが、昨今は常連客の相手をするだけの店だったらしく、僕のような得体の知れない男が予約も無しにいきなり入ってきて、いくらか怪訝な顔をされた。「◯◯(親父の名前)の息子でして、そう、2番目のほうですw」と言ったら「やだー◯◯ちゃんのーそういえば似てるわねー」と元気良く、そして凄くうれしそうに、ほんとうに凄く凄くうれしそうに、僕の髪を切りながら、色々な話を語ってくれた。人のいい、明るいおばちゃんであった。

 どうやら、彼女が死んだのは、僕が髪を切ってもらってから1週間後だったらしい。

 言葉に詰まったのは僕の方だった。あんなにも明るく元気だった人が、そんなにも突然に、思い出や歴史や、苦労や喜びの経験や、数十年来の友人を、すべて置き去りにして、ちょっとしたありがとうも、最後のありがとうも、何も伝えられない物になってしまうのである。

 流れてく時は容赦なく、いつか僕らをさらっていくのだ。さらっていくと言うのが正しい。

 僕は言葉に詰まっていたが、目の前の老人は、決して言葉に詰まっているという風ではなく、さらわれていった物を懐かしむような、しかしどこか覚悟したような、というか諦めたような、そんな佇まいで、ビールを大きくひと口飲み込んだ。

 あの明るい親父の幼馴染が死に、順番で言うと、次に死ぬのはこの老人である。しかしあの後輩は僕に挨拶もせず死んだ。



 多くのひとが言うように、死に例外は無い。しかし多くのひとが、忘れていることがひとつある。




 さて、今年のアニサマの1日目、やはりトリはLiSAだった。「今日を、絶対忘れない一日にしよう」とLiSAは言った。シルシのイントロが流れたとき、僕は本当にうれしかった。SAO3期そのものもよかったし、僕はこの曲が好きだ。全力で両手の光る棒を振っていたので、曲が終わるまでの間、暗い会場で誰にも知られずに目から流れ落ちる汗を拭くことはできなかった。歌い終わって彼女は「この光景は今日しかないし、今日のこの光景をずっと覚えている」と言った。

 多くのひとが言うように、死に例外は無い。しかし多くのひとが、忘れていることがひとつある。

 それは「死には順番が無い」ということだ。

 僕の親父が自分の幼馴染の死を受けて自分自身の死を意識している間に、僕の後輩が死んだ。僕の親父が1年以内に朝起きたら死んでいた可能性と、僕が余命半年かもしれない可能性は、そこまで違わないのではないだろうか。

 死には順番がなく、容赦なく、僕たちをさらっていく。ありがとうと伝えようと思っていた明日さえ、容赦なく突然に取り上げる。

 だからこそ、僕は、明日死にゆく目の前の人に、ためらいなく、「ありがとう」を伝えなくちゃいけないし、

 同じくらい、僕は、明日死にゆく人間だから、ためらいなく、僕が生きたしるしを、覚えていたい。

今日を越えていけなくても
キミと生きた今日をボクは忘れない




雑感

 そろそろ30歳になる。立派な大人だ。自分の人生とはなにか、自分は何者になれて何者になれないのか、そこそこの答えを出すべきなのを、改めて感じている。やっぱり日頃感じるのは、はたらきはじめてしまうと「自分の人生はこれでいいのか」と自分を問うことが明らかに減り、「自分の人生はこれでよかったのだ」と自分を納得させる時間が明らかに増える*3。明日死ぬ、というか明日死ぬっていうのぜんぜん実感湧かないんだけど「明日、余命1年を宣告される」だとわりと実感湧くのでおすすめです、いつ死ぬかわからない我々なのに、人の人生を生きるのは極めて滑稽じゃないですか。僕の人生は今にでも終わる。そう思って、僕は僕自身の残り少ない人生を生きることにしました。

大人の夏の宿題*4、もとい、WETな備忘録として

雑感その2

以上が僕の2015夏の報告になります。

会話における「言葉」の役割について

以降の展開をちゃんと考察すべきであるというのが僕の備忘録です。自戒

追記

なぜ僕たちの1年はこんなにも早く過ぎるのか

幼い頃から多くの大人に「歳を取ると1年があっという間に過ぎるんだ」ということを聞かされていた。「んなことあるかい」と幼い僕は思っていた。ということを思い出しながらさっきカレンダーを見た。2015年4月だ。2015年4月か。

_人人人人人人人_
> 突然の2015年 <
 ̄^Y^Y^Y^Y^Y^Y^ ̄

ここまでのあらすじ

「なぜ1年は早く過ぎるか」ということについて、かつて以下のような仮説をたてた。

  1. 「何をするか」を計画していないから早く感じるのだ
  2. 「何をしたか」を記録していないから早く感じるのだ
  3. 「何かした実感」を得られていないから早く感じるのだ

そして、これに基づいて「1年が早かった」と言わないように行動し検証した。で、今になって考察するに、そのどれもどうやら正しくなさそうだと感じる。2014年は、1年間でやることを計画して、それをやった。日記をたくさん書き、公にできるものはブログにした。何より、たくさんの「はじめての経験」をした。特に転職は大きな出来事だった。しかし、にも関わらず、2015年4月に振り返る2014年は(是非はさておき)早かったと言わざるを得ない。それはもう矢のようだった。

間違っていた立脚点

結論から言うと、上記の仮説はその立脚点が間違っている。

仮説をつくるための「切り口」の筋が悪い、とも言える。というのも、これらは全て1年という時間がどのように知覚され、どのような内容になるかという関心事に基づいて導出されている。具体的には、上記の仮説を導出するときに用いた枠組みは「時系列(was/is/will be)で対象を分割する」というごくごく初歩的なものだ。

いずれにしても、この切り口を使ったことによって「1年が」という主語に囚われてしまったと感じる。

長い1年を過ごしたのは “誰か”?

いったい誰が、長い1年を過ごせたのだろうか(是非はさておき)。

あの野球選手だろうか?あの科学者だろうか?あの政治家だろうか?

その人物を僕はすでに知っていて、それは、幼いときの僕だ。そしてたぶんあなただ。

前述の反省をもとに、あくまで主語を彼がに固定して今と何が違うか切り口を探してみると、意外と面白い仮説が導かれるような気がする。たとえば、身長体重は違うし、髪型も顔付きも違う。流行の歌は違うし、政治も違う。その中で最も今回の疑問に直結しそうなものを見つけたので、この備忘録を書いている。

それは「決められた終わりがあるか?」ということだ。

決められた終わり

1年が早くなかったときのことを思い出すと、今のところ、それはことごとく「学校に行っていたとき」のことだった、僕の場合。で、学校に行っていたときの僕と、今の僕の違いを考えてみたのだけれど、学校に行っていたときも責任あるタスクはあったし、つらいこともあった、楽しいことがあった年もなかった年もあった。特に大学の、それも卒業間近の年なんて、ほぼ働いてたようなものだったし、そう考えると「学校に行っていたときの僕」と「今の僕」の状況で本質的に異なる点なんてほとんど無いことに気づいた。しかし、1点だけ定性的に異なるものがあったのが、それが「決められた終わり」という概念だ。

思えば「1年が長かった幼いときの僕」には、常に「決められた終わり」があった。所属する組織も、肩書きも、服装も、一緒に遊ぶ友人との関係も、とりまく環境全てが、n年後に終わることが約束されていた。有り体に言えば、「卒業」である。

たのしいことも、つらいことも、人との関係も「あと◯日で終わる」ことが約束されていたがゆえに、だからこそ、たのしい思い出をたくさん作ろうとしたし、つらい失敗も繰り返すことができたし、誰かと一緒にいる時間を大切にしたのではなかろうか。一方、今の僕には「決められた終わり」が無い。少なくとも自覚していない。具体的な数字でもって「あとn年で "今" が終わる」という宣告はされていないわけで、だからこそ、毎日は蛇口を開いたように垂れ流され、つかの間の幸せは明日消える消耗品に見え、「乗り越えるべき山」は「歩き続けるイバラの道」に見えてしまうのではないだろうか。仮に「あとn年で"今"が終わる」と自覚していたら、つかの間の幸せも、つらい瞬間も、「特定の期間」に起きた「特定の出来事」として記憶され、結果としてその「特定の期間」に紐づく記憶は量(かさ)を増すのではないか、と思った。

決められた終わり、があるかないかで、その間に起きた出来事は、再現ができず取り返しがつかないユニークな記憶として、僕の中で生き続け、長い(長かった)時間として知覚されるのだ。という仮説。

この考えに至った直接のきっかけは、後輩の死だ。

彼が病に倒れてから死ぬまでの間、彼にとってその時間がどれだけ長かったかは知る由もないが、ひとつ確かに言えることは、その間も僕は彼の病のことを知らず、ツイッターで「死にたい」などとつぶやきながら毎日を過ごしていたということだ。彼の通夜には、平日にも関わらず600人はゆうに超える人々が駆けつけた。そこまで親密ではなかったが、「あいつの通夜には行かねばなるまい」という気持ちにさせる、とても人懐っこくて人望のある奴だった。

僕はいずれ死ぬ、ということを、彼の死は教えてくれた。そして同時に、僕は生きてなかった、ということも、教えてくれたように思う。

彼のその6ヶ月と僕のあの6ヶ月が、同じ180日間だったというのは、あまりにも残酷で、僕にとってショッキングな真実だった。

なぜ僕たちの1年はこんなにも早く過ぎるのか

もちろん、直接的に「決められた終わりが有るか無いか」が「1年が長い」という主観に直結すると言うのは安直すぎる。「決められた終わりが有る」を起因とした、何かしら観察可能な事実が起きるがゆえに「1年が長い」という主観が生まれるのだろうから、次に思考実験すべきは「決められた終わりが有る」と結局はどんな観察可能な事実(行動とか判断とか)が起きるのか、という部分。また、きっと人によっては(おそらく多くの健全な人たちにとっては)1年は年度なり四半期なりあるいはスプリントで明確に区切られ、意識せずとも「決められた終わり」を置いて生きているのかもしれない。そういう人はまた別の理屈でもって「1年は早く過ぎる」のだろう。

そんなことはさておき、僕にとっては、「決められた終わり」という着想はとても腑に落ちる「1年が早く過ぎる」理由だった。

僕はいずれ死ぬ。ただ、いつ死ぬかは知らない。

本当は、明日死ぬかもしれない。本当は、そうやって生きるべきなのかもしれない。でも、なんとなく、明日も明後日も、来週も再来週も、来年も10年後も、僕は生きていると信じきって生きていた。だからこそ、ささいな幸せを喜べなかったり、つらいことをなるべく避けたりした。

そうではなくて、"今" には終わりがあるからこそ、ささいな幸せは唯一無二の思い出であり、つらいことは明日の笑い話になるのだ。そういう生き方を、本当はするべきなんだろうと思う。


昔読んだ本の1シーンをなぜか思い出した。

吞み明かして空が薄明るくなった時、おせんがぽつんと云った。
「あたしにもそんな男がいたらいいなぁ」
「いるかもしれないよ」
「そうね。気づかないだけね。あたし、鈍だから」
一瞬だが、おせんの顔が倖せそうに耀いた。
死ぬことと見つけたり「局女郎」より)

愛すべき煙たい後輩、平尾に捧ぐ

WETな備忘録として

29になった

自分がこの歳まで生きているとは思わなかった。あのとき死んだ後輩の喪章は、今でも机に置いてある。必死に生きているようで、そうでもなかったかもと反省しているのが、私の近況です。

今までは、なんとなく生きていたように思う。正解を外さないように、間違いをしないように、正しい選択さえすれば安全地帯から望むものを狙撃できると信じて生きてきたように思う。それはある意味正しいのかもしれないけれど、長く生きると、都合よく狙撃台になる建物は無いし、危険からの遮蔽物の無い状況だってある。そういった状況に一度も出くわさないで生きていくのは、稀なことだと思う。

この前、スナイパーライフルを捨ててみた。そしたら何が起きたかというと、狙っている物が見えなくなった。当然かもしれない。だけど面白いのはそれじゃなくて、本当に自分がそれを望んでいたのか自信がなくなった。というか、きっと自分はそれを望んでいなかったようだ。そう思うと、捨てたはずのスナイパーライフルも、本当は最初から無かったことに気づいた。僕はもともと丸腰だった。

今、遮蔽物の無い場所を恐る恐る歩いている。とても怖い。自分がいかに闘っていなかったかがツケとなって降りかかってくる。その代わり、そこには棍棒が落ちていたり、布の服も落ちていたりする。横を見ると、同じように恐る恐る丸腰で歩いている人も沢山いることも知った。これらはみな、狙撃をしていた時には見えもしなかった世界だった。もうスナイパーライフルを持つことは無いだろう。でも、今は棍棒がある。

この先、僕にこの先というものがあるならば、もっと、冒険をしてみようと思っている。持っていると思っていたものは、じつは持ってなかったし、進むべきと思っていた道も、じつはそんなものは無かった。

そして、ぼく達があると思っている時間は、きっと無い。

30歳まであと50週だ。生きていればの話だが。









なんちゃって♥

f:id:otiai10:20131221182437j:plain

末筆ですが、例のリスト送ってくれた各位、ありがとうございます!

WETな備忘録として

(なお、佐倉綾音さんは21歳です)