WETな備忘録

できなかったときの自分を忘れないように

他人と自分を比べないこと

今にいたるまでずっと、他人と自分を比べて、そして自分が優れていたときの優越感と、自分が劣っていたときの劣等感を、そういう臆病な自尊心を、原動力に生きてきたように思う。

しかし今は、少しずつだが、他人と自分を比べない方法を見つけつつある気がする。

自分の原動力が自尊心であることに気づき始めたのは2年前の夏だったようだ。 まさにこの数日後、僕は当時所属していた会社から、今の会社に転職することになる。社員数は、1500人から、15人になり、エンジニアは5人に満たなかった。

win as a team, win as a result

プログラミングに触れてからまだ3年経っていなかった僕は、スタートアップのエンジニアである彼らの高い技術力についていくのに必死だったし、居場所を自覚するために業務にいち早く貢献したかった。

そういうとき、自分の評価を気にするあまり能力を偽って(強がって?)大きく見せることは、全くこれに寄与しないということに気づいた。まだ安定していない、軌道にも乗っていない組織において、「自分の評価が良いこと」なんてそもそも屁の役にも立たない。文字通り、本末転倒である。

わからないときは、1分1秒を惜しんで聞いた方が早いし、設計に悩んだときはさっさと相談したほうがいい。オペレーションでつまづいたのなら、そのつまづいた記録が無いとあとからのサポートがまごつく。自分が如何に「無能」と認識されようと、何より大事なのは、今つくっているソフトウェアがより早くより良く稼働することである。

「お前は有能だったが、プロジェクトは頓挫した」は、チームワークにおいて意味は無い。「お前は無能を晒したが、プロジェクトは成功した」でいいのだ。それでいいのだ。それがいいのだ。

劣っているなら劣っているなりに最大限貢献できる道を必死で探したのだった。 自分のできる限りのことを、できる限りする。たとえそれによって「自分の比較的無能」を晒そうが、チームが勝つことだけが、自分にとっての成功なのだから。

僕はマクドナルドが好きだ

そういうことを考え始めてからしばらくして、自分の評価ではなく、そこに生まれるものが、良いものであるようにとだけ切に願うとき、「無能を晒す」ということが有効に働く場面があることに気づいた。

ひとつは、場の発言のハードルを下げ、率直な意見交換を促す場面だ。

マクドナルド理論」というのは、「メンバーのアイデアを引き出すため、最悪のアイデアを真っ先に出す」というものである。人は多くの場合「最良の発言」をしようとしてしまい、結局何も言い出せなかったり、不本意に他人に同調してしまったりする。しかし、「若干ましな発言」は容易であり、実際のところそれがその人の「最良の発言」であることは少なくない。したがって、誰かが最初に「糞な発言」をすることは、無能の称号を得ることになるが、チームのアウトプットは最大になることが多い。

もうひとつは、有害な暗黙知を排除する場面だ。

すでに稼働しているコミュニティの、暗黙となっている「常識」にキャッチアップするのは、意外と骨の折れる仕事であり、無知を晒すのは自尊心を傷つける仕事でもある。そうして、公衆の面前ではしばしば「理解しているように」振る舞ってしまう。これが積み重なると、暗黙知の非共有による重大な事故につながりかねない。さらに都合が悪いのは、「知る者は、知らざる者が何を知らないかを、知りようがない」ということだ。したがって、必然的に「知らざる者」による自発的質問が必要になる。これを実現するためには、誰かが最初に「糞な質問」をしておくことで、無能の称号を得ることになるが、他の「知らざる者」の自尊心を守る結果につながることが稀にある。

もし僕がこれらの仮説を確からしいと信じていて、誰もそれをしないのであれば、その誰かは別に僕であっていい。それによって無能の称号を得ようと、そこに生まれるものがより良いものになるのでさえあれば、それは僕の信じた本望なのではないだろうか。

1人くらい、僕みたいのがいてもいい

というような考え方が僕にとってあったのと同様に、きっと人にはそれぞれ所属するコミュニティ、おそらくは会社なんだろうけど、に貢献するそれぞれの方法があるのだと思います。

自分のできる限りのことを、できる限りする。競わず、比べず、できる限りの全力を以って、自己研鑽をし、そうやって醸成された個性をこそ発揮すればいい。そういうような、千差万別の貢献があってこそ、チームは成果を出せるのであって、そこになにか単一評価軸があって優劣が決まるような話ではないんじゃないかな、と。

なのだから、自分と比べて優れている()ひとが視野に入ってしまって、今までであれば劣等感を感じる場合でも、なんというか、世界にはひとりくらい僕みたいなひとがいたほうがいいんだわ、と思えるようになった、気がする。

_人人人人人人人_
> 気がするだけな <
 ̄^ Y ^ Y ^ Y ^ Y ^  ̄

雑感

人との比較をしないようにするのは、とても難しいことで、今でもその呪縛から脱出しようと頑張っている。だけど、そのひとつのヒントが

「自分の評価ではなく、そこに生まれるものが良いものであるようにとだけ、切に願う」

という考え方なのではないかと思ってる。

そういう考え方ができるようになったのは、今の会社*1のおかげであるところが大きい。

深く深く感謝。

WETな備忘録として

*1:当時の会社

幸せについて最近考えたこと

地球上の人間が「幸せ」と言うとき、実は二通りしかなくて

  • 隣人よりも幸せである
  • 昨日よりも幸せになれる

じゃないかな、と思う。したがって多くのひとは「自分が幸せだ」とは思っておらず、もっと、隣人より、と望み続けている。

嫉妬

 最近地球上で起きている「戦い」は、基本的には「隣人より幸せになりたい」、あるいは「隣人より幸せではないことを知った」ことにより起きているんではないかなと思う。地球上で「隣人」と幸せの比べっこを可能にしたのは、よく言われるように、インターネットではないだろうか。インターネットのおかげで、世界は狭くなった。前世紀なら知りえなかった「隣人」が、パソコンの中でワンクリックで覗けるようになった。彼らが何を食べ、何に笑い、何に悲しむ生活をしているか、簡単に知れる。皮肉なことにインターネット(とそのメディアとしての自己顕示欲との相性のよさ)は、世界をオープンにしたが、フレンドリーにはできなかった。世界をオープンにした結果、人々はワンクリックで、妬みや嫉みを量産できるようになった。

 幸せとは「隣人より幸せ」を意味するのであれば、地球上に仮に「完璧な平等」が実現したとしても、それは「全員の幸せ」の実現にはなりえない。地球上の「幸せ」の総和を最大にするためには、常に地球上の誰かは「不幸せ」でなければならないのである。これは仮説ではあるけれど、でも、わりと洒落にならない真実のような気がしている。

枯渇

 しかし僕らは、隣人より幸せでなくても、幸せであると感じる瞬間があるんじゃないかとも思う。「もっと幸せになれる」と信じているときだ。隣人より不味い飯を食っても、毎日しんどくても、もっと幸せになれるという希望があるなら、頑張れて、頑張れるというのは汗を流すように「幸福感」のある瞬間ではなかろうか。個人的な性癖なのかも。

 宗教問題や、南北問題など、地球上に「完璧な平等」が実現されるのはまだまだずっと先の話だとは思う。だけど、もしそれが実現してしまったら、その日から僕らは何をして幸せを感じればいいんだろうか。隣人から財産を奪うしかないというのだろうか。地球文明が宗教問題も南北問題も乗り越えたとすれば、きっと地球の資源は開発・発明・管理されきっており、僕たち(まあ俺は死んでるだろうけど)は「もっと幸せになれる」という希望は持てないだろう。

 すくなくとも、地球上ではな。

希望

 地球上に「幸せを生む格差」が消滅し、「もっと幸せになれる目算」が無くなったとき、隣人を殺す以外の希望を、僕たちは後世に残さねばならない、と最近強く考える。きっとそういう世界が訪れるのは、僕が死んでからかなり経ってからのことだろうけれど、今始めないと間に合わないこともあるんではないか?穴の空いた船の水かきだけをし続けていては、全員沈むしかないんではないか?

来る日の地球上の人間が「幸せ」を考えるとき、実は二通りしかなくて

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自分の「幸せ」

生きる以上は僕も「幸せ」でありたい。そう思ったとき、僕自身も、何かに希望を持って、僕やその子孫が「もっと幸せになれる」世界を残したいなと思うようになった。そういうもののために生きて、道半ばであっても、1区間でもいい、バトンを受け取り、次に渡すような仕事をして死んでいければ、意外と本望なのではないかな、と。

意外と、そういうのが僕の幸せなのかもしれないな、と考えるようになりました。

(ぜひ合わせて読んでほしいやつ→地球葬送曲 〜人類はガイアの癌か〜 - WETな備忘録)

WETな備忘録として

【追悼】いのち短し、恋せよ乙女

なぜだかわからないが、その日は雨が降るなんてこれっぽっちも考えてなかったので、朝起きてえらく驚いた。強めの雨が静かに、あれはさめざめと、降っていたのだった。

その人の訃報を聞いたのは、昼過ぎだった。入院したとは聞いていたが、つい最近まで元気に仕事をしていたように思う。僕たちにとっては突然すぎる別れだ。

当然のようにまた「いつかは」の冗談を飛ばし、その「いつかは」がきっと成就するものだと僕たちはあたりまえに思っていた。

その「いつかは」の結末を僕たちに見せずに、彼女は逝った。多くの人を楽しませ、元気づけ、多くの人に愛された人の未来がこんなにも容赦無く取り上げられてしまう理不尽に、文字通り遣る瀬の無い思いがただただ溜まっていく。

死は誰にも平等に理不尽で、平等に唐突なのだと、改めて知った。だが、だとしても、これはあまりにもあまりにもつらい死だ。赤の他人の死がこんなにつらいとは思っていなかった。

何が「ありがとうございました」だ。「ありがとう」と言いたかったのはこっちの方だ。しかしそれはもう届かない。

夕方には雨はすっかり止んで、街は火曜日へ備えていた。世界はそのように進んでいく。

僕は、傘をさして帰ろう。


いのち短し 恋せよ乙女
あかき唇 あせぬ間に
熱き血潮の 冷えぬ間に
明日の月日は ないものを

たとえ余命1年でも、火星にリンゴの木を植える

連休の初日、土曜日の朝、僕は肉離れをした。とても痛い。まともな肉離れは、瞬間「バチッ」とか「バキッ」っていう音がするんですよ。

珈琲屋にて

「やりたいことがないのかもしれないっすね」と、その後輩は言った。常々僕は、「やりたいことをやればよい」とか「君のやりたいことは何なの?」とかはなるべく言わないように心がけている。なぜなら、僕たちはみんな、やりたいことなんてそもそも無い。

それでも、何か大きな決断をするとき、どうしても「自分のやりたいこと」を問い直す必要があることがある。直近で、かつみんな経験してそうなのが、就活だったりするわけだけれど。「自分のやりたいこと」をどう探せばいいのだろうか、というのは僕もずっと考えているものの、決定的な答えは未だに無い。

もし、2000億円あったら

「2000億円あったら、どうします?」と、先輩に聞いてみた。土曜の昼、すごい久しぶりに会う面子で、冒頭の後輩も一緒に、僕たちは珈琲を飲んでいた。「とりあえず会社は辞めるやろなぁ」という回答が返ってきた。まっとうな答えだ。「2000億円あったら会社を辞める」というのは至極まっとうではあるものの「仕事は生計を立てるための手段でしかない」という証左でもある。たぶん、先輩にしても、きっと2000億円もらっても明日会社を辞めるということはないだろうし、きっと、しばらくは自分の意志で、会社を辞めないと思う。なぜなら、仕事とは生計を立てるための手段だけではなく、他者との関係性や、社会的尊厳、承認などを得るための手段という側面も持ち合わせているからだ。

僕たちが思う以上に「働く」ということは、僕たちにとって多面的な活動なのだ。

働き、金を得ることは、それは少なくとも自分が誰かの役に立っている証であり、自分は生きててもよいという許しでもある。

明日、2000億円手にしても、きっと僕たちは「(広義の)働くこと」はやめられないだろう。

もし、余命1年だったら

「じゃあさ、明日『あなたは余命1年です』って宣告されたら、どうする?」と、冒頭の後輩に聞いてみた。彼は童顔なのにもかかわらず、似合わないタバコを吸っていた。「まあ会社は辞めますね、明日辞めます」と彼は答えた。「辞めてどうするの?それがお前のやりたいことなのでは?」と僕は返した。「でも1年なんですよね?1年でできることって言ったら、たいしたこと出来ないっすよね」と言われた。なるほど、たしかにそうだ。

「僕たちはなぜ働くか」を考えるにあたって大いに便利なのがマズローの欲求段階説ではあるんだけど、イマイチ、他人に説明するときに良い日本語が思いつかない。自己実現欲求ってなんじゃらほい、ってなる。最近僕はこれを「どう死ぬか」と説明するのがマイブームだ。「自己実現」とは、「どういう死を迎えるか」「人生を小説に例えたとき、どんな『終章』を書くか」という感覚に近いんじゃないかな、と思っている。

「もし、余命1年と宣告されたら」という質問は、あなたを強制的に『終章』の書き始めへ移動させる。そうしてはじめて、僕たちは自分の物語にたいしてページが残されていないことに気づく。

そして、自分の物語の終章に、他人の物語を書きたいひとは、あまりいない。だから会社を辞めるのだろう。

しかしながら、僕は本当に、終章の最後に全ての伏線が回収され、全ての結末が出ている物語を求めているのだろうか?たしかに「1年ではたいしたことはできない」というのは正しいが、じゃあ2年だったらどうか、3年だったらどうなのか、5年、10年だったらどうだろうか?

自分に残された時間がn年であることと、今自分の物語を書き始めないこととは、実は関係が無い。30年かからないと大成しない目標の、その1年目を、今日、書き始めればいいだけのことではないだろうか、そして、運良く生きていれば、その続きを書けばいいのではないだろうか。

さらに大事なことは、その「30年かからないと大成しない目標」というのは、登場人物は僕だけではないだろうということだ。1人では成し遂げられないのであれば、誰かと一緒に生きた『終章』の1年目を、今日、書きはじめればいいと思った。

一緒に成し遂げたい目標が共有できる仲間がいれば、明日、余命1年と宣告されても、きっと僕は「(広義の)働くこと」はやめられないだろう。

(余談だが、僕が今働いてる会社は、とても良い会社で、たぶん余命1年だっても出勤するわ。なお、エンジニア募集中です)

2000億円・オア・ダイ

つい数日前にも書いたけど僕にとって今年1年は、とても「死に恵まれた」1年だったと思う。「死を思うこと」は「よく生きること」のために絶対必要なものなんじゃないか、と、やっぱり死んでいく人が遺していったものを見たり読んだり聞いたりして強く感じる。「必ず死ぬ」と書いて「必死」なんだから、必死に生きるのが本来普通なのかもしれないっすね。

「よくよく考えてみれば...」先輩が言った。

「明日、2000億円手に入れる確率よりも、明日、余命1年宣告される確率の方が、ぶっちゃけリアルに高いやんな」

これには、僕は笑ってしまった。その通りだ。おっしゃる通りで笑った。可笑しくて、みんな笑うよりほかなかった。

久しぶりに集まったギリギリ20代の談話会は、昼過ぎに終わった。後輩とカレーを食って帰った。

帰り道、電車の中でまた思い出したが、そのときは笑えなかった。

肉離れはズキズキと痛かった。

WETな備忘録として

「困っていること」の共有数を評価すればプロジェクトの炎上はなくなるのではないだろうか

こういうの見た

プロジェクトの炎上とは

// あとで書く

なぜプロジェクトは炎上するのか

// あとで書く

炎上要因はなぜなくせないのか

// あとで書く

無能を晒すこと

// あとで書く

// NOT 困っていたこと

// BUT 困っていること

まとめ

// あとで書く

2015夏の終わり、LiSAは僕を「ずっと覚えている」と言った

 愛すべき後輩が死んだ*1のはまだ寒さの残る3月のことだった。特別仲良くはなかった彼の死は、僕にとっては非常にショッキングな出来事で、死というものを、決してセンチメンタルな方法ではなく、いたって無機質にそして深く考え始めるきっかけとなった。

 彼の死からいく日か経って、実家に帰ることがあった。実家と言っても、一人暮らししているアパートから自転車でも30分ほどの距離で、いつものようにスーパーで半額の刺身を買って、実家で父と酒を飲んだ。僕の親父はもう70に差し掛かろうとしている立派に初老は過ぎた男性だが、体は丈夫で、僕に似て酒が好きだ、僕が似たんだけど。親父と酒を飲みながら、そういえば、高校のアメフト部の後輩が、この前死んで、まあ病気だったらしいんだけど、死ぬまで僕は知らなくてさ、などと彼の話題になった。「アイツとは高校以来ほとんど会ったことが無かったから、僕はアイツが高校生のときのイメージしかなくて、元気で調子者だったわけよ」と酔いながら語る僕を、親父もまた飲みながら聞いていた、「そういう奴がいきなり死んだっていうのは、ショックだったわけよ」と言ってから、僕は半額の刺身に箸を伸ばした。

「そういえば」

その老人は、口を開いた。

「本田さん*2、俺の幼馴染の、床屋やってる」
「ああ、あのおばちゃんね、この前髪切りに行ったよ」

親父の幼馴染(つまり親父とは60年近い付き合い)のおばちゃんが、僕のアパートから近くのところで床屋やっているというので、僕はほんの数ヶ月前に髪を切ってもらいに行ったのだった。

「親父の恥ずかしい昔話をたくさん聞かせてもらったw」
「あいつな、先月な、死んだんだ、朝起きたら死んでたらしい、旦那さんが起きて気づいたら」

 その床屋は昔でこそ繁盛していたらしいが、昨今は常連客の相手をするだけの店だったらしく、僕のような得体の知れない男が予約も無しにいきなり入ってきて、いくらか怪訝な顔をされた。「◯◯(親父の名前)の息子でして、そう、2番目のほうですw」と言ったら「やだー◯◯ちゃんのーそういえば似てるわねー」と元気良く、そして凄くうれしそうに、ほんとうに凄く凄くうれしそうに、僕の髪を切りながら、色々な話を語ってくれた。人のいい、明るいおばちゃんであった。

 どうやら、彼女が死んだのは、僕が髪を切ってもらってから1週間後だったらしい。

 言葉に詰まったのは僕の方だった。あんなにも明るく元気だった人が、そんなにも突然に、思い出や歴史や、苦労や喜びの経験や、数十年来の友人を、すべて置き去りにして、ちょっとしたありがとうも、最後のありがとうも、何も伝えられない物になってしまうのである。

 流れてく時は容赦なく、いつか僕らをさらっていくのだ。さらっていくと言うのが正しい。

 僕は言葉に詰まっていたが、目の前の老人は、決して言葉に詰まっているという風ではなく、さらわれていった物を懐かしむような、しかしどこか覚悟したような、というか諦めたような、そんな佇まいで、ビールを大きくひと口飲み込んだ。

 あの明るい親父の幼馴染が死に、順番で言うと、次に死ぬのはこの老人である。しかしあの後輩は僕に挨拶もせず死んだ。



 多くのひとが言うように、死に例外は無い。しかし多くのひとが、忘れていることがひとつある。




 さて、今年のアニサマの1日目、やはりトリはLiSAだった。「今日を、絶対忘れない一日にしよう」とLiSAは言った。シルシのイントロが流れたとき、僕は本当にうれしかった。SAO3期そのものもよかったし、僕はこの曲が好きだ。全力で両手の光る棒を振っていたので、曲が終わるまでの間、暗い会場で誰にも知られずに目から流れ落ちる汗を拭くことはできなかった。歌い終わって彼女は「この光景は今日しかないし、今日のこの光景をずっと覚えている」と言った。

 多くのひとが言うように、死に例外は無い。しかし多くのひとが、忘れていることがひとつある。

 それは「死には順番が無い」ということだ。

 僕の親父が自分の幼馴染の死を受けて自分自身の死を意識している間に、僕の後輩が死んだ。僕の親父が1年以内に朝起きたら死んでいた可能性と、僕が余命半年かもしれない可能性は、そこまで違わないのではないだろうか。

 死には順番がなく、容赦なく、僕たちをさらっていく。ありがとうと伝えようと思っていた明日さえ、容赦なく突然に取り上げる。

 だからこそ、僕は、明日死にゆく目の前の人に、ためらいなく、「ありがとう」を伝えなくちゃいけないし、

 同じくらい、僕は、明日死にゆく人間だから、ためらいなく、僕が生きたしるしを、覚えていたい。

今日を越えていけなくても
キミと生きた今日をボクは忘れない




雑感

 そろそろ30歳になる。立派な大人だ。自分の人生とはなにか、自分は何者になれて何者になれないのか、そこそこの答えを出すべきなのを、改めて感じている。やっぱり日頃感じるのは、はたらきはじめてしまうと「自分の人生はこれでいいのか」と自分を問うことが明らかに減り、「自分の人生はこれでよかったのだ」と自分を納得させる時間が明らかに増える*3。明日死ぬ、というか明日死ぬっていうのぜんぜん実感湧かないんだけど「明日、余命1年を宣告される」だとわりと実感湧くのでおすすめです、いつ死ぬかわからない我々なのに、人の人生を生きるのは極めて滑稽じゃないですか。僕の人生は今にでも終わる。そう思って、僕は僕自身の残り少ない人生を生きることにしました。

大人の夏の宿題*4、もとい、WETな備忘録として

雑感その2

以上が僕の2015夏の報告になります。

会話における「言葉」の役割について

以降の展開をちゃんと考察すべきであるというのが僕の備忘録です。自戒

追記