WETな備忘録

できなかったときの自分を忘れないように

2015夏の終わり、LiSAは僕を「ずっと覚えている」と言った

 愛すべき後輩が死んだ*1のはまだ寒さの残る3月のことだった。特別仲良くはなかった彼の死は、僕にとっては非常にショッキングな出来事で、死というものを、決してセンチメンタルな方法ではなく、いたって無機質にそして深く考え始めるきっかけとなった。

 彼の死からいく日か経って、実家に帰ることがあった。実家と言っても、一人暮らししているアパートから自転車でも30分ほどの距離で、いつものようにスーパーで半額の刺身を買って、実家で父と酒を飲んだ。僕の親父はもう70に差し掛かろうとしている立派に初老は過ぎた男性だが、体は丈夫で、僕に似て酒が好きだ、僕が似たんだけど。親父と酒を飲みながら、そういえば、高校のアメフト部の後輩が、この前死んで、まあ病気だったらしいんだけど、死ぬまで僕は知らなくてさ、などと彼の話題になった。「アイツとは高校以来ほとんど会ったことが無かったから、僕はアイツが高校生のときのイメージしかなくて、元気で調子者だったわけよ」と酔いながら語る僕を、親父もまた飲みながら聞いていた、「そういう奴がいきなり死んだっていうのは、ショックだったわけよ」と言ってから、僕は半額の刺身に箸を伸ばした。

「そういえば」

その老人は、口を開いた。

「本田さん*2、俺の幼馴染の、床屋やってる」
「ああ、あのおばちゃんね、この前髪切りに行ったよ」

親父の幼馴染(つまり親父とは60年近い付き合い)のおばちゃんが、僕のアパートから近くのところで床屋やっているというので、僕はほんの数ヶ月前に髪を切ってもらいに行ったのだった。

「親父の恥ずかしい昔話をたくさん聞かせてもらったw」
「あいつな、先月な、死んだんだ、朝起きたら死んでたらしい、旦那さんが起きて気づいたら」

 その床屋は昔でこそ繁盛していたらしいが、昨今は常連客の相手をするだけの店だったらしく、僕のような得体の知れない男が予約も無しにいきなり入ってきて、いくらか怪訝な顔をされた。「◯◯(親父の名前)の息子でして、そう、2番目のほうですw」と言ったら「やだー◯◯ちゃんのーそういえば似てるわねー」と元気良く、そして凄くうれしそうに、ほんとうに凄く凄くうれしそうに、僕の髪を切りながら、色々な話を語ってくれた。人のいい、明るいおばちゃんであった。

 どうやら、彼女が死んだのは、僕が髪を切ってもらってから1週間後だったらしい。

 言葉に詰まったのは僕の方だった。あんなにも明るく元気だった人が、そんなにも突然に、思い出や歴史や、苦労や喜びの経験や、数十年来の友人を、すべて置き去りにして、ちょっとしたありがとうも、最後のありがとうも、何も伝えられない物になってしまうのである。

 流れてく時は容赦なく、いつか僕らをさらっていくのだ。さらっていくと言うのが正しい。

 僕は言葉に詰まっていたが、目の前の老人は、決して言葉に詰まっているという風ではなく、さらわれていった物を懐かしむような、しかしどこか覚悟したような、というか諦めたような、そんな佇まいで、ビールを大きくひと口飲み込んだ。

 あの明るい親父の幼馴染が死に、順番で言うと、次に死ぬのはこの老人である。しかしあの後輩は僕に挨拶もせず死んだ。



 多くのひとが言うように、死に例外は無い。しかし多くのひとが、忘れていることがひとつある。




 さて、今年のアニサマの1日目、やはりトリはLiSAだった。「今日を、絶対忘れない一日にしよう」とLiSAは言った。シルシのイントロが流れたとき、僕は本当にうれしかった。SAO3期そのものもよかったし、僕はこの曲が好きだ。全力で両手の光る棒を振っていたので、曲が終わるまでの間、暗い会場で誰にも知られずに目から流れ落ちる汗を拭くことはできなかった。歌い終わって彼女は「この光景は今日しかないし、今日のこの光景をずっと覚えている」と言った。

 多くのひとが言うように、死に例外は無い。しかし多くのひとが、忘れていることがひとつある。

 それは「死には順番が無い」ということだ。

 僕の親父が自分の幼馴染の死を受けて自分自身の死を意識している間に、僕の後輩が死んだ。僕の親父が1年以内に朝起きたら死んでいた可能性と、僕が余命半年かもしれない可能性は、そこまで違わないのではないだろうか。

 死には順番がなく、容赦なく、僕たちをさらっていく。ありがとうと伝えようと思っていた明日さえ、容赦なく突然に取り上げる。

 だからこそ、僕は、明日死にゆく目の前の人に、ためらいなく、「ありがとう」を伝えなくちゃいけないし、

 同じくらい、僕は、明日死にゆく人間だから、ためらいなく、僕が生きたしるしを、覚えていたい。

今日を越えていけなくても
キミと生きた今日をボクは忘れない




雑感

 そろそろ30歳になる。立派な大人だ。自分の人生とはなにか、自分は何者になれて何者になれないのか、そこそこの答えを出すべきなのを、改めて感じている。やっぱり日頃感じるのは、はたらきはじめてしまうと「自分の人生はこれでいいのか」と自分を問うことが明らかに減り、「自分の人生はこれでよかったのだ」と自分を納得させる時間が明らかに増える*3。明日死ぬ、というか明日死ぬっていうのぜんぜん実感湧かないんだけど「明日、余命1年を宣告される」だとわりと実感湧くのでおすすめです、いつ死ぬかわからない我々なのに、人の人生を生きるのは極めて滑稽じゃないですか。僕の人生は今にでも終わる。そう思って、僕は僕自身の残り少ない人生を生きることにしました。

大人の夏の宿題*4、もとい、WETな備忘録として

雑感その2

以上が僕の2015夏の報告になります。