成長期ベンチャーが陥る新卒教育の罠〜 あらゆる悲鳴は“甘え”か 〜
おうふ...
IT系のベンチャーが大きくなるのを目の当たりにしてますね。時代的なことかもしれないですね。「会社の規模も大きくして自分が作った会社を盤石のものにしたい」と考えるその気持ちは分かります。そして当然「新卒を大量に採用する」というフェーズに入っていく。
しかし戦力の補充のため「新卒を大量に採用」し始めた会社が、思ったように「戦力の増強」が実現されず、期待されていたような成長曲線を描かない、という現象も多く見られるですね。これは何故なんだろうと。
それには多くの要因があると思うけれど、ここでは「新卒教育」にフォーカスをあてて考えてみた。
目次
- 仕事ができる者になってほしい「教育」
- 見落とされがちな人材の評価軸
- ベンチャーの組織構成の変遷と「教育」の盲目
- 「組織の重心」を回復するためには
- まとめ
仕事ができる者になってほしい「教育」
新卒を大量に採用しはじめると、しかしその中には「仕事のできる者」「仕事のできない者」その両方が混じって存在するのは、避けようの無い事実だ。そこで教育担当者は「比較的仕事のできない者」を「比較的仕事のできる者」へ「成長」させようと「教育」することになる(図1)。
図1
しかし、思ったように「成長」してくれない。「仕事ができない者」が「仕事のができる者」になってくれないのだ。
それに危機感を抱いた上級管理職が、教育担当に更なるコミットを要求し、教育担当者は疲弊し、被教育者、つまり新卒は次から次へ押し付けられる教育施策に次第にうんざりしていく、
という何ともどこにでもありそうな構図が出来上がったりしたりしなかったり。
見落とされがちな人材の評価軸
人材には、様々な評価軸がある。これは異論が無いと思う。少なくとも、一元的に「仕事ができる」「仕事ができない」で軸を切ることができないことについては異論は無いと信じたい。
様々な評価軸があるので、どの評価軸で現象を切るかで、色々な見方や結論が導かれる。どの評価軸での切り方が絶対的に正しい、というものではないことをまずここで断っておきたい。
とりわけ「成長期ベンチャーの新卒教育」を論じたいので、僕は以下の二つの軸で切ってみたら面白いのではないかと考えた。
- 実務能力が高い/低い
- 意識が高い/低い(自分の価値をどこに見るか)
このように切ったとき、さきほどの図1は、このようにマッピングされるだろう(図2)。
図2
そして先ほどの「教育」とは一元的にこのように表現されてしまったのだった。
しかしこれが適切でない。盲目的な「教育」であると言いたい。
以下にその根拠を述べたい。
ベンチャーの組織構成の変遷と「教育」の盲目
まず、教育の話は置いておいて、ベンチャー企業はその創業からどのように組織構成が変遷していくかを見てみたい。あえてこの軸を使って表現すると、図3のようになる。
図3
この図から見て取れるように、この軸で切ったとき「組織の重心」は、下記の図4のように変遷することになる。
図4
したがってこのフェーズの組織において「教育」が指すものが図中の矢印になってしまうことは、無理も無いように思える。
とりわけベンチャー企業は、10年前からすでに大企業だった組織と比較して、急速で顕著に「重心の移動」に直面するため、「教育」という言葉が「この危機感への対処」「重心の回復」という一元的なものになってしまうと考えられる。
「組織の重心」を回復するためには
「劣化」していく組織を回復させたいがために上記の矢印のような「教育」に走ってしまうのは無理も無いが、少し冷静に考えれば、一元的な教育指針で「組織の重心」が回復するのではないことが明らかではないだろうか。
図5では、大組織化した後の新卒人材の分布を示した。また、それぞれのグループに適切な教育施策を矢印1、2とする。ここで少し思いを馳せてほしいのは、矢印1と矢印2の具体的な違いである。
図5
たとえば、グループBへの対処、矢印1は以下のようなケースで、以下のような方針になるだろう。
- もっと会社で価値を出したいと思っているのだが、能力がついてこない新卒
- 会社にやれと言われればやる
- 自主学習課題を量的に多めに与えて、期限を決めてフィードバックすることによって、能力の発展を期待する
一方、グループDへの対処、矢印2では以下のようになろうか。
- 能力があるのだが会社で価値を出したいと強く思っているわけではない新卒
- 興味のある事ならやるし、できる
- 今後興味のある分野をヒアリングして、質的にやや過分と思われるミッションを与え、自分の興味と会社の利益が直結することを自覚させる
各グループで比較的に適した教育方針があることがなんとなく分かる。組織の重心を回復させるためには、それぞれのグループに対してそれぞれのアプローチをしなければならない。
もちろん事はそう単純ではないが、とりわけ想像していただきたいのは、グループBへ矢印2を与えてしまった場合、グループDへ矢印1を与えてしまった場合、およびその時発生する現象である。
ex1) グループBに自由度のある課題を与えても能力がついてこず十分に価値を発揮できず彼らの「会社に貢献したい」という思いが空回りする。
ex2) グループDに特定の能力を伸ばす業務外課題を与えても、自分の価値を確保する時間を削られることに嫌悪する。
etc...
このようにすれば、被教育新卒者だけではなく、教育担当者もしあわせになれないことは想像に難くないだろう。
冒頭で紹介した白い矢印「教育」は、ここで想像して頂いた現象が、多かれ少なかれ発生していると考えてよい。組織の教育分野に高いコストをかけなければならないのは、このように、「組織の教育施策」は「組織に対してストレスになりうる」という理由がある。
グループBが、より「能力を身につける」ような教育を。グループDが、より「会社で価値を出す」ような教育を。人間別に(タイプ別個別に)施策するのは教育コストがかかり過ぎるとしても、少なくともその二つのコンセプトをフェーズに分けて使い分けるくらいは低コストで実施可能だと考える。
まとめ
- 成長期ベンチャーの新卒教育は難しい
- 人材の大規模化・多様化が、見かけ上「組織の劣化」を引き起こしているように見える
- それゆえ「教育」を「重心の回復」という一元的に捉えがちだ
- 多様化する人材を一元的に「教育」したときに発生する組織ストレスは無視できない
- 人材の状態に沿った教育方針を複数立てるのが「組織の劣化」から回復する最適な方法だ
しかし、本当にそうなのだろうか。なんか腑に落ちない...
グループB、C、Dが組織にとって「お荷物」で、グループAへ向かうべきなのだろうか?
エンンジニア組織の「劣化」とは何だ!
とりわけエンジニアベースの組織においては、上記の限りではないと思うのよっ!!!
ぼくが見てきた「良いエンジニア」の印象は、グループAというよりはこのへんだったゾ!
IT系でエンジニアで、新卒で入った会社で左上とか右上とかにいて、5年働いて5年後に、左上とか右上とかにずーっといた人と、「このへん」で5年間いた人だったら、
意外な事に、会社にとって価値があるのは「このへん」にいた人なのではないだろうか。
エンジニアなら。
じゃあなんだ会社として整えなければならないのは「教育」でもクソでも無くて、「このへん」にいるひとがとても気持ちよく働けて、「このへん」のひとのアクティビティが緩〜く会社の利益につながる仕組みなのではないだろうかー!!!!
グーグルの20%ルールとかまさにそんな感じだよね。
一見して矛盾しているようだけど、エンジニアベースの組織なのであれば、こういう層のエンジニアを増やすことが、面白く生産的な組織であり続けるヒケツなんじゃないかとすらぼくは思うお
(^ω^ ≡ ^ω^)
ぼくは今、「左下」だから、はやく「このへん」になりたいお(^ω^;)
WETな備忘録として