僕はラーメンを食べない
土曜日の池袋は汗ばむ程に暑かった。疑いようもなく春は来ていた。その女の子はひたすら鼻をすすって、花粉症の辛さについて話していた。あいにく、僕には花粉症の辛さはまったく分からない。
無いものねだり
「無いものねだり」という言葉があるけれど、僕はどうやらこれをずっと誤解していたようだ。「無いものねだり」とは
ない物を欲しがること。実現できないことを無理に望むこと。
ないものねだり【無い物強請り】の意味 - 国語辞書 - goo辞書 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/162673/m0u/
今までずっとこれを「他人が持っていて自分が持っていないものをねだること。自分が持っているものは相手が持っていないものなのに」というなんか道徳的な訓戒を含んだ理解をしていた。そうではなくて、じつは「無いものねだり」とは「そもそも実現し得ないものをねだる」ということであると、最近知ったのだ。
相対する言葉は「住めば都」といったところか。ありもしない黄金の都を夢見て無いものねだりをし、やれ屋根が低いだのやれ道が狭いだのと日ごとに文句を垂れていては、見つけれるはずの路肩の花も、気付けるはずの人の優しさも、最初から無かったかのように時間は過ぎて行くものだ。
You are the man
「君は、自分が忌み嫌っていたタイプの人間に、気付かぬうちに君自身がなっていたことを知った経験はあるか?」
ユナイテッド航空のCAさんたちは皆おばさんばっかりで少しがっかりしたが、ボストンからヒューストンへ5時間ほどのフライトで隣の席になったジャックの話は面白かった。
"You are the man you hate." そういう英語を彼は使ったと思う。正確には覚えていない。
僕は、僕が忌み嫌っていたタイプの人間に気付かぬうちに僕自身がなっていたことを知った経験が2度ある。
1度目は、仲間を引き連れて率先してかき分け進んだイバラの道がまさに崖へ続いていたとき。
2度目は、苦労して穫ってきて人にすすめて飲ませた薬草がまさに毒草であったときだ。
もちろん、どちらも比喩だ。
「わたしの神とは、そして科学とは何だったのか」
〜ある科学者の手記より〜
「今日はある男の裁判であった。彼は物腰柔らかい口調を使いながら我々が信じる神を静かに冒涜し、間違った知識を民衆へ刷り込んでいった。彼だけが"科学"と語るその代物は、現存するいかなる理論とも相反する非常識なものであり、オカルトに近いものである。事実、彼の主張を信じてそれを確かめようとした者は還らぬひととなったし、そうでなくても多くの子供がその説を丸呑みにし、もはや家族で日曜を過ごす事はなくなった。人を罰することに心は痛むが、彼はいわばオカルト教団の教祖であり、洗脳者、犯罪者そのものであり、監禁刑はしかるべき処罰である。彼の提出した資料は全て彼の仮説を支持していた。そして、彼のその仮説に基づいて我々の所持する観測データを解釈すると、全ての天体現象は矛盾無く説明できた。しかし、もしこれが事実であるなら、私が50年間信じ、50年間支えて来た神とは、科学とは、私や私の父や師が命を燃やし数百年にわたり連綿と支えて来た成果は一体なんだったというのか。大地が太陽の周りを動くなど、私は信じることができない」
僕はラーメンを食べない
土曜日の池袋は汗ばむ程に暑かった。やはり春は来ていた。桜と花粉の季節の到来だが、さいわい、僕は花粉症の辛さはまったく分からない。
空きっ腹に僕はレッドブルを飲んでいた。レッドブルではもはやごまかしきれない疲労感だったけれど、駅に向かう僕の歩調は意外にも軽やかだった。イヤホンから流れる音楽が偶然アップテンポの好きな曲だったというのもあると思う。
足るを知る、などというと高尚な思想のように聞こえるが、何て事は無い、ただの諦めだ。
出来ないものは出来ない。今現時点で出来ないものは今は出来ない。苦手なものは苦手だし、怖いものは怖い。背伸びすればこむら返りするし、見栄を張れば嘘になる。自分の間違いを知らなかったのは他の誰でもなく自分だったんだなということを、みじめさと痛みを伴って知ったりする。
だいたい、3月30日とかって、そういう思い出ばっかりだ。
僕はラーメンを食べずに、逆向きの山手線に乗った。
WETな備忘録