WETな備忘録

できなかったときの自分を忘れないように

大切なことはアメフトで学んだ

これを読んで、自分は違うと思った。

もっと激しく言えば、自分のしてきた"体育会"がひどく貶められた気持ちになった。

  1. 価値観が違うチームでひとつの目標を掲げることがどんなに難しいかも
  2. 成果以上にメンバーのプライドを満たすことがどんなに重要かも
  3. 強制してやらせることがどれだけ致命的な弊害を生むかも
  4. 勝敗と同じくらいスポーツのエコシステム発展に寄与することがどんなに重要かも

すべてアメリカンフットボールで学んだ。たいていは、大きな失敗で痛みを伴って学んだ。

価値観が違うメンバー

アメフトはフィールドに同時に入れる人数は11人だがベンチに入れるのは99人であり、ポジションの多様性と格闘技的な要素、特徴ある試合時間制度から来る極端な戦略性などの理由により、極めて多くの人間が関わるスポーツである。

たとえばオフェンスだけでも、体重100kgを超えるプレイヤーは10人以上いないとリーグ戦を勝ち続けるのは厳しい。かと思えば体重70kgそこそこのスプリンタータイプのプレイヤーも20人以上必要だ。また、コンタクトスポーツゆえ怪我が多く、メディカルスタッフも必須だし、一試合で百を超えるプレーパターンを分析するスタッフの存在も結果を左右する。アメフトにおける「スタッフ」とは、いわゆる「体育会」の「女子マネ」とは全く異なる。

大学でプレイし、縁あって高校でコーチをし、さらに縁あって別の大学のコーチも経験したが、実に多くのひとが実に多くの価値観で従事していることを、身にしみて体感した。時には人を萎縮させたり傷つけたり、誰かをチームから去らせてしまったり、自分がチームから追放されることもあった。

プライドとは何か

上記のように様々な価値観でひとは何かに従事するが、その最たるものが「プライド」であることも、僕はアメフトで学んだ。

我々日本人がプライドというカタカナ英語を使うとき、それに対応する日本語は実はふたつある。

そのひとつが「自尊心」である。多くの人が「プライド」とは「自尊心」の意味で使っている。

僕がコーチをしていた大学は当時学生2部のチームで、他チームの動向的にも自チームの戦力的にも1部昇格が十分に可能な状況にあった。当然僕は「勝って1部昇格を果たす」ことが至上目的であり、そのようなコンセンサスが形成するようつとめ、実際形成されていたと考えていた。「目的を果たすため」に必要な練習内容・チームルール・アサインメントを考え、それを伝え実行を補助するようにした。

しかし、ある者は静かに辞め、ある者は突如反発したりした。結果、僕たちは目的を達成できなかった。なぜなら、彼らの「プライド」は満たされていなかったからだ。おそらく、あの状況でチームメンバーひとりひとりの「プライド」を満たし、あとほんの少しの助言をするだけで、彼らのポテンシャルなら難なく目的は達成できていたであろう、と今では思う。

ビジネスにおいてこれと似た現象がある。

目的達成のために必要なのは、目的達成のためのスキルアップを計画するよりも、チームメンバーの「プライド」を満たそうとするモチベーションを尊重し促すことのほうが近道だったりする、というパラドックスである。

強制できる条件

したがって、チームメンバーひとりひとりが何をもってよしとするかは多種多様である。

にもかかわらず、僕は「強制」されたこともあるし「強制」したこともある。そうすることができる条件が整っているときが、まれにある。それは、人数が少ない組織で、嘘のほとんどないコンセンサスが形成されている場合だ。

ビジネス、というかいわゆる企業においてそのような条件が整うことはほとんど無いだろう。何かしらしがらみがあったり、体面を整えなければならない場面が多すぎる。ごくごく人数が少なく、モチベーションの多様化が進んでいない状態、たとえば起業間もない状態とかならこれが可能かもしれない。

今、ある2人の間で嘘の無いコンセンサスを形成するコストをpとすると、組織全体で嘘の無いコンセンサスを形成する全体コストPは、人数増加の2乗のオーダーで増加していくことが容易に計算できる。

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仮に純粋な2-by-1のピラミッドを構築していったとしても、nの1乗のオーダー(係数は1より大きい)で増加する。(ピラミッドの階層をkとしたとき、全メンバー数がn = k(k-1)/2であり、架橋の数は3Σk =3n(n-1)/2)

つまり事業が大きくなり組織は大きくなるほどに、単一で同質なモチベーションのありかたやフィロソフィー、目的意識などを嘘無く共有することは現実的に不可能となっていき、組織のパフォーマンスを上げるためには、コンセンサスを頼った強制指示よりも、各人の「プライド」を満たそうとするモチベーションを促すマネジメントにシフトしていくべきである。

スポーツに"共生"が必要な場面があった

特に僕の大学はアメフトをするような学生を確保するのが難しく、そのような環境で「本気で」目的達成を狙うのであれば、勧誘活動に力を入れることが結果目的達成に近道である。ここまでは普通のはなし。

最近では、そもそもアメフトをしている人間(ビジネスで言うところの市場に近い)を増やすために、アメフトそのものの競技人口を増やすことや、試合への観客動員数を増やすことが、自チームやアメフトの認知度を上げ、目的達成に寄与するというところまで、アメフトは発達している。

したがって、当然勝ち負けはあるが、パイを増やすために(マネージャレイヤーでは)各地の高校と合同練習をしたり、敵チームと興行的な打ち合わせを重ねたりすることは、ごくごく当たり前の取り組みなのである。

「何勝するか、何位に入るか」といった目的を突き詰めれば突き詰めるほど、こだわるべき本質が「相手を蹴落とすこと」以外にあることが浮き彫りになっていくのが、スポーツの醍醐味でもあると思っている。

「過度に取り組んだ体育会系は、会社とめっちゃ似てる」と、あえて言いたい。



僕は不条理を耐えてなどいない

さいごに。

体育会経験者は、「不条理に耐えた」「不条理に対する耐性がついた」ということについては、胸を張ればいい。

冒頭で紹介したブログの筆者はこのように言っているが、僕は「不条理に耐えた」経験など無い。

「体育会経験者」と言うとひとくくりに感じるかもしれないが、そこにはそれこそ誰も知らない経験をおのおのがしていると思う。そして僕は、その中でも恵まれてた環境で「体育会」をしていた。

僕は「不条理に耐えた」という覚えは無い。

全ての艱難辛苦は目的達成のため合理的に必要なものだったし、全ての問題について自分が寄与できる余地が無いものは無かった。不条理に先輩やOBから何かを強制されたことも無かった。というか敵は常に自分だった。(ある意味、そこまで洗脳されるのが本当の意味で「体育会系」なのかもしれないw)

これが僕の「プライド」、「自尊心」じゃないほうのプライド、「矜持」だ。

「不条理に耐えた」といって胸を張るのは、せいぜい不条理が跋扈する程度の本気度でしか取り組んで無かったわけであって、そういった人と同じように「体育会経験者ですよね」と言われるのは、いささか悲しい気持ちになる。



恒例ですが、最後に、尊敬する関学アメフト部の部訓にもなっている(とかいないとか)という、ドイツの哲学者の言葉を添えておきます。

いかなる闘いにもたじろぐな。偶然の利益は騎士的に潔く捨てよ。
威張らず、誇りを持って勝て。言い訳せず、品位を持って負けよ。
堂々と勝ち、堂々と負けよ。勝利より大切なのはこの態度なのだ。
汝を打ち破りし者に最初の感激を、汝が打ち破りし者に感動を与えよ。
堂々と勝ち、堂々と負けよ。汝の精神を汝の体を常に清潔に保て。
そして汝自身の、汝のクラブの、汝の国の名誉を汚(けが)すなかれ

自戒を込めて

WET