WETな備忘録

できなかったときの自分を忘れないように

地球葬送曲 〜人類はガイアの癌か〜

まずはこれをご覧いただきたい。ちょっと前にけっこうバズった3分の動画です。これを見てあなたはどう思うだろうか。

MAN - YouTube

ガイア論

おそらく多くの人が「人間はなんて罪深い生き物なんだ」というような悲嘆の感想を持たれるのではないかと思う。

ところで、ガイア論、ガイア理論という考えがある。ガイア論とは「地球には優れた自浄作用と環境調整機構(体内環境恒常性: ホメオスタシス、と呼ばれる)が備わっており、あたかも地球全体でひとつの生命体とみなせる」とする説である。

「人間は、他の生物種を際限なく殺し、天然資源を貪り、ガイアの持つホメオスタシスを狂わせるほどに増殖している。これではまるで人間がガイアという生命体の『癌細胞』であるかのような挙動だ」

上記の動画や、それに類する環境保全主義者はしばしばこのように主張する。これ自体はぜんぜん真新しい表現ではなく、むしろ耳タコになるくらいよくある話だ。

癌細胞の特徴

一般的な「癌細胞」の定義について軽く触れたい。

悪性腫瘍(あくせいしゅよう、英: malignant tumor)は、遺伝子変異によって自律的で制御されない増殖を行うようになった細胞集団(腫瘍、良性腫瘍悪性腫瘍)のなかで周囲の組織に浸潤し、また転移を起こす腫瘍である。悪性腫瘍のほとんどは無治療のままだと全身に転移して患者を死に至らしめる[1][2]。 一般に癌(ガン、がん、英: cancer、独: Krebs)、悪性新生物(あくせいしんせいぶつ、英: malignant neoplasm)とも呼ばれる。

悪性腫瘍 - Wikipedia

細胞のDNAにはもともと「一定回数の分裂を終えたらそれ以上分裂できない」ようにプログラムされている領域がある。この一例としてよくテロメアが挙げられる。テロメアと呼ばれるDNA領域が細胞分裂を繰り返すとどんどん短くなっていき、これがなくなるとそれ以上細胞分裂できなくなる。この機能があることで、生物の体組織は異常に大きくなったりせず、全体のバランスが保たれるのである。

そしてお気付きの通り、癌細胞はこのテロメアが減らず、異常な細胞分裂を繰り返し、また本来あるべき場所以外に転移などし、自分の体細胞でありながら自分の体を蝕んで行くのである。

生命体としての「ガイア」

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なるほど、仮にガイアが一個の生命体だとするならば、人類の増殖の仕方は「癌細胞」そのものであるというのは納得できる理屈だ。

では、仮にガイアが一個の生命体だとするならば、ホメオスタシス以外にどのような特徴を備えていると考えられるだろうか。ここで「生命の定義」についても触れてみたい。

生物が無生物から区別される特徴としては、自己増殖能力、エネルギー変換能力、恒常性(ホメオスタシス)維持能力、自己と外界との明確な隔離などが挙げられる。

生物 - Wikipedia

生命の定義には諸説あるが、簡単に言うなら

  • 境界がある
  • 代謝がある
  • 恒常性がある
  • 自己複製する

となる。そしてもし仮にガイアが一個の生命体であるという立場に立つならば、ガイアはこれらの特徴を備えていなければならず、見事に

  • 大気圏を境に地球上生命の生息範囲が限られる(境界がある)
  • 太陽光エネルギーを地球上のエネルギーに蓄積・消費できる(代謝がある)
  • 地球上環境の調整機構がある(恒常性がある)

を満たしている。

が、しかし「自己複製」についてはどうだろうか。

ガイアが一個の生命体であり、生命が満たすべき特徴を満たしているとすれば「自己複製」という特徴を持つ必要がある。ガイアという「生物」における「自己複製」を妄想するならば、それはきっと「第二の地球をつくること」に他ならないのではないだろうか。地球にある程度似た形質を持つ惑星をもう1つ作り出すこと、それがガイアを一個の生命体として見た場合に、最も自然に考えられる「自己複製」の解釈だろう。

では一体、誰が「ガイアの自己複製」を担うというのだろうか...

テロメアが減らない「もうひとつの癌細胞」

生物の話に戻そう。

実は、体細胞の中には「もともとテロメアが減らず、理論上無限増殖が許された細胞群」がある。それが幹細胞であり、その最も有名なものが

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生殖幹細胞である。つまり精子(の元)だ。

生殖幹細胞はテロメアが減らない(テロメラーゼ活性がある)ので、理論上無限に精子をつくることができる。また、(みなさんごぞんじのように!)生殖細胞をつくり出す活動はたいへんなエネルギーを要する。

個体の貯蓄するエネルギーを大量に消費し、際限なく増殖を繰り返す生殖細胞

ガイアという個体においてそのような振る舞いをする細胞種を、我々はもう知っている。

それはヒトだ。

ガイアの思惑、人類の責務

ガイアを1つの生命体として見る人々は、ガイアを1つの生命体として見る以上、考察しなければならないのが「ガイアの自己複製」であり、そして一体誰が「その役割」を担うのか、担うことができるのか、という点である。

ガイアという1つの生命体は、第二の地球を生み出すために、自らの持つエネルギー資源を「ある細胞」に注ぎ込み、「彼ら」に「生殖」を担うはずだ。そして「彼ら」は必ずや「ガイアの自己複製」という使命をまっとうしなければならない。

逆に言えば「ガイアの自己複製」を実現できるのであれば、「彼ら」がガイアの持つエネルギー資源を大量消費するのも、「彼ら」が無限増殖を続けるのも、使命のためにはむしろ「ガイアの所望するところ」とも言える。

もしかしてその「彼ら」とは、我々人類なのではないだろうか。もしかして我々人類が母なるガイアのエネルギー資源を浪費するのは、むしろ母なるガイアの「思惑」そのものなのではないだろうか。

生命の死について

いにしえ、生命は「死」を持たなかった。単純な「分裂」により「自分と全く同じもの」を作り出すことによって「自己複製」を実現しており、そこには「個体としての死」という概念は無かった。

しかし、あるきっかけを境に「個体は死ぬ」ようになった。このきっかけとは「性の獲得」である。

単純な「分裂」ではなく、「有性生殖」によって「自己複製」を実現するようになってはじめて、個体は永遠に「全く同じもの」であり続けることができなくなり、「個体としての死」という概念を獲得することになった。

つまり「有性生殖」をする生物にとって「自己複製」の実現は死への一歩でもあるのだ。

ガイア論を説く者は口々に「人類はガイアの癌だ」「ガイアを殺すのは人類だ」と人類を責めるが、はたして本当にそうだろうか。ガイアを1つの生命体と解釈する以上、「自己複製」とそれに伴う「生命の死」から目を背けるのは、きわめてご都合主義の解釈であり、自己中心的な「似非ガイア論」ではなかろうか。

我々人類もガイアの一員である以上、ガイアが何をもって「自己複製」を果たそうとしており、どのような「死」を迎えるのかを考えるべきである。その結果やはり「人類はこれ以上増殖すべきではない」「エネルギー資源を消費すべきではない」となるかもしれないし、ひょっとすると全く逆の考えになるかもしれない。

しかしながら、いずれにしても、ガイアを1つの生命と見る以上は、ガイアの「死」について想いを馳せるのが、ガイア論者として避けることの出来ない思いやりなような気がする。

それが、母なるガイアへの愛であるような気もする。



おわり*1

*1:(このエントリは昔書いたガイアレクイエムもしくはラプソディ (前編)(後編)の書き直しです)