WETな備忘録

できなかったときの自分を忘れないように

DJというものをはじめてみたので知見を共有します

このエントリは、アニソンDJ Advent Calendar 2017 - Adventarの24日目です。

毎年、アニメオタクや声優のライブなどの趣味を同じくするオッサンたちが年末に集まって忘年会をして、そのメインコンテンツがオッサンたち自身によるアニソン中心のDJだったりする。かわるがわる、5時間ぐらいやっている。「DJなにそれ」という気持ちもありつつ、なんかDJやったことないおっさんがその忘年会で初挑戦する、みたいな風潮があり、今年は僕がそのおっさんとなった。結論から言うと、たいせつなことはひとつだけ。

「楽しんだひとが優勝」

ということだと思う。これ1番だいじなので、以下、読まなくていいです。

DJ is 何

「そういうのはいいから、とりあえずコントローラ買おう」と言われ、具体的にDJというものが何をするのか分からないまま、初心者用のDJコントローラを買った。DJコントローラとは何かすら、この時点では理解していない。

Pioneer DJ パイオニア / DDJ-RB DJコントローラー

Pioneer DJ パイオニア / DDJ-RB DJコントローラー

「レコボっていうソフトウェアのコードもついてくるので、ちょっとはじめてみるなら、絶対これがいい」と言われ、アッハイ、そうなんですか、としか言えなかった。購入後に判明するのだが、「レコボ」というのは、rekordboxというPioneerが作ってるDJ用のソフトウェアで、つまりこのコントローラのメーカー謹製のやつ。

アマゾンで買って、届いて、開封して、おおっ!と一通り感動したけれど、まーったく使いかたが分からん。というか、何をどう使って、何が起きるのかすらわからん。ので、友人DJ諸氏を家に招いてラーメン奢ったりすることで、レクチャーしてもらったりした。



DJがやってること

何度かレクチャーを受け、自分でも練習することで、具体的にDJコントローラで何ができて、DJというひとが何をしているかを知ったので、それを主観でまとめますと、

  • DJコントローラは
    • 複数の曲を、あるいはフロアへ、あるいはヘッドホンだけに、流すことができる
    • したがって、今フロアに曲を流している間に、次の曲の準備をすることができる
    • リズムや音程、音の高低を分けて音量を調節するなどができる
  • これを駆使して、DJというひとは
    • いい感じにフロアが盛り上がる選曲をする
    • いい感じにつなげる
      • リズムBPMという)を合わせる
      • 次曲を挿入するタイミングを決める
      • 低音域から入れる、高音域から入れる、バツンと切る、などつなぎかたをいい感じにアレンジする

という印象です。まったく知識も経験もゼロから成長の記録は、当該アドベントカレンダーにて事細かに記録しておりますので、ご笑覧いただけると幸いです。

費やすのは「やる気」ではなく「時間」

「いやぁ〜僕には無理だよ〜」と何度かチキったが、友人DJは終始「練習すればいけるよ」「練習あるのみだね」と繰り返した。

この歳になって新しい趣味をはじめるのは、わりと勇気がいる。人前に晒す、披露することが想定されるものならなおさらである。

だけれども、若い頃、新しく何かをはじめるのはそんなに怖くなかったはずだ。極端な例で言うと、たとえば中学生のとき新しい部活に入るときなどを想像したら、そんなに怖くなかった。むしろ、ワクワクというか、期待感すらあった。

この差はなんだろうか、端的に「やる気が無い」とか「怖い」とかじゃない気がするんだよなあ、と考えていたんだけれど、どうやらそれは

「費やす時間が無い」

ということなのではないかと思う。ある程度、時間を費やせば、ある程度は、上達するのは明白なのであるが、我々社会人には、時間が無いのである。「いやぁ〜僕には無理だよ〜」と僕が言う心理の裏には、「ある程度の上達を得るまでに投資する時間は無いよ」「時間を投資する気はないよ」に似た思考があることに気づいた。

逆にですよ、逆に、そんなに時間無えかな、っていうとそうでも無いわけです。朝、シャワー浴びたあとダラダラとツイッターする時間や、家帰って手も洗わずにダラダラとツイッターしてる時間など(ツイッターしすぎでは?)を考えれば、そんなに無いことはない。ちょっとDJコントローラ触るぐらいなら毎日できるはずなのだ。

これはつまり、僕達社会人にとっては、「毎日の時間を何に配分するか」ということが、何かをはじめる・ある程度上達することの主要因であるということでもあって、ぶっちゃけ「やる気」関係無い。ぶっちゃけ「やる気」は関係無い。大事なことなので二回言いました。

何人かいる僕の師のひとりである楠浦さんもこう言っとる。

これホンマ、マジだから。(語彙)

成果物

以上の知見をふまえ、その忘年会での成果物が以下になります。2017流行り物を中心に集めました。ご笑納ください。

小生の2017年は、なんだかんだで良い年でした!皆様に於かれましては、2018年も、良いお年を!!

WETな備忘録として

余談

30歳から見た働くという景色

正月に実家に戻って、妹と電車に乗っていた。妹に「就活してるときって、最初からプログラマーしたいと思っていたの?」と聞かれた。年の離れた妹は、今まさに就活中だった。僕は、ある程度はそうだ、何かしらのクリエイターになりたかった、的なことを言った。そして「でも、それは間違いだったと思う」と、はっきり言った。

このエントリは、かつての自分が書いた「3年目から見た「働く」という景色 - WETな備忘録」への返歌であり、定点観測であり、WETな備忘録として。

あと、本当は31歳なんですけど、語呂が悪いのでちょっとサバを読んだ。

生きることが怖かったのだと思う

そのエントリ↑を書いたときの僕は、明らかに何かに怖がっており、何かに焦っていたように、今では思う。今までの僕は、誰かが、何かが、何かしらの正解を選べば、それが僕を幸せにしてくれると思い込んでいた。会社への貢献が、CMの言う価値観が、親の示す将来が、世間の語る美徳が、華麗な転職が、僕を幸せにしてくれると思い込んでいたように思う。まるで通勤時のエスカレータのように、その「正解」に乗るために、ごった返す長蛇の列に必死になって外れないようにしていたのだった。しかし、それと同時に、本当はそんな「正解」はどこにも無いと薄々気づいていたから、毎日毎朝エスカレータの待ち列をつくるのに、焦りと、終わりの見えない疲弊を感じていた。

昨今、たとえば婚活雑誌を開けば「このように生きれば、それはあなたを幸せにしてくれる」という文言で溢れているし、転職サイトを開けば「このように生きると、あなたは不幸せである」という呪いと嘘に満ちている。そういうもののおかげで僕は「どんなふうに働くのがよいのだろうか」「働くことで何を目指せばそれは幸せといえるのだろうか」「俺は幸せと言えるのだろうか」という糞真面目な自問自答を繰り返し、悶々としては、自分を責めたりもした。

幸せの定義を人任せにしてはいけない

僕をそこから突き動かしたのは、ある後輩の死*1と、ある女性声優の死*2だった。そして生き急ぐかのように海外に行った*3。そこで、僕がいかに甘えていたかを知った。

テレビにそそのかされた「40年後の幸せ」のために、あとどのくらい我慢するのか?
他人が喧伝する「幸せ」を欲しがって、結果「不幸せ」になってはいないか?
自分の「不幸せ」を「だって親が」「だって会社が」と責任転嫁してはいないか?
これを、自分の人生と言えるのか?

つーか、誰があと40年も生きるかボケ。
俺の後輩は27で死んだ。

幸せの定義を、人任せにしてはいけないんじゃないか。親に、世間に、他人との比較に決めさせてはいけない。せめて、自分で決めるのが重要な気がする。美味いもん食いたいでもいいし、もちろんテンプレート通りに家族のためでもいいし、毎週末ビリヤードをするのでもよい。ちょっとでもいいから「まあ俺はこのために生きてるようなもんだな」と言って、他人から押し付けられた「幸せ」を忘れられる瞬間を見つけるのがいいのではないかと思う。

それはいわゆる「生きがい」と呼ばれるものだ。

僕たちは「働きがい」のために働くのではない。「生きがい」のために生きるのだ。

さて、今年の夏も、アニサマに行った。2日目だけ。アニサマに行かないと僕の夏は終わらないという感覚がある。光る棒をなくしてしまったので、急遽、会場で買ったのだけれど、ライブ会場で買う光る棒ってのはぼったくり並に高いのである。全力でそれを振ったのは、たぶん東山奈央さんの「月がきれい」だったかと思います。東山奈央さん、武道館おめでとう!!
あと、東山奈央さん所属事務所の社長の歌もよかったです。ゥウォオー!ゥウォオー!

[Official Video] Suzumura Kenichi - SHIPS - 鈴村健一

たしかに、かつては「誰か(何か)のために、自分の限りある時間を捧げれば、"ある程度の幸せ" が得られる、ないし予想ができる」時代があったのかもしれない。そのためには、単に大学に入って出る選択肢は有力だっただろうし、働けば24時間戦い続けるのなんか苦ではなかったのかもしれない。そんな時代には、たしかに「働く」という活動が自分の幸せに寄与する割合が大きかった、むしろイコールだった人もいるのかもしれない。

しかし、今はそうではない。大学を出たからといって安泰ではないし、大企業だって、あるいは業績が悪化しリストラを進め、あるいは経営破綻もする。にも関わらず、ものを売り続けたいメディアは「紋切り型の幸せ」の押し売りをやめず、"ある程度の幸せ" も保証できないと気づいた企業は「働きがい」という言葉を発明した。

今も昔も、人は働きがいのために働くのではない。生きがいのために生きるのだ。
生きがいのために生きるその延長に「働く」という景色が見えるだけで、その逆はない。

僕たちが改革しなきゃいけないのは「働き方」なんかの前に、「生き方」だ。

自分の幸せに責任を持つこと

僕は、僕の幸せを誰かにまかせていた。と同時に、僕の不幸せを誰かの責任にしていたと、はっきり断言できる。

人間ってね、我慢に我慢を重ねていると、気がついた時には気力も体力も奪われて、次の一手を打つことができなくなってしまう。そして黙って倒れるまで働き続ける。
日本人全員が、ひとりブラック企業みたいだと思う時がある。
〜『女の子が生きていくときに、覚えていてほしいこと』 西原理恵子

海外で働く前までは、海外に行けば、職場はきらびやかで同僚は優秀で、休暇は取りやすくバランスが取れていて、何もかもが日本と違うと思っていた。

でも、まったくそうではなかった。僕の体験した海外での仕事は、たいへんに忙しく、四方八方が遅延・炎上しており、人はよく解雇された。

海外があんなに自由に見える理由は、会社が違うのでも法が違うのでも無い。

奴らは、奴ら自身が幸せでないと意味が無いということを知っているのだ。奴らは、奴ら自身が幸せであるために物事を選択することに躊躇が無いのだ。奴らは、奴ら自身が幸せになることに、会社でも法の保護でもなく、奴ら自身が責任を持っていることを識っているのだ。

でも僕は、まったくそうではなかった。

あなたの「がんばりたい」という気持ちにつけこむのは暴力だから。
我慢しなくていい。「できない」「無理です」って言っていいんですよ。
あなたの人生は、あなたが幸せになるためにある。
〜『女の子が生きていくときに、覚えていてほしいこと』 西原理恵子

僕たちは、僕たちのために生きることを取り戻さなきゃいけない。
つよい意志で。自分の責任で。奴らのように。

30歳から見た「働く」という景色

「で、あるからして、給料が良いところを選ぶとよいよ」と妹には話した。
「給料は嘘つかない。その給料を、たとえば週末に使って『あゝ、俺はこのために給料を稼いでいるんだ』と思える瞬間こそがだいじ」みたいなことを話したと思う。

僕の今の生きがいは、火星に行くこと。火星で死にたいと思っている。あと最近は週末のビリヤードが超たのしい。上手くはないんだけど。

クリエイターになりたかったうんぬんに関しての自分なりの答えは、またどっかで備忘録として書くとして、妹には「自分の『あゝ、俺はこのために給料を稼いでいるんだ』と思えることを絶対に犠牲にしない範囲で、そこがスタートラインで、その次で仕事に『自己実現』とか『キャリアアップ』とかの判断基準を持ってくるべきで、その逆は危険。ワークライフバランスというのは二項対立ではなく内包関係であるべきあーだらこーだら」みたいな感じで熱が入ってしまったので、もう妹はうんざりしていた。

30歳を過ぎた僕にはもう「働く」という景色は輪郭が見えない、だいぶぼやけている。順番を守らず去った後輩や、理不尽に消えた知人と同様に、僕もいつ余命半年と言われるか分からない身なのであるのだから、ありもしないエスカレータの順番待ちをするのはやめた。幸せにしてくれるワケでもないのに世間の顔色を見るのはやめた。「働く」理由なんていらない。生きたい理由のためだけに生きようと思う。

「働く」という景色は、もう無い。ただただ、明日死ぬとしても僕は今日、リンゴの木を植えたいという気持ちだけがある。

WETな備忘録として

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雑感

  • ちょっと遅くなったけど、大人の夏休みの宿題書いた
  • 思えば昔っからそうや、期限通りに夏休みの宿題提出したことない
  • 意外と、大人の夏休みの宿題書くやつも、もう5年目になってた
  • 書き残すってのと、読み返すってのは、本当にだいじ
  • できなかったときのことを忘れないように、これからもかつての自分とこれからの自分のために書き残していきたいです
  • いやー東山奈央の武道館マジでびっくりだわー応援したいわー

現場からは以上です。

ドイツの受託開発会社を退職しました

2月末日付けで退職しました。退職エントリ書くつもりは無かったんですが、周囲から「公益性が高そうなので書け」というお言葉をいただいたのと、あと海外在住プログラマのキラキラ記事っておおいに生存バイアスかかってる気がするし、死にゆく者の事例も大事かな、と。

はじめに

つらみは有りましたが、うらみは有りません。当初3年ぐらいかなと思ってたけど、この1年間の経験には大変満足しています。また、同僚各位にも深く感謝しております。Vielen Dank. I love you ;)

日本に帰る理由も、ドイツがつらいってのはだいたい3割ぐらいで、じつは2年前からゲノム解析ウェブサービス化とか生物学周辺のソフトウェア受託などの個人事業をやってて、そろそろそっちに集中すっかー、というのがマジな理由です。

tl;dr

  • 自分を守るのは会社でも制度でもなく、自分。Noと言えなければ死ぬしかない。
    • 自分に落ち度が無いことを全力で主張する必要がある。時には感情的に。
    • 「いいものをつくる」という態度を保つには、身を削る必要がある。
  • ベルリンはスタートアップのるつぼ。デベロッパはピンからクソまで集まってくる。
    • 物価安いし、給料も安い。
  • 英語は爆発的に喋れる・聞けるようになった。やっぱり英語圏に飛び込むのが一番。
    • ベルリンは各国から人があつまるのでだいたい英語。
    • みんな母国語じゃないからそんなに早くないし良いレベルだった。
  • 会社が違えば、また違ったかもしれない。
  • だけど、僕は本当に満足しているし、感謝している。数々の試練を本当によく楽しんだ。とてもエキサイティングだったし、鍛えられたし、多くの大事なことを学んだ。
  • いいことだらけではないけれど、日本人は今すぐ海外で仕事してみたほうがいいと思う。ハッピーになるためではなく、強くなるために。


以降、だらだらしてるので読まなくてよいです。

I really enjoyed

  • ベルリンに来る前から「着いたらすぐ別の街の案件なので行って。夜行バスで。もちろん1人で」と言われ、いやまあ僕こういう無茶な感じ好きだし?夜行バス好きだし?いいけど、普通に新しくjoinしていきなりこういうのってまあ一般的にどうなのか?というのはありつつ、これがヨーロッパ基準かーと感心しつつ、別の街っていうのはかつて小野伸二が在籍してたっぽい、ベルリンから西に500km行ったところで、アムステルダムのほうがよっぽど近い。街は田舎町なんだけど、そこのクライアントは技術力もあっていい奴らだった。
  • 500km東のベルリンからちょいちょいSkypeが入ってきて、なんか同僚エンジニア氏から「私が書いたJavaScriptがうごかない助けてくれ」とか言われ、何、なんでこのパッケージ入ってんの?なんでこの処理してんの?ってたずねたら「知らない。コピペだから」ってオイオイみたいになる。一回休み。
  • 2ヶ月ぐらい田舎町の案件でRailsとReactNative書き終えてベルリン帰ってきたら案の定同僚氏の案件が燃えてて、いやいやいやお前が嫌だって言ったから俺が夜行バスで片田舎に飛ばされたんだろと言うのは飲み込みつつ「進捗どうですか?」って聞くと「今忙しいあとにして」っていうのでア、ハイそうっすか、じゃボスに「このスプリントでどこまでやることになってるの?」って聞くと「知らない、俺はPMじゃない」とか言い出していやむしろ怒り出して、やっぱヨーロッパってスゲーなって思った。
  • やばみを感じたので「こいつは1人月換算はするな」と伝えたが、ボスは「いや奴も1人月だ、でサポートするのも含めてお前の仕事だ」とかむしろ怒り出して、え、給料同じなのにクソのしかたから俺が教えるの?俺自身も顧客に1人月稼働ってことで握ってるのに?ベルリンに来たいっつったのは俺だし、まあこれがいわゆるグローバルスタンダードなんやな、頑張ろ、という気持ちになる。サイコロを2回振る。
  • API作ってる会社がまた別の受託会社で、しかもしょっちゅうデグレるのだが、同僚氏、HTTPの知識すら皆無なので「私のJSがうごかない助けてくれ」としか言わなく、しゃーないのでローカルプロキシつかってこうやって開発しましょうね、このスプリントはここまでやることになってて、これとこれはサーバのバグでできませんね、ってちゃんとお客さんと共有しましょうね、という感じでウンコ拭いてあげて気づいたらなぜか俺がExcelシートつくっていた。Excelはグローバルスタンダード。ちぃおぼえた。
  • ほどなくしてSwiftでiOS書く案件が舞い込んで来たのでウォームアップをしてたら、いきなり同僚氏が「私もやりたい」と言うので、ちょっと待てネイティブアプリのそれもスクラッチで複数人開発は効率的ではないし、そもそもお前はそっちのプロジェクト忙しいって言ってたじゃねえか、「そうだが、私はiOSやりたかったんだ!JSはもう嫌や!」と駄々こねるので、じゃあ俺がそっちやる、お前はiOSをやればいいよね、って提案したら「嫌だ!ひとりは不安だ!私はサポートが必要だ!両方半々にしよう!半々!」と言い出して、オイオイ待てよそれこそ作業オーバーヘッドで死ぬぞ、ダメぜったい、と拒否したらその場にいるボスが「まあ頑張ろうや、やってみようや」とか言い出してじゃあお前が責任取れよ?と思ったが「俺はPMじゃない」と怒り出すのがもう常態化している職場であった。サイコロ振って出た数だけ戻る。
  • ベルリンのアメフトチームに入ったが、忙しすぎて1回しか練習参加してない。体力が50減る。体重は5増える。
  • 僕が夏休みから帰ったらお客さんが怒ってて理由を聞くと「お前の同僚、お前の休暇中ただの1度もコミットしてないんだが(#^ω^)」と言われ、同僚氏に聞くと「他のプロジェクトで忙しかった」とか言っててほら言わんこっちゃねえ、さすがにこいつ外してくれとボスにブチ切れたら案外すんなり外してくれた。以降、血反吐吐きながらiOS書き続けた。10日間の夏休みから帰ったら時間外モリモリの16時間稼働が20日間続くという、錬金術もびっくりの人月計算が爆誕した瞬間である。
  • なお、この間 “僕がhour trackingをしていなかった” という理由で時間外労働手当はありません。断っておきたいのだが、これは完全に僕が悪いのである。このあたり、マジで僕の日本人としての詰めの甘さだなと痛感した。
  • 別件で偉いひとに思うところあって「それちょっとおかしくないか?」と刺したら、「コンフォートゾーンからものを言うな」と言われ、自分の環境がcomfortableだったということに気づかされる。圧倒的感謝。以降、鬼神のように働く。サイコロの数字2倍。
  • 同僚氏のやってるプロジェクト(いつまでやんねん)のお客さんから、なぜか僕にDMが来て「バグ直して」と言われる。同僚氏とボスには「連絡がつかない」らしい。しゅぱっと修正コミットし、これはおかしいよね、同僚氏がやるべきだよね、という確認を内々でしたら「そうですね、私がやります、忙しいけど」となぜか嫌な顔される。1マス進む。
  • 翌日、同僚氏から「お前の修正コミットのせいで壊れてる、しらべて」と言われ、ちょっとコミットログ見たら直近に同僚氏による凄い悪臭のする1行のコミットがあり、そいつをrevertしたら直った。1行のコミットで見事にヌルポを踏み抜いて、なおかつ他人のせいにするあたり、もはや尊敬する。
  • 翌々朝、お客さんから「ぜんぜん実装されてないんだけど」となぜか僕にDMが来る。おめーやるっつったよな?おめーやるっつったから俺はやんなかったんだけど、仮におめーがやらねーって言ってたなら俺がやったまでのことなんだけど、どういうことなん?とSlackのpublic channelで同僚氏にキレたら2時間後ぐらいに「Please keep your heroism out of this.(原文ママ)」と言われたので、僕は「Please manage it without my heroism. Thanks(原文ママ)」と吐き捨ててそのchannelを去った。
  • 結局その実装だれがやったと思います? 僕です。
  • 最後にアサインされたプロジェクトは「かつて急いでつくったプロダクトが、思いの外ユーザがついたので、スケールしたいんだけど、設計がクソで誰も何もできない状況なので、今スクラッチで書き直してる。人手が足らんから手伝って」という案件だったのだが、関わっているあらゆるデベロッパが各所で「要件も固まってないしもういいやくそコードだけどスケジュール間に合わねえから」ってコミットしててウンコ掃除しながらウンコ漏らしてるみたいだった。
  • 実際ベルリンは、5mおきに犬のウンコを見ることができる。あがり

クライアントはだいたいスタートアップで、クライアントごとにまるっきり違うコンテキストを把握し顧客満足を実現するのは、目まぐるしくも、繊細に人の心を汲む必要があり、さながらサーフィンのようで、めちゃくちゃやりがいがあり楽しかった。すべての困難と試練を、逃げずに、楽しめた、と僕は思っている。

生活とか

f:id:otiai10:20160411102553j:plain 部屋。530€。ベルリンにしても破格で良いとこ。

f:id:otiai10:20160527192807j:plain 田舎町の開発者たち、ほんといい人たちだった。

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ドイツのコミケ、略して「ドコミ」。

f:id:otiai10:20160501152153j:plain ドイツのオタクとライン川

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パスタつくるのめちゃくちゃうまくなった。

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f:id:otiai10:20170125200135j:plain SoundCloud社でReactNativeのmeetupがあった。

f:id:otiai10:20170208134804j:plain 寿司。だいたい不味いが、ときどき美味い店がある。

f:id:otiai10:20161120124311j:plain ケルン大聖堂

f:id:otiai10:20170224233627j:plain クライアントとテキーラ飲んだりする。

f:id:otiai10:20170131143149j:plain 除雪車。除雪と同時に、ケツから滑り止めの砂利を垂れ流している。

f:id:otiai10:20170216132948j:plain 写真左がアメリカ側。写真右がソ連側。

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限られた人生を全力で生きるという意味で、本当に、心から、ドイツに来てドイツで働いてよかったと思っている。たしかにちょっとしんどかったけど、次来ることがもしあれば、その時は、もっと人間としてたくましくなって、もっと大きな困難を楽しめたらいいなと思います。

WETな備忘録として

ドイツでプログラマとして働いて半年がたちました。

と、いうやつを8月末に書こうと思ってたらもう12月がすぐそこまで来ている。

人生設計とか考えるのがしゃらくさくなり、と言えば格好はいいんですが、何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安と向き合うことに疲れて、ビールとソーセージが好きだという理由だけでドイツに行きたい、というか行くことに決めたのが昨年の11月くらい*1で、そのときは前も後ろも何も決まってない状態だったので、いそいで準備とかしたのでいろんな人に迷惑をかけてしまったかなあと思いつつ、深く感謝はせども、反省はしていません。いつも本当にありがとう。

こういう無茶な生き方をするために心技体マッチョなものを身につけたはずなのであって、せっかくなので無茶な生き方しないともったいない。

所詮地球でした

ドイツに来て即、ボーフムというサッカーしか無えみたいな田舎街に単身で顧客に常駐して、スイスのクライアントの2次請けみたいなことをしたんですが、まず感じたのは「ドイツも所詮地球なんだなあ」ということだった。当たり前だけど空は青くて、空気が悪いところと良いところがあって、仕事はたいへんなことがあったり暇な時期があったり、金曜にはビールを飲んだり飲みつぶれたり、街行くひとは皆自分の人生を歩いており、本質からすると何ら日本と変わらんなという気持ちです。ヒコーキだって乗り継ぎふくめて24時間もあれば行けるし、なにも片道3年かかりますという距離でもなく、インターネッツがあれば何も変わった様子なくツイッターで下品な日本語を垂れ流し続けることも可能で。

ただ、所詮は地球なんだけど、コミケが遠いのはつらい。あと、『君の名は。』観たい。

結論としては、やっぱり日本最高だと思う。

ヨーロッパの働き方

「ドイツ語で働いてるの?」とよく聞かれるんですが、ドイツ語はイッヒリーベディッヒぐらいしか知らなくて、おもに英語です。最近はドイツ語しか喋れない売店のおばちゃんにサンドイッチを頼んで「寒いっすね」ぐらいは言えるようになった。さすがに、売店のおばちゃんにイッヒリーベディッヒと言うわけにもいかない。

縁あって、アムステルダムにいるid:watildeさんやちょっといつもどこにいるかわからないid:ymotongpooさんと会ったりしたんですが、オランダ人は働かないらしいですね、奇遇ですねドイツ人もわりと働かないっす。

というか、予想通りというか、「仕事」と「自分」の間に、強く、時に無責任に、はっきりと線引きがある。ので、アホみたいにプロジェクトが炎上しているときに平気でバケーション行ったりして、あとは自分を守るために他人のせいにするのがたいへんに上手い、悪い意味じゃなくて。国土の取り合いからほぼ無縁であったニッポンとの、国民性レベルで染み付いた「外交」に対する態度のようなものに、学びが多いし、感動すら覚える。

ただ、ニッポン人の「よく言えば責任感の強さ」は、この中で働いていると、明らかに強みだよなあと思うことがある。

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ドイツくそさむい。

これからの働き方

尊敬すべきid:shiwork先輩をたずねてロンドンに行った時、ymotongpooさんとも、肉体労働の大半が機械に置き換えられ、人工知能がもっと発達して知的労働すら機械にまかせられる時代がきたら、ニンゲンの働き方はどう変わっていくかという話を、酒場の酔っ払い代表として、語った(記憶がある)。

「生きていくことができる」程度の生産活動がもはや機械によってなされる時代のことを考えると、ベーシックインカムの話になっていくのは当然の流れだと僕は思っていて、ベーシックインカムが本格的に導入されたとき、ぼくたちはなぜ働くのかという問いに(もう一度)放り出されることになると思う。

「働きたくないけど働いているひと」という層がもはや存在意義をなくして、「生産するひと」と「消費するひと」の二極化が進むんではないか、というその酒場ではそういう話になった気がする。

あのあと、ロンドンの売春宿を小一時間探し歩いて、やっと見つけたところ、たしかにブロンドだったけど、控えめに言っておばちゃんだったことをここにご報告いたします。二度と行かないと思います。

錯覚不幸

ベーシックインカム〜早く来てくれ〜たのむ〜」って週2回ぐらいのペースでつぶやいている。「ベーシックインカムさえ来てくれれば、僕はもっと社会に貢献するイノベーションにエネルギーを注げる!」と僕は信じているのである。しかし、はたして本当に「ベーシックインカム」が無いとダメなんだろうか?

考えてもみると、ベーシックインカムとかいう制度が導入されようがされまいが、僕らはたとえば江戸時代から比べれば段違いに豊かであり、戦中から比べれば超が付くほど平和だ。我々がイメージする「最低限の生存に掛かる豊かさ」というのは実はすでに社会的に獲得されているんじゃないだろうか。

つまり、いつの世も「最低限でいいから豊かになりたい」「最低限でいいから幸せになりたい」というのは、悲しいかな「もっと可処分所得が欲しい」であり「他人より豊かっぽい写真をフェースブックにアップしたい」であるので、おそらく、いくら技術が発展し人工知能が知的労働を代替しようが、広い意味でニンゲンが「強いられる労働」から解放されることはないんじゃないかな、と思ったりもする。その場合、労働を強いるのは自分自身の「錯覚不幸」なのだけれど。

「自分は比較的不幸である」という錯覚から脱却し、「自分は、まぁだいたいなにがあっても、幸せである」という事実を後ろ盾に、もっと前のめりに冒険して死にたいな、と思う今日このごろです。

今は火星に行きたいです

とはいえ、昨今、地球の左っ側でも右っ側でも、もはや「格差」という言葉で表現できない「断絶」が話題になっていますが、民主主義がその断絶を汲み取れなかったという疑いようの無い事実を鑑みるに、我らがジャパンでもそれは起きていて、もはや修復は無理なんじゃ無いかなと思ってて。だとすると、やっぱり地球外移住って現実的に見えてくるので、火星に限らず、地球外移住の事業やってる人いたら教えてください。マッチョな心技体を捧げます。

雑感

自分の口から「いつか◯◯をやりたいと思っている」という言葉が出ることが、ひどく悠長で、そんな悠長なことを言う自分が情けない。人間は、死にたいと思っているときになかなか死なず、生きたいと思っているときあっけなく死んだりするので、油断ならない。

以上が、2016年の夏休みの宿題になります。ご査収ください。(すごく遅い)

WET

30になってやっと立った感じがします

2015年の振り返りを書き留めておこうとずっと思っていたんだけど、2015年は僕にとってあまりにもたくさんの、深く核心に触れる出来事があって、それゆえに、僕にとって大きな転機となる年だったわけなのだけど、なのでなかなか言葉にするのをためらってしまい、そうこうしているうちにどうやら先日30歳になりました。

馬や鹿ですら1時間程度で立つというのに、僕はというと、自分の足で立つまでに30年もかかっちまったぜ、というきもちです。

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tl;dr, 例のリスト置いときます

なぜ僕たちの1年はこんなにも早く過ぎるのか

というタイトルの備忘録を書きました。ちょうど1年くらい前。結論からいうと、ここで立てた「決められた終わり」という仮説は、僕にどんぴしゃにハマった感じがあります。この仮説にもとづいて「よほどの事が無いかぎり、何も決まってなくても、1年後に会社を辞めよう」と人知れず心に誓い、ノートに辞める日付だけを書きました。じつは、それからの時間の方が、より多く、濃密に会社に貢献でき、自分にとってもエキサイティングな時間になったのでした。

まず、失敗を恐れることが少なくなり、挑戦することが増えました。決められた期限にやめる人間なのであるから、中長期的な自分への評価なんて気にする必要が無いからです。そんなことより、より多くのことを試し、誰よりも早く地雷を踏むことのほうが、いずれその地雷原を歩く誰かのためになるのはもちろん、自分にとっても鍛えられる機会が増えました。(もちろん、ひぃひぃ言いながら)

次に、目の前の人に伝えるべきことを伝えるようになりました。たとえば意見が異なったとき、口ごもったり胸にしまったりするのではなく、決められた期限に去る人間なのであるから、きっと今日伝えないとその人には伝えるチャンスが無い、と思って、積極的に伝えるようにしました。あとやっぱり今日伝えておかなきゃいけないのは、感謝の気持ちなんだろなと思う。人との別れはいつも突然に来る、っていうのも去年書いた。言えなかったありがとうほどつらいものはない。

最後に、自分が何を得るかではなく、そこに何が生まれるかにこだわるようになりました。いずれその場を去る人間にとって、その人自身が何を得るかは瑣末なことだからです。自分がどんな仕事をしており、それについてどんな良い評価を得ているとかっていうのは、そこを去れば無価値です。そんなくだらないことより、そこに生まれるソフトウェアが素晴らしいものであること、そこで働いている人たちが心身ともに健康に生きていけることのほうが大事なんですわ。っていうのは先月書いた。

こうして、「決められた終わり」を決めることで、僕の2015年は明らかに濃密で、けっして「今年も早かったなあ...」という感じの1年ではないものになりました。

容赦なく、漫然と、流れていくものが、形や色や質量を持つのであれば、そのときはじめてその時間は人生と呼べるのかもしれないなと今では感じます。

Memento mori,

仕事において別れや終わりを定義するものは、もちろん、仕事をやめることだと思う。あるいはプロジェクトで区切りがつけれる人もいるかもしれない。かつて我々が高校生だったとき、あれを人生たらしめていたのは、卒業という終わりなのではないかと僕は思う。

では、学校や仕事を離れた1個の存在として、この時間を人生たらしめるものは何なのだろうかなぁと、このとき僕は考えを巡らせていました、あれは雨が降った11月のはじめでした。

大好きな声優さんが死んだ。昼頃、訃報を知り、その日はもう仕事が手につかなかったのを生々しく覚えています。

まあ上手く言えないんですが、あんなに多くの人に愛され、多くの人を励まし、生き生きと生きていた人が、こんなにも無情に、唐突に、まるで手品のようにこの世から消えるさまを突きつけられた僕は、まあ上手く言えないんですけど、彼女の「人生」に(言い方悪いんだけど)深く「感動」しているのに気付くとともに、僕が今「必死に漫然を消費していること」が、決して彼女にとっての冒涜とかそういう無粋で陳腐な意味ではなく、あくまで自分にとって無意味で、あまりにも阿呆な行為に感じられたのでした。

「死のみが、人を生かす」そんな気がしています。

Carpe diem.

ずっと他人と自分を比べて一喜一憂して生きてきました。未来への漠然とした不安に駆られて、もがくように自己投資をしてきました。勉強をしなければ生き抜けないし、自己投資を続ければいつかはきっと自己投資しなかった奴らに差をつけられると信じてきました。

そうして僕はどんどん大人になり、漫然というレールを這い進んで、必死で幸せの順番待ちをしていました。

人は必ず死にますが、死は順番を守ってはくれません。2015年に彼らが見せた死は、そういう死でした。

いつかのために生きるのはやめよう、自分の責任で自分の人生を今日からはじめよう。他人の墨で良い結末をなぞるのはやめて、自分の血で最高の序章を書きはじめればいい。彼らの死を見て僕は突き動かされ、か細い足で立ちました。

30になってやっと立った感じがするというのは、比喩ではなく、自分の足で立つということを僕はあまりにも知らなかったんだなあという、驚きと恥ずかしさと、感謝と後悔の気持ちです。

雑感

そんなこんなで、来月からドイツで働きます。あと、夢と呼んでよさそうなものがぼんやりと見え始めたっぽいです。いささか急で挨拶とかアレだったので、帰ったら酒でも飲みに行こうよ。

現場からは以上です。

WETな備忘録として

他人と自分を比べないこと

今にいたるまでずっと、他人と自分を比べて、そして自分が優れていたときの優越感と、自分が劣っていたときの劣等感を、そういう臆病な自尊心を、原動力に生きてきたように思う。

しかし今は、少しずつだが、他人と自分を比べない方法を見つけつつある気がする。

自分の原動力が自尊心であることに気づき始めたのは2年前の夏だったようだ。 まさにこの数日後、僕は当時所属していた会社から、今の会社に転職することになる。社員数は、1500人から、15人になり、エンジニアは5人に満たなかった。

win as a team, win as a result

プログラミングに触れてからまだ3年経っていなかった僕は、スタートアップのエンジニアである彼らの高い技術力についていくのに必死だったし、居場所を自覚するために業務にいち早く貢献したかった。

そういうとき、自分の評価を気にするあまり能力を偽って(強がって?)大きく見せることは、全くこれに寄与しないということに気づいた。まだ安定していない、軌道にも乗っていない組織において、「自分の評価が良いこと」なんてそもそも屁の役にも立たない。文字通り、本末転倒である。

わからないときは、1分1秒を惜しんで聞いた方が早いし、設計に悩んだときはさっさと相談したほうがいい。オペレーションでつまづいたのなら、そのつまづいた記録が無いとあとからのサポートがまごつく。自分が如何に「無能」と認識されようと、何より大事なのは、今つくっているソフトウェアがより早くより良く稼働することである。

「お前は有能だったが、プロジェクトは頓挫した」は、チームワークにおいて意味は無い。「お前は無能を晒したが、プロジェクトは成功した」でいいのだ。それでいいのだ。それがいいのだ。

劣っているなら劣っているなりに最大限貢献できる道を必死で探したのだった。 自分のできる限りのことを、できる限りする。たとえそれによって「自分の比較的無能」を晒そうが、チームが勝つことだけが、自分にとっての成功なのだから。

僕はマクドナルドが好きだ

そういうことを考え始めてからしばらくして、自分の評価ではなく、そこに生まれるものが、良いものであるようにとだけ切に願うとき、「無能を晒す」ということが有効に働く場面があることに気づいた。

ひとつは、場の発言のハードルを下げ、率直な意見交換を促す場面だ。

マクドナルド理論」というのは、「メンバーのアイデアを引き出すため、最悪のアイデアを真っ先に出す」というものである。人は多くの場合「最良の発言」をしようとしてしまい、結局何も言い出せなかったり、不本意に他人に同調してしまったりする。しかし、「若干ましな発言」は容易であり、実際のところそれがその人の「最良の発言」であることは少なくない。したがって、誰かが最初に「糞な発言」をすることは、無能の称号を得ることになるが、チームのアウトプットは最大になることが多い。

もうひとつは、有害な暗黙知を排除する場面だ。

すでに稼働しているコミュニティの、暗黙となっている「常識」にキャッチアップするのは、意外と骨の折れる仕事であり、無知を晒すのは自尊心を傷つける仕事でもある。そうして、公衆の面前ではしばしば「理解しているように」振る舞ってしまう。これが積み重なると、暗黙知の非共有による重大な事故につながりかねない。さらに都合が悪いのは、「知る者は、知らざる者が何を知らないかを、知りようがない」ということだ。したがって、必然的に「知らざる者」による自発的質問が必要になる。これを実現するためには、誰かが最初に「糞な質問」をしておくことで、無能の称号を得ることになるが、他の「知らざる者」の自尊心を守る結果につながることが稀にある。

もし僕がこれらの仮説を確からしいと信じていて、誰もそれをしないのであれば、その誰かは別に僕であっていい。それによって無能の称号を得ようと、そこに生まれるものがより良いものになるのでさえあれば、それは僕の信じた本望なのではないだろうか。

1人くらい、僕みたいのがいてもいい

というような考え方が僕にとってあったのと同様に、きっと人にはそれぞれ所属するコミュニティ、おそらくは会社なんだろうけど、に貢献するそれぞれの方法があるのだと思います。

自分のできる限りのことを、できる限りする。競わず、比べず、できる限りの全力を以って、自己研鑽をし、そうやって醸成された個性をこそ発揮すればいい。そういうような、千差万別の貢献があってこそ、チームは成果を出せるのであって、そこになにか単一評価軸があって優劣が決まるような話ではないんじゃないかな、と。

なのだから、自分と比べて優れている()ひとが視野に入ってしまって、今までであれば劣等感を感じる場合でも、なんというか、世界にはひとりくらい僕みたいなひとがいたほうがいいんだわ、と思えるようになった、気がする。

_人人人人人人人_
> 気がするだけな <
 ̄^ Y ^ Y ^ Y ^ Y ^  ̄

雑感

人との比較をしないようにするのは、とても難しいことで、今でもその呪縛から脱出しようと頑張っている。だけど、そのひとつのヒントが

「自分の評価ではなく、そこに生まれるものが良いものであるようにとだけ、切に願う」

という考え方なのではないかと思ってる。

そういう考え方ができるようになったのは、今の会社*1のおかげであるところが大きい。

深く深く感謝。

WETな備忘録として

*1:当時の会社

幸せについて最近考えたこと

地球上の人間が「幸せ」と言うとき、実は二通りしかなくて

  • 隣人よりも幸せである
  • 昨日よりも幸せになれる

じゃないかな、と思う。したがって多くのひとは「自分が幸せだ」とは思っておらず、もっと、隣人より、と望み続けている。

嫉妬

 最近地球上で起きている「戦い」は、基本的には「隣人より幸せになりたい」、あるいは「隣人より幸せではないことを知った」ことにより起きているんではないかなと思う。地球上で「隣人」と幸せの比べっこを可能にしたのは、よく言われるように、インターネットではないだろうか。インターネットのおかげで、世界は狭くなった。前世紀なら知りえなかった「隣人」が、パソコンの中でワンクリックで覗けるようになった。彼らが何を食べ、何に笑い、何に悲しむ生活をしているか、簡単に知れる。皮肉なことにインターネット(とそのメディアとしての自己顕示欲との相性のよさ)は、世界をオープンにしたが、フレンドリーにはできなかった。世界をオープンにした結果、人々はワンクリックで、妬みや嫉みを量産できるようになった。

 幸せとは「隣人より幸せ」を意味するのであれば、地球上に仮に「完璧な平等」が実現したとしても、それは「全員の幸せ」の実現にはなりえない。地球上の「幸せ」の総和を最大にするためには、常に地球上の誰かは「不幸せ」でなければならないのである。これは仮説ではあるけれど、でも、わりと洒落にならない真実のような気がしている。

枯渇

 しかし僕らは、隣人より幸せでなくても、幸せであると感じる瞬間があるんじゃないかとも思う。「もっと幸せになれる」と信じているときだ。隣人より不味い飯を食っても、毎日しんどくても、もっと幸せになれるという希望があるなら、頑張れて、頑張れるというのは汗を流すように「幸福感」のある瞬間ではなかろうか。個人的な性癖なのかも。

 宗教問題や、南北問題など、地球上に「完璧な平等」が実現されるのはまだまだずっと先の話だとは思う。だけど、もしそれが実現してしまったら、その日から僕らは何をして幸せを感じればいいんだろうか。隣人から財産を奪うしかないというのだろうか。地球文明が宗教問題も南北問題も乗り越えたとすれば、きっと地球の資源は開発・発明・管理されきっており、僕たち(まあ俺は死んでるだろうけど)は「もっと幸せになれる」という希望は持てないだろう。

 すくなくとも、地球上ではな。

希望

 地球上に「幸せを生む格差」が消滅し、「もっと幸せになれる目算」が無くなったとき、隣人を殺す以外の希望を、僕たちは後世に残さねばならない、と最近強く考える。きっとそういう世界が訪れるのは、僕が死んでからかなり経ってからのことだろうけれど、今始めないと間に合わないこともあるんではないか?穴の空いた船の水かきだけをし続けていては、全員沈むしかないんではないか?

来る日の地球上の人間が「幸せ」を考えるとき、実は二通りしかなくて

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自分の「幸せ」

生きる以上は僕も「幸せ」でありたい。そう思ったとき、僕自身も、何かに希望を持って、僕やその子孫が「もっと幸せになれる」世界を残したいなと思うようになった。そういうもののために生きて、道半ばであっても、1区間でもいい、バトンを受け取り、次に渡すような仕事をして死んでいければ、意外と本望なのではないかな、と。

意外と、そういうのが僕の幸せなのかもしれないな、と考えるようになりました。

(ぜひ合わせて読んでほしいやつ→地球葬送曲 〜人類はガイアの癌か〜 - WETな備忘録)

WETな備忘録として