WETな備忘録

できなかったときの自分を忘れないように

誰も悪くない組織無能化の仕組み 〜ピーターの法則とブートストラップミスマッチについて〜

ぁぁぁ...

僕はかつて、無能な上司に悩んだ事がある。 しかし本当は「思うように動いてくれない部下」に僕の30倍頭を悩ませる上司が1人いるだけだった。

僕はまた、思うように動いてくれない部下に悩んだ事がある。 しかし本当は「無能な上司に悩む部下」がそこに30人いただけだったのだ。



この備忘録の目次

  • なぜ誰しもが「無能」になってしまうのだろうか
  • 組織には自ら「無能」を目指す仕組みが備わっている
  • 「適者生存の成れの果て」ピーターの法則
  • 「運が悪かった」ブートストラップミスマッチ
  • ポジションミスマッチのインパク
  • 今だからそう思えるんだけど...




なぜ誰しもが「無能」になってしまうのだろうか

無論、自分の事を「無能であり、無能であり続けてよいのだ」とは誰も思っていない。 しかし事実として、大抵の組織で上のような現象が起きていたりする。

実に汎用性のある上の例え話(身上話?)は、どういう仕組みで起きるのかなー、っていつも考えてる。

組織には自ら「無能」を目指す仕組みが備わっている

不思議なのは、

時間をかけて適切な人材配置をするノウハウが蓄積されているような大企業であっても、 人材配置について流動性のありそうなベンチャー上がりの中企業であっても、同様のことが観察され得るということだ。

実はこの構図はどうやら「集団遺伝学」の、その中のとりわけ、

に似ているんじゃないかなー、と思ったので、ここに備忘録。

※なお、ここで使う「無能」という言葉は「その人材に能力が無い」といった人物否定の意味はなく、「その人材が当該ポジションにおいて比較的に能力を発揮できない」という「状態」を表すのもであることを断っておきたい。

「適者生存の成れの果て」ピーターの法則

[自然選択とは - OR事典 Weblio辞書](http://www.weblio.jp/content/%E8%87%AA%E7%84%B6%E9%81%B8%E6%8A%9E) 〔natural selection〕ある生物に生じた遺伝的変異個体のうち生存に有利なものが生き残ること。集団遺伝学では、異なった遺伝子型をもつ個体が次代に残す子孫の数によって自然選択に対する有利さを評価する。ダーウィンが導入した概念。自然淘汰(とうた)。

「昇進」とは何だろう?僕の周りには「昇進」していく友人がたくさんいる。 そのいずれもが、今のポジションにおいて「目に見えて高いパフォーマンスをした人間」である。そのポジションにおいて高いパフォーマンスをしたら、その結果昇進し、より大きい権限と多い給料を得るのは、何も不自然なことではないと思う。

しかしながら、ふと考え恐ろしくなる。これは実際、半分笑い話で、半分笑えない話だ。

彼の怒濤の昇進が止まるのは一体いつなのだろうか?

昇進とは、今のポジションにおいて目に見えて高いパフォーマンスをした時に起きる現象なのであれば、彼の昇進が止まるのは、 「目に見えて高いパフォーマンスを出せなくなった時」 ではなかろうか。つまり、いずれ彼は「課長」なら「課長」なりに、「部長」なら「部長」なりに「平々凡々またはそれ以下な人材」と評価されて初めて、そのポジションに落ち着き、昇進が止まるのだ。

さらにこれが怖いのは、これは何も彼に限った例ではなく、程度は違えどほとんどの人に言える仕組みだということだ。

となると、組織における全てのポジションは「平々凡々またはそれ以下な人材」で埋め尽くされるということになる。

これは「ピーターの法則」と言って、組織のマネジメントにおける「笑えない笑い話」として知る人ぞ知る話。本になってる。

だから、あなたの上司が無能なのは必然であり、無能だからこそ、そのポジションに居続ける。そして逆に、あなたの部下が無能なのは必然であり、そのポジションに居させる限り、彼は無能であり続ける、

というようなことは只の落語の世界だと信じたいお...(;^ω^)

「運が悪かった」ブートストラップミスマッチ

[遺伝的浮動 - Wikipedia](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%BA%E4%BC%9D%E7%9A%84%E6%B5%AE%E5%8B%95) 遺伝的浮動(いでんてきふどう、genetic drift)とは、生物個体群での選択圧から直接影響を受けずに偶然性に左右される遺伝子プールの変化のことである。機会的浮動とも云う。

個体数が少ないからこそ、集団の遺伝子分布に急激な変化が起きることがある。

たとえば、首の短いキリンの雄と、首の長いキリンの雄がいる集団に、サファリパークのジープが突っ込んだとしよう。このとき「偶然にも」首の長いキリンがジープにひかれて死んでしまった。この群れは、首の短いキリンの遺伝子によって支配された状態で再スタートが余儀なくされるのだ。 この「個体数が少なかったときに多くを占めていた遺伝子が、生存に有利か否かは別として、個体数が大きくなっても多くを占め続ける」という現象が面白い。

ベンチャーのスタートアップにおいて、10人やそこらのメンバーに要求される能力は「オールラウンダー」であることが多い。 プロダクトにはもちろんガンガンにコミットするし、財務会計や人事企画といった内務もするし、渉外や営業もこなす。

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そして彼らが有能であったからこそ、この会社が大きくなったとしよう。たとえば300人の会社にまで成長したとする。

このとき、初期メンバーである10人は(10人のころは形にもならなかったはずの)組織のピラミッドにおいて、部下をマネジメントすることが強く求められるようになってしまう。たとえそれが彼らの能力を殺す采配であったとしても。

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これは「集団サイズが小さかった頃にそこに居てしまったゆえに、大きくなったときに管理レイヤーに「昇進」してしまう」現象であり、これを「ブートストラップミスマッチ」と言う。

ポジションミスマッチのインパク

上記の他にも様々な理由で、組織の各ポジションで「比較的無能」が配置されるミスマッチの可能性がある。

しかし、

大抵の場合、ポジションにおける無能は、ポジションが管理レイヤーになればなるほど、目立つ。

なぜなら、上級の管理レイヤーになるほど、判断の仕事に与えるインパクトは大きく、仕事の収益に与えるインパクトは大きく、ペイバックももちろん大きい。だからこそそこにミスマッチが発生すると、組織全体に対する物理的・精神的なインパクトが大きくなってしまう。

今だからそう思えるんだけど...

それゆえに、ちまたには「無能な部下」よりも「無能な上司」の方が多いような錯覚に陥ることがある。

上司1名、部下30名の例(冒頭の僕の例)では、「上司が無能だ」と主張する人間は「部下が無能だ」と主張する人間の30倍の数居るのだから、そのような錯覚に陥るのは無理も無い。

しかし、忘れちゃいけないなと思うのは、上司は部下の何十倍もの重圧を受けつつ部下の何十倍もの時間を費やし部下の何十倍も頭を悩ませているということだ。





今だからそう思えるんだけど、大切なのは「如何にして自分が無能から脱却するか」に没頭するのではなく、

「自分がどう行動すれば、相手が無能から脱却できるか」

を考えることなのではないかなー、と思う。 上司は、自分がどう行動したら部下が有能になるか。部下は、自分がどう行動したら上司が有能になるか。それを意地悪無しに考える。それだけが、ピーターの法則もブートストラップミスマッチも打破する唯一の方法のように、今の所は、そう感じる。


言うのはカンタンだけれど、かつて、そして今も、僕はそれができていなかったのだなーと、ビールを飲みながら今でもふと思い出したりするのだ。







WETな備忘録として