WETな備忘録

できなかったときの自分を忘れないように

伝わりやすい文章を書くために気をつけていること

文章を書くときにどうやれば伝わりやすいかいつも悩む。どんなことに悩んで、それをどう解決しようとしているか、毎回忘れるのもアレなのでつらつらと備忘録しておくことにした。

もくじ

  • 前提1「最初に、読者に痛みを共有してもらう」
  • 前提2「ボリューム感を伝えて、安心してもらう」
  • 実践1「1サブタイトル、1センテンスを先に書く」
  • 実践2「酔って書き、一晩寝かせて、素面で読む」
  • まとめ

前提1「最初に、読者に痛みを共有してもらう」

まず書き出しです。

どうしても「僕が主張したいことはこれです!」っていう具体的内容を先に書いちゃいたくなる。しかし読者は「いきなり何なの?お前呼んでねえし」ってなることが多い。

例1

A「コショウ入れるといいよ」

B「え?」

だから僕は、まず読者に自分の痛みを理解してもらうところから書き始めるようにしている。「僕はこれに困ってます」「僕はこれに悩んでます」「僕はこういうときこれが分からないです」といった具合だ。上の例なら、たとえばこのように

例2

A「このラーメンいまいちパンチが足らんよね...」

B「そうだよねー」

A「コショウ入れるといいよ」

B「なるほど?」

もしこの前処理をすっ飛ばすと二つの問題が発生する。ひとつは

  • この筆者の主張を読むとどんな利益があるのか分からない

ということ。もうひとつがわりと重要で

  • 読みたくない人にまで理解を強いることになる

上記の例で言うと「ラーメンにパンチが足らない」と「思ってない人」に「コショウの有用性」を説いてもしょうがなく、逆に「難解な主張だった...」という感想だけ残ってしまう。こういう人は冒頭の数行で「お引き取り願った」ほうが、むしろ文章は伝わりやすくなる、と僕は思っている。

だからまず、自分が何に困っているか(ないし、あなたもこれ困ることあるでしょ?)から書き始めると伝わりやすいのではないか。

前提2「ボリューム感を伝えて、安心してもらう」

僕の大学の恩師が僕に言った言葉があり、常々それを心がけようとしている。

「落合くん、聴衆は常に目隠しをしてると思ったほうがいいよ。このプレゼンテーションがいったいあと何分で終わるのか、今は気を抜いていいタイミングなのか、並列に並べられた要素があといくつ続くのか、次に来る話は因果関係なのか具体例なのか、聴衆はそういったことを全く知らない。この状態で君の話を聞き続けるのは、目隠しをした状態で曲がりくねった綱渡りをしているようなものさ。特に君は暗喩や論の跳躍が多いから、聴衆はたいへんに困ってしまう」

「だからね、落合くん。君はプレゼンテーションをするとき、まず地図を見せ、目隠しを取ってもらい、一緒に地図を指でなぞるように話をしたほうがいい。たとえばこのプレゼンテーションの中に君の主張がいくつあるのか、どんな種類の段落がいつ現れるのか、最初に紹介するんだ。そして、最初に渡した地図を聴衆と一緒に指差しながら進んで、今何の話をしているかを明らかにし続けるんだ」

だから、なるべく「もくじ」があるとよい。そして「もくじにおける何番目なのか」を明示したほうがいい。

実践1「1サブタイトル、1センテンスを先に書く」

「伝わりにくい文章」の多くは「何を言っているのか分からない」であり、「何を言っているのか分からない」のほとんどは「言っていることが頓珍漢である」という場合よりもむしろ「たくさんのことを言い過ぎである」に尽きる、と僕は思っている。

これを防ぐ作文法に、「言いたいことを1センテンスで先に書く」というのがある。

例1

ロミオとジュリエットは恋仲である」

「しかし両家は犬猿の仲である」

「なんとかして添い遂げようとする」

「すれ違って結局どっちも死ぬ」

例2

PHPは糞だ」

シンタックスが糞だ」

「速度が糞だ」

「標準ファンクションが糞だ」

「動的型付が糞だ」

「したがって糞だ」

このとき以下のことに気をつけている

  • 1センテンスでまとめられないのなら、そのパラグラフは分割すべきである
  • 1センテンスの集合で全体主張が完結しないのなら、その全体主張はまだ人に伝えるほど整理されていない

これを実践するために以下のアプローチをとることが多い

  1. 仮タイトルを決める
  2. サブタイトルを書き並べる
  3. 各サブタイトルで主張したいことを1センテンスで書く
  4. タイトルを決める

これだけなので、300字も書いてないと思うけれど、骨子はすでにできあがっていなければならない。そうでなければ、どこかに「詰め込み過ぎ」なのだと思う。

実践2「酔って書き、一晩寝かせて、素面で読む」

で、「意味不明なら容赦なく捨てる」である。

誰しも経験があると思うけれど、主張したいこと説明したいことがある状態で書いた文章は多少なりとも興奮状態と言っていい。これ自体は全く悪いことではなく、むしろ良いことだ。興奮状態だからこそ結びついた出来事や、自分でも気付かなかった感情などが、浮き彫りになる良い機会だ。

そして誰しもが経験あると思うけれど、そうして書いた文章は誰にも伝わらないことを知る。

なぜだろうか。それは「自分だけが分かる暗喩」や「自分だけが知ってる背景」などを余すところ無く動員して書いた文章だからだ。したがって、興奮状態で書いた文章は自分には理路整然で素晴らしいアイデアに見えるのだが、暗喩や背景を知らない人間にとってみるとポエムでしかない。

クラムボンは死んでしまった」

本来なら、気心の知れた友人に読んでもらい「ここ意味わかんない」「これ何?いきなり出てきたんだけど」「指示語が多くね?」などと指摘してもらうのが一番なのだが、自分でやるなら「一晩寝かせる」ことを心がけている。

そして翌朝の何もかも忘れたスッキリとした気持ちで文章を読み「ここ意味わかんない」「これ何?いきなり出てきたんだけど」「指示語多くね?」などと自分の文章をdisり、少しでも分かりにくい場合は「実践1」まで立ち返って書き直すべきだと、僕は思っている。

まとめ

まとめると、

  • 痛みを共有し、スタートラインとゴールラインを読者と合わせる
  • 全体感と現在位置を読者に明示する
  • 1サブタイトルは基本的に1センテンスで簡潔にまとめられる粒度に収める
  • かならず冷静になって読み返し、他人からどう見えるか感じる

なのだけれど、実は、とりわけ最初のふたつはプレゼンテーションのテクニックであり、いわゆる「エレベーターピッチ」と言われる技術である。3000字くらいの文章であれば、プレゼンテーションともライトニングトークともピッチとも、だいたい本質的には一緒なんじゃないかな、と思っております。

(ちなみにこのエントリは急ぎだったので一晩寝かせてないw)

あくまで、個人的な備忘録として。

WET