30になってやっと立った感じがします
2015年の振り返りを書き留めておこうとずっと思っていたんだけど、2015年は僕にとってあまりにもたくさんの、深く核心に触れる出来事があって、それゆえに、僕にとって大きな転機となる年だったわけなのだけど、なのでなかなか言葉にするのをためらってしまい、そうこうしているうちにどうやら先日30歳になりました。
馬や鹿ですら1時間程度で立つというのに、僕はというと、自分の足で立つまでに30年もかかっちまったぜ、というきもちです。
tl;dr, 例のリスト置いときます
なぜ僕たちの1年はこんなにも早く過ぎるのか
というタイトルの備忘録を書きました。ちょうど1年くらい前。結論からいうと、ここで立てた「決められた終わり」という仮説は、僕にどんぴしゃにハマった感じがあります。この仮説にもとづいて「よほどの事が無いかぎり、何も決まってなくても、1年後に会社を辞めよう」と人知れず心に誓い、ノートに辞める日付だけを書きました。じつは、それからの時間の方が、より多く、濃密に会社に貢献でき、自分にとってもエキサイティングな時間になったのでした。
まず、失敗を恐れることが少なくなり、挑戦することが増えました。決められた期限にやめる人間なのであるから、中長期的な自分への評価なんて気にする必要が無いからです。そんなことより、より多くのことを試し、誰よりも早く地雷を踏むことのほうが、いずれその地雷原を歩く誰かのためになるのはもちろん、自分にとっても鍛えられる機会が増えました。(もちろん、ひぃひぃ言いながら)
次に、目の前の人に伝えるべきことを伝えるようになりました。たとえば意見が異なったとき、口ごもったり胸にしまったりするのではなく、決められた期限に去る人間なのであるから、きっと今日伝えないとその人には伝えるチャンスが無い、と思って、積極的に伝えるようにしました。あとやっぱり今日伝えておかなきゃいけないのは、感謝の気持ちなんだろなと思う。人との別れはいつも突然に来る、っていうのも去年書いた。言えなかったありがとうほどつらいものはない。
最後に、自分が何を得るかではなく、そこに何が生まれるかにこだわるようになりました。いずれその場を去る人間にとって、その人自身が何を得るかは瑣末なことだからです。自分がどんな仕事をしており、それについてどんな良い評価を得ているとかっていうのは、そこを去れば無価値です。そんなくだらないことより、そこに生まれるソフトウェアが素晴らしいものであること、そこで働いている人たちが心身ともに健康に生きていけることのほうが大事なんですわ。っていうのは先月書いた。
こうして、「決められた終わり」を決めることで、僕の2015年は明らかに濃密で、けっして「今年も早かったなあ...」という感じの1年ではないものになりました。
容赦なく、漫然と、流れていくものが、形や色や質量を持つのであれば、そのときはじめてその時間は人生と呼べるのかもしれないなと今では感じます。
Memento mori,
仕事において別れや終わりを定義するものは、もちろん、仕事をやめることだと思う。あるいはプロジェクトで区切りがつけれる人もいるかもしれない。かつて我々が高校生だったとき、あれを人生たらしめていたのは、卒業という終わりなのではないかと僕は思う。
では、学校や仕事を離れた1個の存在として、この時間を人生たらしめるものは何なのだろうかなぁと、このとき僕は考えを巡らせていました、あれは雨が降った11月のはじめでした。
大好きな声優さんが死んだ。昼頃、訃報を知り、その日はもう仕事が手につかなかったのを生々しく覚えています。
まあ上手く言えないんですが、あんなに多くの人に愛され、多くの人を励まし、生き生きと生きていた人が、こんなにも無情に、唐突に、まるで手品のようにこの世から消えるさまを突きつけられた僕は、まあ上手く言えないんですけど、彼女の「人生」に(言い方悪いんだけど)深く「感動」しているのに気付くとともに、僕が今「必死に漫然を消費していること」が、決して彼女にとっての冒涜とかそういう無粋で陳腐な意味ではなく、あくまで自分にとって無意味で、あまりにも阿呆な行為に感じられたのでした。
「死のみが、人を生かす」そんな気がしています。
Carpe diem.
ずっと他人と自分を比べて一喜一憂して生きてきました。未来への漠然とした不安に駆られて、もがくように自己投資をしてきました。勉強をしなければ生き抜けないし、自己投資を続ければいつかはきっと自己投資しなかった奴らに差をつけられると信じてきました。
そうして僕はどんどん大人になり、漫然というレールを這い進んで、必死で幸せの順番待ちをしていました。
人は必ず死にますが、死は順番を守ってはくれません。2015年に彼らが見せた死は、そういう死でした。
いつかのために生きるのはやめよう、自分の責任で自分の人生を今日からはじめよう。他人の墨で良い結末をなぞるのはやめて、自分の血で最高の序章を書きはじめればいい。彼らの死を見て僕は突き動かされ、か細い足で立ちました。
30になってやっと立った感じがするというのは、比喩ではなく、自分の足で立つということを僕はあまりにも知らなかったんだなあという、驚きと恥ずかしさと、感謝と後悔の気持ちです。
雑感
そんなこんなで、来月からドイツで働きます。あと、夢と呼んでよさそうなものがぼんやりと見え始めたっぽいです。いささか急で挨拶とかアレだったので、帰ったら酒でも飲みに行こうよ。
現場からは以上です。
WETな備忘録として