WETな備忘録

できなかったときの自分を忘れないように

2022年、結婚というものをしまして

一部の友人にはすでにご報告のとおり、今年2022年の7月に入籍をしました。お相手は今年3月に出会った方です。いわゆるスピード結婚です。結婚という一般的に大きいと言われる変化を今年迎えることに、一番おどろいているのは自分自身です。

「オチアイさん結婚願望とかあったんスね〜」とよく言われるので、そこんとこ言葉にしておこうと思いました。あくまで自分のために。

tl;dr

  • 出会いはBumbleというアプリ。Pairsもやってたけどそっちは反応ほぼゼロだった。
  • 最初のデートから1ヶ月で同棲を始め、そこから3ヶ月弱で入籍しました。
  • 結婚の前に、友人からある本を薦められて2人で読んだ。これがよかった。
  • 自分のことを、およそ他人と生活なんぞできない自分勝手な人間だと思っていたが、誰かと一緒に生活することで、こんなにも生き方にメリハリが生まれ、こんなにも深く自分自身と向き合う機会が増えるとは、思っていなかった。
  • 結婚して良かったか?と聞かれると、ちょっと答えに困る。なぜなら、これからずっと、良くしていくものなんだと思うから。



WETな備忘録として

以下、拙文お付き合い頂けるとうれしいです。

願望というより好奇心

いわゆる「中年の危機」と呼ばれる虚無感にさらされ、何かこれ以上働く意味あるいは「金のかかる趣味」を見つける必要がありそうだ、と書いたのがちょうど1年前だったようです。ここにも書いたように「家庭を持つ」ということがその、これ以上働く意味あるいは「金のかかる趣味」たりうるのかどうか、まだ自信は無かったが、アラフォーにさしかかった自分にとってはもう失うものもたいして無いし、本当に「最後の機会」と考えて、今年 "も" Pairsに登録した次第でございます。

before11.hatenablog.com

Pairs自体は、これは僕だけじゃないと思うが、正直、20代のころから登録しては削除し、を定期的に繰り返していた。画面に並んだ女性を眺め、できる限りlikeするものの反応はほとんど無く、運良くメッセージを交わしても特に話すことなく消滅、からのアカウント削除。1~数年サイクルで、これを繰り返し続けていた。

そのままして、上記の備忘録のような境地に達してしまい、独身生活のプロとなったわけだけれど、独身であることに何の疑問も負い目も無く「もうこのまま独身でもいいや」と思っていたのが、去年時点の正直なところです。

であるがゆえに、であるがこそ、機会としてこれが最後だと決めていた。もうこの虚無なPairsのウィンドウショッピングは、これを最後にやめようと思っていた。別の「金のかかる趣味」、たとえば親孝行でもいい、を見つけて生きていくつもりだった。

だからこれは「結婚がしたい」という願望というより、何と言うか、自分の生き方にはまだどのくらいの可能性があるのだろうか、人と一緒に歳をとって生きていくという可能性があるのだろうか、という、半ば後ろ向きの挑戦であり、好奇心だったのだ。

このとき、Pairsだけでなく、チリに出張行ったときにチリ人にすすめられたBumbleというアプリも再開したわけだけれど、これがのちにある出会いをもたらすことになります。

婚活に、恋はいらない

生き方の可能性を知りたい、というモチベーションだったため、とにかく「飾る」ということを排除しました。着飾り、偽り、相手に好まれようとして好まれ、そこまでして結婚というものをしたい願望があったのではなく、ただただ「自分の生き方に対する好奇心」があったからです。自分はモテるという自己顕示も、相手より優位に立つという駆け引きも、ワンチャン狙いの背伸びしたディナーも、何もありませんでした。

友人の中には「飾らない」ということが、相手にとって失礼であり不誠実だとか、自分の弱さをさらけ出すことはある種の逃げであるとか、そのように否定する人もいました。僕自身、たしかにそういう失礼さ・不誠実さ・軟弱さと捉えられることもある程度理解できます。

しかし今回に限って言えば、すべてからNOと言われても構わない、もうNOなのかもしれないつもりだったので、むしろ「素の自分」をフルスイングすることこそに意味があり、合わせにいく二塁打よりも納得できる三振を望んでいたのでした。
(具体的には、Bumbleのプロフィール画像は公園でサラダチキン食ってる写真で、ファーストデートではわたしの格好は、パーカーとスウェット、便所サンダルで、場所はわたしの行きつけのビアバーでした)

そんな身勝手な私を見つけてくれて面白いと思ってくれた彼女に会えて、私は幸運だったと思います。

強いて言うなれば、婚活には恋は無かったが、結婚した今もそしてこれからも、長くゆるやかに恋をしている、ということであろう。

この人と結婚していいの?

付き合いはじめてから、フルスイングの延長ではあるんだけど、「燃え上がるような恋人関係」と「一緒に歳をとっていく関係」の違いを知るために、多くの既婚の友人、とくに離婚経験のある友人に以下の相談をして回りました。

今だから思う、結婚前に確認しておけばよかったなぁ、と思うことは何か?

回答は実にひとそれぞれでしたが、その中でも友人の1人が下記の本を薦めてくれたのが面白かったです。この本は決して「その人と結婚したらダメだぞ!」という警鐘の本ではなく「その人と結婚するつもりならこの点も話し合っといたほうがええで」というアドバイスの本なので、タイトルに気圧されずにぜひ読んでみてください。我々は2人で購入してそれぞれ読んだうえ、ディスカッションもしました。

食事の好み、清潔感、家事の分担、実家との関わり、その他いろいろポイントはあるけれど、我々の場合、

  1. 過去大きな価値観の変化を経験しており、人は変わっていくものだという許容
  2. 相手に遠慮をせず、背伸びをせず、なりたい自分になろうとすることの合意

の2点があったことが、この人と結婚しても大丈夫だ、と思える強い根拠になったと僕は思っています。

僕にとって結婚とは決して幸せの選別をすることではなく、これから何年もかけて一緒に幸せを作っていく覚悟と自信を持てる人と、運良くタイミング良く出会えたことだったのだと、振り返って感じます。

36歳にもなって「変わる」という新鮮な嬉しさ

結婚という状況の変化により、不思議なことに「自分は何がしたいのか」を今までよりいっそう孤独に、内面的に、頻繁に、強く突きつけられることが増えました。

「相手のためを思って」「相手がいるから」という便利な接頭語を使えば、いくらでも自分に嘘がつけることを発見しました。そのように嘘をついている自分に気づいた瞬間がありました。

そうではなくて「あなたのため」と言う代わりに、ひたすら「自分がしたいから」2人分のケーキを買うのである。ひたすら「自分がしたいから」皿を洗うのである。ひたすら「自分がしたいから」相手を幸せにしようとするのである。そう腑に落ちたときから、仮に表面的な行動や事象が変わらなかったとしても、いったん「自分は何がしたいのか」「そのためにやっているか」という言語化の回路を自然と経ることができるようになりました。

これから、人と一緒に歳をとり、今までに無い問題や困難を通じて、もっとこんな変化を体験するチャンスがあると思うと、「人を幸せにする趣味」というのもあながち捨てたもんじゃなかったな、と感じるわけであります。

人生はまだまだ様相を変える。自分も変わっていける。結果として目の前の人を笑顔にできるなら、生きるに十分な娯楽といえるのではなかろうか。

雑感

  • 今年、ソフトウェアが関わらないプロジェクトも担当する役職に社内転職しました。
  • とはいえOSS活動*1は続けていくつもりです。
  • 下記、いつものやつ置いておきますので、どうぞよろしくお願いいたします!

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来年はもっとWET書こうと思います。

よいお年を!

*1:最近は流行りのOpenAI Chat-GPTのAPIクライアント作りました。 https://github.com/otiai10/openaigo