WETな備忘録

できなかったときの自分を忘れないように

詐欺師との決別と、駆け出しエンジニアとの出会い。

(2) インポスター体験は、以下のような考えとして現れる

“失敗はできない”、“自分の実力じゃない”、“運がよかっただけだ”

インポスター症候群 - Wikipedia

インポスター症候群とは、自分がその道のプロとしての資格を満たしていないと感じ、周囲の人から詐欺師に思われないかと不安になることをいいます。

MIRAIBI

2020年と新型コロナ

2020年は予想に反してめちゃくちゃ忙しくなってしまった。 年始、意気揚々とエジプトに行きインド人と一緒に楽しくわいわいAndroidアプリを作っていたが、コロナによって強制帰国となった。純粋にコード書く仕事ならまだいいが、マネジメント含めて時差7時間は無理みがデカいという学びを得た。しばらくリモートでリード案件はやりたくない。

心身ともに丈夫で、独身で身軽なのであるから、これが良い方に出るような働き方を選ぶとなると、やっぱり海外出張ってのは最高で、働き方に慣れてさえしまえば海外旅行しながら生活しているようなものなので、とっても好き。

しかしそれもコロナで難しくなってしまった。

ソフトウェアエンジニアに憧れて

きっかけはニコニコとボカロだったと思う。もともと漫画やアニメは大好きだったが、ニコニコ動画のうえで連鎖するプロ顔負けの創作に心を打たれ、絶賛「自分探し中」もとい就活中だった僕は、自分もそのクリエイティブの輪に入りたくて、「名もなき人」が「有名」になっていく過程に憧れて、ソフトウェア開発者として仕事をしようと決めた。

今にして思うと、その「自分が憧れたもの」と「手段として自分が選んだもの」の間には飛躍があるように思うけれど、とにかく「何かを自分で創り出せるひと」は格好良くてシビレた。

焦燥と、詐欺師との出会い

ソフトウェア開発、という仕事が結局自分に向いていたのか未だに自信を持った答えは無いが、それでも「ひとり黙々と仕事できる」「自分が手を動かした分だけ "世界" ができていく」「人のせいにできない」というプロセスは好きになった。

ただ、それと同時に周りのエンジニア達のレベルの高さ、キャッチアップしなければならない情報の多さに目眩がした。憧れに必死に追いつこうと、終わりのない25mプールを泳ぎ続けるような無力感があった。

それでも、必死にコードを書き、焦燥から逃げるように転職をし、羞恥を噛み潰しながら稚拙なソフトウェアを世に出し続け、ある程度「ソフトウェア開発者」と呼ばれることも増えてきたとき、ある疑問から自分が逃げられないことに気づいた。

「俺は "あの" ソフトウェア開発者と名乗るに値する人間か?」

否。違う。
俺は、あの、俺の憧れたソフトウェア開発者と同じではない、ソフトウェア開発者と呼ばれることすらおこがましい、みんな誤解している、俺はただの詐欺師なのだ。

スーツ、ネクタイ、ppt

エジプトはたのしかった。ピラミッドも見た。ナイル川はデカかった。ただしメシは不味い。そもそも牛肉豚肉が無い。コロナで強制帰国になったあともひきつづき、インド人Android開発者のテックリードをやり、エジプト人アジャイルコーチをし、Azure上にCIとCDを構築したりして、思いのほか長い間お世話になりました。ありがとうございました。シュクラン!

給料上げていきたかったというのもあって、腹くくって日本で働くことにした。
コロナで外出れないですし。

最後いつ使ったかわからん1着しかないスーツを押入れから引っ張り出して、ネクタイの結び方をググった。ソフトウェア開発者としての働き方は求められていなかったが、持ち前のコミュ力とタフネスでクライアントの問題を解決するために東奔西走している。

今までの働き方とは180度ちかく違う生活で、最初は戸惑いが大きかったが「ソフトウェア開発者」と呼ばれない働き方でも価値を提供できることを知った。

おもしろいことに「ソフトウェア開発者」と呼ばれない働き方でもっと価値を提供するために、ソフトウェアを学習し始めた自分がいる。

何者になりたいかと、何者であるかは、違っていい

WEB+DB PRESS」と「Software Design」の購読を始めた。

たしかに僕は "あの" ソフトウェア開発者たちとは違うが、今ではもう、彼らと違うことを武器としている。いささか変則的ではあるけれど、そういうふうに生き抜いていくほうがコスパがよさそうだという発見がある。

その生き方をもっと洗練させるためにも、ソフトウェアを学ばないといけない。駆け出しのエンジニアとして、もっと初歩から、もっと深く、もっと速く。

もっと自分は、ニッチを、鋭く攻めていく必要がある。が、ゆえにこそ、改めてソフトウェアを勉強したいという気持ちが強い。「ソフトウェア開発者」と呼ばれることに対する後ろめたさからではなく、駆け出しエンジニアのような、再出発の気持ち。

こんなかんたんなことだったのに、長い間迷っていた。「どう呼ばれたいか」で生きているわけじゃなし。単に「武器」として、"Shape of Life" の一片として、それがあるだけなのだ。

「俺は "あの" ソフトウェア開発者と名乗るに値する人間か?」

もう名乗らんでよいのである。値なんて知らない。

詐欺師との決別と、駆け出しエンジニアとの出会い

コロナのおかげって言ったらアレだけども、憧れや焦燥を脱ぎ捨てて、やっと、自分に帰ってこれたような気がする。

もちろん「金を得た体験」による寄与がとても大きいのだけれど、
半分ぐらいは明らかに「憧れからの脱落」に起因していると感じている。

今後も、ソフトウェアを書き続けるし「ソフトウェア開発者」と呼ばれることもあるかもしれない。しかし、僕はきっとあのとき憧れた「ソフトウェア開発者」のようにはならない、なれないと思う。

それでも、

もっと、あのとき憧れた「何かを自分で創り出せるひと」であれたらいいなと思う。

ただただ、そう思うだけなのだ。

きっとこれは、憧憬ではなく、野望なのだ。


WETな備忘録として