WETな備忘録

できなかったときの自分を忘れないように

2020年 所信

所信(ショシン)とは - コトバンク
信じている事柄。信ずるところ。

自分の備忘録として

tl;dr

  1. 中長期の計画をし、遂行する
  2. アウトプットより、インプットを優先する
  3. 健康のための犠牲を、意識的に計上する

以上です。








以下、根拠など。

2019年なにをしたか

  • 転職をした
    • ソフトウェアを主業としない会社に転職した。わからないことだらけだったし、今でもわからないことだらけではあるけれど、それでもそこそこ面白かった。とりあえず1年生き残ったので、もうちょっと頑張ってみたい。
    • 期せずしてだいたい社内無職を謳歌していたので、後述のDTMをはじめ、めっちゃ趣味が捗ったんだけど、もうちょっとちゃんとキャリアパス構築に投資するべきだったと反省している。
  • DTMを始めた
    • 2018年末からほそぼそとマッシュアップSoundCloudにアップし続けて、反響があったり無かったりして、楽しめた。
    • ただ、やはりクオリティが頭打ちしており、楽器などの経験も皆無だし、やはりいっぺんちゃんと音楽の勉強したいな、という気持ちになったのでとりあえず初心者用の音楽理論の本を買った。
  • チリで働いた
    • 当ブログでも書いたけれど、社内無職してた自分にいきなり舞い込んで来たプロジェクトが南米はチリだった。今デモで荒れに荒れてるんだけど、催涙スプレーや投石や路上放火を見るなど日本ではなかなかできない体験ができてとても有意義だった。
    • 放っておけばスペイン語で進むコミュニケーションに英語で入って行き、チリ人のメンバーとめちゃくちゃ良い関係を築けたのは、やっぱり自分ソフトスキルすげーなという再確認になった。コミュ力が強い。
  • 自作OSSがStar 1k達成した
    • 2013年からシコシコと書き続けているGoのOCRパッケージが、先日Star 1000を達成した。1kという表記は感慨深いです。
      • なお、このGoのOCRパッケージは艦これウィジェットのサーバサイドOCRにも使われており、初期の開発動機は「自分が使いたい」でした。
        • 逆に艦これウィジェットに関しては更新が滞っており、Twitter上に相互のユーザさんもいるので、申し訳ない気持ちです。来年はがんばりたい。
    • とはいえ、このGoのOCRパッケージは、C++で実装されたTesseract-OCRAPIをCGoで呼び出すブリッジに過ぎないので、CGoを使わない完全なポートとか書いてみたい。しんどいだろうけど。ミニマムスタートな感じで。
  • 遠距離恋愛が始まり、遠距離恋愛が終わった
    • 遠距離は無理、という知見を得た。
  • 5kg太った
    • たしかに長期出張が社会人アメフトリーグのメインシーズンにモロ被りしたというのもあるけれど、それにしても2019年はほとんど身体を動かすことが無かったと思う。よかれと思ってキックボクシングを始めたりしたけれど、これも正直続かんなという気持ち。ジム通いとかもってのほか。ぜったい続かん。
    • 消化器系、循環器系に違和感を感じるようになったので、さすがに「健康そのもの」の優先度を上げざるを得ない。アクティビティから得られる産物ではなくて、健康そのもの。

2020年どうしたいか

  1. 中長期の計画をし、遂行する
    • 今の会社は個人のキャリアプランなどは個人の責任で、まあなんつーかそれ当たり前なんだけど、ちゃんと「どういうスキルを身に着けてどういう人材になっていきたいか」という中長期計画を自分が作り、沿っていく必要がある。
    • 今まではかなり場当たり的に生きてきており、仕事も趣味も、興味分野を取っ散らかして食い散らかしてきたと思う。その結果、たしかに「謎のソフトスキル」は身についたが、とくに専門分野があるわけでもないし「これが強みッス!」みたいなものも無い。趣味のアウトプットも「とりあえずやってみた」はいいけれどあまり向上が見られてない深さが無い。青木真也に言わせれば「欲望が散らかっている」ってやつだと思う。
    • そろそろ、自分の責任で「自分がどうなりたいか」を真剣に考えるときかもしれない。40は不惑って言うし、まだまだ先だけど。
    • 2020年は「アレやりたい→今日やろう!」という短絡的な行動力だけに身を任せるのではなく、「アレやりたい」の期待される目標を定義して、週単位で学習計画を見積もり、それに沿っていくという活動をしたい。まぁリハビリです。
  2. アウトプットより、インプットを優先する
    • これはただの自分の性癖なんですけど、仕事でも趣味でも、今までスキルの向上というのは「稚拙でもアウトプットをまず出して、それを継続的に向上していくことによって成し遂げられる」という哲学*1でやってきた。
    • それ自体、間違ってはいなかったと思う。けれど、今の自分にとっては、そろそろこのアプローチは限界のように感じる。
    • 興味分野が多角化するにしたがって、ひとつ1つに継続的なコミットメントを保証できなくなって、結局は広く浅く食い散らかしただけ、というのが現状。
    • ひとつ1つの品質向上を図るということと、興味の自発的多角化を抑制するという目的で、アウトプットよりもインプットを優先したい。
      • 主に書籍や、勉強会、ワークショップ、ラーニングなどになると思う。
    • 結果的に、WETよりもDRYの更新が増えるようにしたい。
  3. 健康のための犠牲を、意識的に計上する
    • なんとなく「あ〜健康になりてぇ〜」「痩せてぇ〜」って言ってた。
    • 華麗に解決する策があると思ってた。キックボクシング始める、とかね。
    • キックボクシング始めたら、オシャレだし、人もいるし、週1で自動的にモチベーションが上がったりするんだろうな、と思ってた。
    • 無駄である...!
    • たとえば「その飲み会には行かない」とか「ベッドから出る」とか「1日10分」とか、そういう具体的な「犠牲」を計上しないと健康には実現されないのではないだろうか。そこに銀の弾丸は無い。
    • とりあえず10kgぐらい痩せたい。
    • 酒は毒。

雑感

  • 2020年だし、年収2020万円にならねぇかな

無能な同僚と働くということ。

君へ、

つい最近まで、南米で3ヶ月ほどデータエンジニアとして仕事していた。Tシャツで帰ってきて震えた。寒くて。

僕にとって2019年は、あんまりいろんなことが無かったくせに、いや糞ヒマだったからこそ、いろいろ考えることが多い1年だったと思う。最後の3ヶ月以外は、基本的にヒマだった。

過去に僕はベルリンで1年ほど働いていたこと*1があり、まあ結論からいうと音を上げて、日本に逃げ帰ってきた。何がそんなにしんどかったかというと、ベルリンは十分英語で生活できるとはいえ、ドイツ語関連のトラブルシューティングに付き合ってくれるドイツ人の友人を作ることができなかったというのが大きいが、そういう人間関係を構築することが出来なかったことも含めて、当時所属していた会社の上司および同僚と上手くいかなかったのが致命的だった。

とくに、エンジニアの同僚氏、つまり君は、まったく許せなかった。

あれからもう3年も経ち、おもしろいことに、いやぜんぜんおもしろくはないんだけど、最近また同じような不満を、今の職場のある同僚に抱いた。怒りではない。不満、というか嫌悪感だろうか。

何がそんなに嫌だったか

彼、その同僚は躊躇も無く「あなたは私より技術力があるのだから私を教育してほしい」と言った。

3年越しに「君」に再会したかのような感覚だった。僕はベルリンでの出来事がフラッシュバックして、一瞬混乱した。彼は君ではないんだけど、同じようなことを言った。

彼は、僕と同じポジションであり、僕と同じぐらい給料をもらっており、なんなら僕より先に昇進するだのという噂を耳にしており、客には同じ工数で握っており、そんな中で「教育してほしい」とは何事だろうかという憤りがあった。

OKわかった、じゃあこの件はこういう技術調査をして、こういうアウトプットを期待しています。明後日終わりぐらいまでにできるか?というと「それはやりたくない」と言う。

またある時は、ある実装のアイデアを僕に求めて僕がそれを答えると「自分にはできない」と言ってナイーブなソリューションを選んだ。

おそらく僕は、彼に対して、

  1. 技術者として教えてもらうこと前提である
  2. チームのためでも自分の興味分野以外は拒否する
  3. 技術的な課題を自力で解決できることを目指していない

というような点に不満を感じていたと思う。

僕は君にどうしてほしかったか

そしてこれはまさに、ベルリンにいるとき、君に対して抱いていた不満だったと思う。君は知らなかっただろうけど。

僕自身も、この不満をちゃんと言語化して彼に(君に)共有してはいなかったけれど、僕は君に以下のようなことを知ってほしかった。

  • 技術者としてやっていくなら、技術の問題に自分で取り組まねばならない
  • チームの成功のために、やらねばならないことはやらねばならない
  • 多少負荷のあるタスクに取り組まないと技術力は身につかない

しかし、僕が3年前にベルリンで君に思ったことと同じことが、2019年にも起きるというのは、あまりにも偶然が過ぎるとも思った。僕は、同じような属性の、同じような特性の、同じように問題を持つ人物に、同じような境遇で出会ったのだろうか。

説明変数 "俺"

情報量規準*2っていう考え方があって、なにか観測される事象があってそれを説明するもっともらしい変数が、乱暴にいえば「少ないほうがいい」っていうやつで。

僕が経験した2つの事柄は、ともに君と彼に問題があったから引き起こされたのではなく、ある共通した1つの変数によって引き起こされたと考えるほうが合点がいくんですよ。

そう、この場合、僕です。僕に問題があったと考えるほうが、説明がつくんです。

ハンマーで頭を殴られたような衝撃、っていうのはこういうのを言う。

君は僕にどうしてほしかっただろうか

今にして思い出すと、僕が君にしてほしかったことも、君が僕にしてほしかったことも、僕たちは意見交換のひとつもしなかった。もちろん、それはあのベルリンでの目まぐるしい激務の中で時間がとれなかったというのもあるけれど、ちょっと5分コーヒータイムを一緒にするぐらいはできたはずだ。

なのに、僕は、君が僕にどうしてほしかったかなんて考えたことも無かった。今となっては想像するしかできないけれど、

  • 「教育してほしい」というのは、決して「あなたのようになりたい」ではない
  • 自分の目指す方向がチームの成功に沿うようにマネジメントしてほしい。逆ではない
  • あなたが学んだのと同じ方法で自分が技術者になれるわけではない
  • あなたは私を悪者のように思っている

と君は思っていたんじゃないかと思う。

僕はどうするべきだったか

幸いなことに、今のチームでは、僕にそれを気づかせてくれる人も仕組みもあって、僕があの時どうするべきだったかなんとなく自分の中の答えはある。あの時、君が僕にどうしてほしかったかを考えると、きっと僕があの時するべきだったのは、一人で躍起になってすべての火を消して見せるのではなく、

  • どうなっていきたいかをもっと相談にのるべきだった
  • 僕も、僕が、どうなっていきたいかもっと共有するべきだった
  • そういうメンタリングも含めてやっています、という握りをすべきだった
  • そういう不和も含めて、もっとチームと話すべきだった

つまり、無能は僕だったのだ。一人で勝手に大変ぶって、チームに悪者をつくりあげて、それを解決することで自分がいかに貢献しているかを見せびらかしていたのだと思う。君が僕を揶揄した「heroism」というのは、あながち間違いではなかった。

本当に無能な同僚と働いていたのは、他でもない、君だった。

無能な同僚と働くということ

「無能な同僚と働いている」と感じていたのは、僕が無能だったからだ。

仕事はひとりでやっているのではない。特に、僕らがやるようなことは、ひとりではできない、ひとりではやっていない。十人十色、千差万別の野心の集合体としてチームが存在し、それぞれの野心のベクトルの和が「チームの成功」に最大限寄与するようにアレンジするのが、僕のするべき「マネジメント」であったはずだ。

責任感という都合の良い言葉は、他人からしてみれば独り善がりのオナニーにすぎない。責任感を持ってやるのは良いが、他人に「責任感」を要求するのは、自分の行動価値観を都合よく押し付けているに過ぎない。

人は必ずしも「チームの成功」を第一の目的として働いているのではない。人が皆「チームの成功」を第一として働いている、というのはただの思い込み、あるいは願望である。であるがゆえに、「責任感を持つべき」というのは、あるい一つの価値観から導き出された「チーム成功への貢献の一つの解」ではあろうが、自分の考える「責任感」とかいう曖昧なものがあたかも共通の、絶対の動機になりうると履き違えてはいけない。

もし僕がまた「無能な同僚と働いている」と感じることがあれば、本当に無能なのは他の誰でもなく僕であり、あの時から僕は何も進歩していないということになるだろう。

もう君に会うことは無いだろう。

会っても僕は君に挨拶なんてしない。ただ、君のような人にまた出会ったら、きっと次はもっと上手くやれると思う。それは間違いなく君のおかげであり、僕はベルリンでそれに気づけていなかった。


一言、君に伝えるとすれば、ごめん、と言いたい。



自戒を込めて、WETな備忘録として




雑感

  • 今まで、行きあたりばったりで生きてきたツケが、2019年に回ってきた
  • 2020年は、もっと計画的・戦略的に動きたいと思う
  • 中長期的になにか考えるの苦手
  • 良いお年を
  • 2月に銭湯でのんびり音楽聞くイベントやるので来てね 👉https://yukemuli.dance/

空の青さを知らず

南米での2ヶ月の仕事を終えて、日本に帰ってきた矢先「また行って。なる早で」と言われ、なるほどね、となりながら今話題の映画『空の青さを知る人よ』を観た。絶妙な伏線回収や大胆などんでん返しがあるわけではなく、テーマ自体もまあよくあるもなのだが、僕は頭がいたくなるぐらい泣いた。観終わったころには目が腫れていた。日本に帰ってきてよかった。日本最高。

親愛なる焦燥へ

ある能力が「当たり前だ」と思っていた頃は、自覚無く、その能力を研鑽できていたのだと思う。が、それは同時に「当たり前だ」と思っているがゆえに自己評価が低く「このままでは死ぬ」という焦燥を常に伴っており、生きている心地がしない毎日でもあった。ただ、たしかに、この恐怖感と焦燥感が自分を強くしたのは疑いようもない事実だと思う。

さまざまなきっかけを経て、人間はそのままである程度うつくしい、ということに気づいてしまい、自分が「当たり前だ」と思っていたモノたちが、実は「当たり前」ではないという自覚を得た。これは自信につながり、自分の売り方を変えた。超人と真っ向から勝負するのではなく、憧れの超人たちが拾えない玉を、いい感じに拾うということが、それはそれで僕にしかできない仕事なのだという自負を持つようになった。

肩の荷がおりたように、生きやすくなった。何事にも、嫌なら "No" と言えるようになった。好きなものやひとを好きと言えるようになった。

しかし一方でこの発見は、長いあいだ僕を育ててくれた、あの恐怖感と焦燥感から僕を逃してしまった。暗くて狭いあの部屋から。そして、今振り返ってみると、半年何も変化していない自分を見つけた。日々の仕事に追われ、あるいはたいして上手くもない趣味に没頭し、適度にたのしい日々を過ごしながら、何も研鑽されていない。ゆるやかに老いているだけだ。

かつて僕を強くしたあの焦燥は、もう隣にはいない。

君は今、どこで何をしているんだろうか。僕から君を去ったとはいえ、また逢えたら、今度はもっと仲良くなりたい。

錯覚不幸と幸せ迷子

これはたぶんマジなんだけど、日本って「幸せの押し売り」がすごい。仕事・結婚・趣味嗜好、ありとあらゆることに強いロールモデル、いわば「正解」があって、それだけが実に「幸せ」であり「それ以外は失敗です!」みたいなやつ。テレビCM、電車の中吊り、新聞、ツイッター、どこに逃げても「いかにお前は不幸せか」ということを懇切丁寧に説得してくれており、じゃあどうやったら「その幸せ」とやらを手に入れれるのか、という質問にはいっさい答えてくれない。

海外とくらべると、二言目にはすぐ「海外は〜」とか言うような薄っぺらには絶対なりたくねえんだけど、やっぱり日本って特殊で、海外で気付けることは多くて、とくに自分の経験した国の人々は「自分の幸せを人任せにしない」「自分の幸せの定義に自分で責任を持つ」ということをちゃんと心得ており、そういった意味では、彼らから見れば日本人ってどうしたって「ひたすらにガキ」なのである。いつまで先生の言う通りにしてるの?いつまで誰かが自分を幸せにしてくれると信じてるの?っていう感じで。ブラック労働とか過労死とかその顕著な例です。

というカルチャーショックを数年前に僕も受けて「もう幸せを人任せにしないぞ!」という決意をして、いたずらに自分と他人を比べたりするのとか、社会や会社が自分をきっと評価してくれるという妄想を捨てたりしたら、メディアによる「錯覚不幸」の呪詛から解放され、人生という時間がだいぶラクになった。

と、同時に「俺はいったい何をやりたかったのか」「俺は本当は何者になりたかったのか」という本質的な問に素っ裸で晒されることになる。あー僕はこういうことからずっと逃げてきたんだな、とヒシヒシと痛感する。今まで道標のようにずっと側にいてくれた「錯覚不幸」はもう僕のケツを叩いてくれることはなく、無慈悲な自由を僕は手に入れて、自分の幸せとはいったい何だったのかという迷子になっている感じだ。

悪い意味で、見事に僕は僕の忌み嫌う「教育」の立派な成功事例であり、内発的なものはなーんも無い、からっぽ、ただただ外から与えられた競争や枠組みに対して抵抗してみせることでしか自分をつくれない箱入り娘だったわけである。

それを今更気づいてしまった。

僕は空の青さを知らない

※ ネタバレを含むので観てないひとは以下のリンクを踏む。

TOHO THEATER LIST/空の青さを知る人よシアターリスト

『空の青さを知る人よ』の中で、登場人物「しんの」は「お前は先に進んだんだ」と言い、それをうけて「慎之介」は「俺はまだ途中らしい」と気づく。物語の前半では、若い「しんの」は野心の象徴かのように描かれているが、クライマックスに近づくにつれ、実は懐古と恐怖心の象徴であり、スれて冴えない中年になった「慎之介」こそが情熱の体現者であった、という構図が描かれる。決して単純な二項対立で僕たちに訴えかけるではなく、あくまで前向きに、幼いときの自分を思い出させ、なおかつ現状や歩いてきた道を否定せず、しかし今からでも前に踏み出す勇気をくれるような作品だった。

このくらいの粒度のテーマがさらに2,3個描かれているため、全体のストーリーとしては大味になってしまうわけだけれど。もっかい観に行こうかな。

まあしかしですね、観ててわかったんですけど、俺の中には「しんの」どころか「慎之介」すらいねえ。強烈な衝動も、捨てられない懐古も、くすぶる野心も無え。ただただ、この狭い世界から出たくて、なるべく遠くに行きたくて、今あるものを嫌がって、何を目指すわけでもなくもがいていただけで、南米で仕事して戻ってきて映画観たら何も残ってねえの。

何もいらない、何もしたくない。息しているだけで2000万円くれ。

焦燥の先、衝動の前

結局、ここに戻って来てしまった。どれだけ逃げても、結局自分からは逃げられないな、という気持ちがある。自分というものが一番わからないもので。汝を傷つけた槍だけが、汝を癒やすことができるというやつ。

さすがにいい歳だし、もうこれ以上「自分探し」なんてしたくねえんだけど、しょーがねーだろ赤ちゃんなんだから、と思います。とりあえずいっぺんしょーもない糞をアウトプットすることで「俺はやっている」と自分を納得させるのをやめて、拠り所を無くそうと思う。

言い訳がましく人生を楽しんでいるように見せるんではなくて。

人並みに紆余曲折を経て、多少生きるのが上手くなったところで、今まで逃げてきたものからの対峙は免れないということを再確認したような気がします。青臭くて口にするのも恥ずかしいけれど、誰が言ったとかじゃなくて何から逃げたいとかじゃなくて自分が何者かとかどうでもよくて「いったい何がしたいのか」というのと、正面切ってケリつけなければならないようです。

しょーがねーだろ、わかんねーんだから。

雑感

長期海外出張に行く前に一度顔を出してきりだった行きつけの飲み屋のママ(♂)に会いに行ったら、その日の朝に死んだらしい。これは完全に俺呼ばれたな、と思った。
関係者各位に混じって、泣くほど飲んだ。

たぶん全部まとめて「女々しいわねえ〜」と叱られると思う。

WETな備忘録として

現役プレイヤーから見た日大アメフト部「タックル」事件

この件に関しては、当該大学アメリカンフットボール部の誠意ある対応と、日本アメリカンフットボール協会・関東学生アメリカンフットボール連盟の先見性のある対策を信じていたので特に発信すべきことは無いと思っていました。

しかし、日本大学の対応はあまりに酷く、協会も連盟もことごとく後手にまわり、日に日にゴシップ色がつよくなるマスメディアのおもちゃにされている現状に危機感を覚え、あくまで、今後もアメリカンフットボールを続けていきたい1プレイヤーとして、自分の切実な意見をまとめるに至りました*1

僕は高校からアメフトを始め、大学では関西学生リーグで、現在でも関東社会人リーグでプレーしています。学生のときは件の日大とも対戦し、当時はすでに故・篠竹幹夫監督が退任され、内田正人監督体制であったと記憶しています。僕の知る日大アメフト部「フェニックス」*2は、強く、尊敬できるチームでした。

「潰せ」という言葉は、よく使う言葉であるか

まったく不本意ではあるけれど、今回の事件で「アメリカンフットボール」というスポーツは、今まで気にも留めなかった人も含めて多くの人の注目するところとなりました。なので、ここであえて「アメリカンフットボール」の概要について詳しく述べるということはしませんが、一例として以下の動画を見てくれたら、その雰囲気ぐらいは分かると思います。

※ 上の動画において反則に該当するもの(反則の紹介は末尾に付録します)

  • 2:49: ボールを投げ終えたあとのQBをタックルしており「ラフィング・ザ・パサー」に該当します
  • 3:04: 明らかにパス失敗となった後にタックルしており「レイトヒット」の可能性があります
  • 3:51: 「ヘルメットクラウンでの接触」に該当する可能性があります

いくつかのプレーは反則に該当していますが、それを除けばそのほとんどが「称賛すべきハードヒット」であり、アメリカンフットボールの魅力であるといえます。スポーツとしてのこの性質は、極めて格闘技に近いということが理解できるかと思います。格闘技の性質がある以上、ルールに違反しない範囲で「相手を壊そう」という意志が無いとは言い切れません。それは、ボクサーがロングフックを打つとき、総合格闘技が腕十字を極めるとき「相手を壊す意図が無いか?」と訊くことに似ています。

僕自身、学生時代は「相手を潰せ」という発言は、コーチに言われましたし、自分自身がコーチをしている時は、選手にそれを言うこともありました。学生の1部リーグで真剣にアメリカンフットボールをしていたら、こういう表現を1度も聞いたことが無いという人はいないかと思います。それだけ、アメリカンフットボールは局所的には格闘技に近いスポーツだと言えます。

「1プレー目から」「QBを」「潰せ」の異常性

しかしながら、これと同時にアメリカンフットボールは大局的に見ると高度に知的な戦略性を要求されます。

下の図は、オフェンスチーム(⚪や⚫で表現されている11人)が、ディフェンス選手(アルファベットで表現されている11人)をどのようにブロックして、最終的にボールを持つ人(⚫)を前進させるかを表した「アサインメント」(Assignment: 役割)の1例です。

(分かる人が見れば、オフェンスはディフェンスプレーヤーの右側に回り込みブロックして、最初左にいた人がそこを走り抜ける、というようなプレーに見えます)

f:id:otiai10:20180527202216p:plain

The 3 Back Option Football Spot: Running the Rocket with Downhill" blocks. Part I より

このような「アサインメント」によって定義される「オフェンスのプレー」を100種類以上準備し、試合に臨みます。もちろん、これに対するディフェンスの「アラインメント」(Alignment: 配置)は完全に予想できないので、1種類のプレーでも「アサインメント」は複数のバリエーションを持つことになり、覚えるべきことは爆発的に増えます。

一方、ディフェンスにとっては、オフェンスがどのようなプレーをどのようなフォーメーションからどのようなアサインメントで繰り出してくるか知りようがないので、それぞれ11人のディフェンスプレーヤーが厳格にゾーンを分割し、役割を分担し、自分の「レスポンシビリティ」(Responsibility: 責任)を死守します。

つまり、上記の動画における「ナイスタックル」のほとんどは、数百以上あるオフェンスプレーのバリエーションのうち1試合で1度来るかどうかわからない、自分のレスポンシビリティと真正面から合致するプレーが来たときにのみ発揮できるパフォーマンス なのです。

ここから、日大の加害選手が言われたとされる「アラインはどこでもいいから、1プレー目からQBを潰せ」*3という発言が、アメリカンフットボールを実際にプレーするうえで、いかに異常なものであるかが理解できるかと思います。

まず、「アラインはどこでもいい」というのはディフェンスとしてのレスポンシビリティ(責任)を放棄して良いという意味とほぼ等価であり、「1プレー目から」「QBを」というのは、ほんらい千載一遇であるはずのハードタックルのチャンスを、意図的に、フットボールの正当なプレーとは関係なく、作為的に狙え、という意味に聞こえるはずです。

この視点は、関西学院大学の鳥内監督もその会見において触れており、アメリカンフットボールの関係者であれば、意味が理解できたのではないかと思います。

「“1プレー目でつぶせ”は異常なこと」関学大監督 | NHKニュース

関学大の会見一問一答、鳥内秀晃監督「『1プレー目で潰してこい』は異常」(日大の危険タックル問題)

逆に言うなれば、このようにアメリカンフットボールとは、戦術とルールを無視すれば、人の命を簡単に危険に晒すことができるスポーツであるとも言えます。

これは、アメリカンフットボールが内包するたいへん重大な問題であり、アメリカンフットボールの歴史の上で、そして現在でもしばしば指摘され、また継続的に改善されている問題であります。

アメリカンフットボールにおけるルールと審判

近代アメリカンフットボールのルール整備に関しては、アメリカ第26代大統領 セオドア・ルーズベルトのエピソードがとっても有名で面白いです。

第17話 アメリカンフットボールの起源と歴史 第7章|久保田薫コラム|株式会社キュービィクラブ

第22話 アメフトの歴史と大統領の関わり 第1章|久保田薫コラム|株式会社キュービィクラブ

1905年アメフトは危険だから禁止にする。 - 歴史 解決済み| 【OKWAVE】

先述のように、アメリカンフットボールは局所的には格闘技としての要素が強く、たいへん危険なスポーツと言えます。だからこそ、アメリカンフットボールのルールは選手の安全を第一に設計されており、悪質・意図的であるかにかかわらず危険なプレーには、選手の資格没収にとどまらずコーチや組織にまで及ぶ、重い罰則が科せられています。


一般にスポーツの「ルール」と「審判」には

両者の平等な競い合いを規定する

という役割があるかと思います。

これに加えて、他のコンタクトスポーツないし格闘技と同様に、アメリカンフットボールというスポーツは「ルールを無視さえすれば人を殺すこともできる」という性質がある以上、

両者の生命の安全を守る

という役割があると僕は思っています。これは大きな差であり、アメリカンフットボールの審判の最優先される責任であるべきです。アメリカンフットボールの安全は、「ルール」と、それを施行する「審判」という存在によってのみ、絶対的に保証され、規定されるべきです。

したがって、これからも僕がアメリカンフットボールをプレーし続けるうえで、日大監督の発言の真偽や、指導責任や、日大アメリカンフットボール部の内心の哲学の善悪は、直接的に僕の関心事ではありません。義憤で日大を叩く行為は、今後も「アメリカンフットボール」を「安全に」プレーし続けるうえで、まったく本質的な議論を生んでいません。

日本における「アメリカンフットボール」というスポーツの未来のために、起こすべきアクションは、他のところにあります。

関東学生アメリカンフットボール共同宣言

実際に日大アメフト部「フェニックス」と対戦し得る立場のチームにとって、事実が明らかになり問題の再発防止が確約できない以上、自分たちの生命を危険に晒す相手と試合をすることはできない、とするのは至極当然なことです。(事件の1週間後に交流戦してる関大*4はすげえなと思う。寛大なんだろうか。関大だけに)

日大アメフト、連盟15チームから対戦拒否方針 : スポーツ報知

事の真相の如何に関わらず、アメリカンフットボールの安全を脅かす酷い反則行為をした選手をベンチに下げないようなチームは、軽蔑され、忌避されるべきです。

また、関東学生アメリカンフットボールリーグの日大以外のチームは、以下の文書を公開しました。

関東学生アメリカンフットボール共同宣言 2018

事の真相の如何に関わらず、あのような反則行為が発生することを看過するような態度は軽蔑され忌避されるべきだということを、表明しなければならないと思います。

審判の責任と、再発防止に向けた声明と提言

一方、僕のように実際に日大アメフト部「フェニックス」と直接対戦する可能性が低い立場として、この件には別の危機感と恐怖を覚えます。

それは、審判の判断です。

f:id:otiai10:20180527192109p:plain

注意: 当該選手の背番号部分に一部編集を加えています。が、審判の位置などは実際の状態のままです。

上記は、当該選手による1度目の反則が発生する1秒弱前の画像です。フィールド内の全選手が「パス失敗」を認識し、減速する姿勢をとっているのが見て取れます。しかし、審判の目の前にいる当該選手だけが、スピードを落とさず被害選手に突っ込もうとしている、極めて異様な図です。

この直後、当該選手は被害選手の腰下へ全力でタックルし、これが「不必要な乱暴行為」という反則が適用され、15ヤードの罰退とともに、おそらく「自動的なファーストダウン」(野球で言えばアウトのリセット)も与えられていると思われます。

しかしながら、僕は、この処分が極めて不適切であったと思います。少なくとも上記の行為は「不必要な乱暴行為」の1つとして処分するには重大すぎる反則であり、少なくとも以下の3つの反則が適用されるべきです。

  1. レイトヒット
  2. ラフィングザパサー
  3. ひどい反則

これは、これが「監督の指示」だとか今回の件がゴシップ的にここまで大きくなったこととはまったく関係なく、客観的な事象としてあの日のフィールドにおいて適用されるべき「ルール」です。

何度も言うように、アメリカンフットボールにおける「ルール」と「審判」は、スポーツ一般に言える「両者の平等な競い合いを規定する」以上に「両者の生命の安全を守る」という役割があるのだから、このような反則行為に関しては、より一層敏感に判断・対応すべきでした

事実、関東学生アメリカンフットボール連盟は公式に罰則が過小であったことを認めています*5

このプレーの直後、この選手をベンチに引っ込めない日大もどうかしてるとは思いますが、僕にとって見れば、これで1発で資格没収(退場)にしないこの審判のほうがよっぽどサイコパス。マジで怖い。

この後、当該選手が資格没収処分されるまでにさらに数回の反則を「要した」わけですが、1回目のこのプレーが最大に危険で、最大に悪質であり、1回目のこのプレーが資格没収を伴わないなら、アメリカンフットボールにおける「傷害事件」は今後も発生し得ます。

僕は、日大アメフト部と直接対戦する可能性はほぼ無いので「日大との対戦を拒否する声明」を出すのはお門違いです。しかし、この審判のもとでアメフトの試合をする可能性は有ります。したがって僕が出すのは「この審判が担当する試合への出場を拒否する声明」です。そして、僕が関東学生アメリカンフットボール連盟に求めることは、

  1. 当該審判の審判資格の没収
  2. 日本アメリカンフットボール審判協会*6による当該審判の審判資格者講習の再実施

というのが、1プレイヤーとしての切実な願いであります。

「堂々と勝ち、堂々と負けよ」

被害選手の保護者が被害届を提出*7し、日本スポーツ庁が調査に乗り出す事態*8にまで至ったのは、関東学生アメリカンフットボール連盟、および日本アメリカンフットボール協会が、しかるべき責任を全うし真っ先に調査を名乗り出なかったことに起因していると僕は思います。

今回の件は、本来ならば審判が正しい判断を下して1回目のプレーで資格没収を宣告すべきでしたが、そうはならず、様々なメディアから注目されるところとなり、結果として日本のアメリカンフットボールに対する大きな、そして必要な、問題提起となりました。

報道や世論は完全に「日本大学の倫理・哲学の不健全性」という論点で熱狂しておりますが、日本の片隅で今週末も練習をしこれからもアメリカンフットボールを愛していきたい僕にとっては、正しく、未来につながる議論がなされることを切に願っています。

「チームが窮地のときこそ、矢面に立ち奮闘できる人間になれ」というのは、僕が学生時代にアメリカンフットボールを通じて学んだことのひとつです。正しく権威のある者が、この状況で必要な振る舞いをできるかどうかが、今後の日本アメリカンフットボールの発展に大きく影響するような気がしております。

アメリカンフットボールは素晴らしいスポーツです。多くのことをアメフトを通じて学びました。*9

僕も、アメリカンフットボールという素晴らしいスポーツ、そして僕が心から愛するスポーツに対して、今後も真摯な姿勢で取り組んでいくことを、志を同じくする人たちとともに、あらためてここに宣言します。

WETな備忘録として

付録: 関係する公式規則

公式規則 | 公益社団法人 日本アメリカンフットボール協会
そのリンクから、現行規則のPDF版 を参照のこと。

以下、すべて 第 9 篇 公式規則の適用を受ける者の行為 より

  • 第1章, 第1条 ひどい反則
    • 試合開始前,試合中または各節の間を通じ,すべてのひどい反則(参照:2−10−3)は資格没収とする。
  • 第1章, 第3条 ターゲティングしてヘルメットのクラウン*10で強力な接触をすること
    • すべてのプレーヤーは,ターゲティングしてヘルメットのクラウンで相手に強力な接触をしては ならない。
  • 第1章, 第9条 ラフィング ザ パサー
    • 明らかにボールが投げられた後は,パサーへの突き当り,またはパサーをグラウンドに投げつけてはならない。
  • 第1章, 第7条 レイト ヒット,アウト オブ バウンズでの行為
    • ボールがデッドになった後,相手に対し,パイリング オンをしたり,倒れ込んだり,または身体を投げかけてはならない。
  • 第2章, 第1条 スポーツマンらしからぬ行為
    • 明らかにボールがデッドになった後,押す,突く,殴るなど,フットボールの行為ではないデッド ボール中の接触をすること。
  • 第4章, 第7条 不正な装具
    • プレーヤーが装着している,他のプレーヤーにとって危険となるもの。



タイタンズを忘れない 特別版 [DVD]

タイタンズを忘れない 特別版 [DVD]

ルディ [DVD]

ルディ [DVD]

エニイ ギブン サンデー [DVD]

エニイ ギブン サンデー [DVD]

若さってなんだ

エモいブログを真剣に5年も続けていると、かつて答えが出なかったものに、薄ぼんやりと答えが見えるようになってくる感覚がある。そりゃ5年もあれば路傍の石も何かヒントに見えたりするか。

「俺はやれている」が無自覚なブレーキになっていた

僕にとって2017年は、DNA解析業界に飛び込んだり、ビリヤードを始めたり、15年ぶりにスノーボード行ったり、人前でDJしたりと、何かと挑戦した1年だった。

それと同時に、特に仕事で、よく挑戦し、それらをある程度楽しめる自分自身や、ある程度楽しめている現状に、そこそこの手応えがあった。誰もが羨むスーパープレイヤーではないにしろ、自分の特異性・変態性を活かして生きれていることに多かれ少なかれ満足し、自己肯定感を得ていた。

自分の特異性・変態性こそが尊い、という主張は先述の通りです。

そんな折、年も明けてもう2月になった頃、転職を考える機会があった。幸いなことに転職のお誘いは定期的にあるので、その都度考える機会はあるのだけれど、その件に限って言えば、全く馴染みの無い業界で馴染みの無い技術を使う話であったので、印象的であった。素朴に、こう思った。

「俺にやれるのか?」

今まで、何かと未経験のまま飛び込むなどということが当たり前だったはずなのに、なぜ今、突如としてこんな陳腐なブレーキを踏む人間になったのだろう、とショックを覚えながら疑問に思った。自分が不思議だった。

悪い自慢、良い自慢

話はちょっと変わるんですが、
かつて高田純次情熱大陸かなんかで言ったとか言わないとか、

歳とってやっちゃいけないことは、「説教」「昔話」「自慢話」

元祖テキトー男・高田純次さんが語った「歳とってやっちゃいけないこと」に説得力ありすぎて全然テキトーじゃない! - Togetter

なるべくこれを心がけるようにしている。

しかしながら、ある種の経営者や苦労した人々は「昔話」をよくするし、えてして「苦労自慢」になりがちだが、中には人の心をゆさぶる「苦労話」もあったりする。ツイッターに以下のような趣旨のツイートが流れてきたこともある。

自分にはかなり苛烈な過去があり、それを乗り越えたことが自慢でもある。これも「悪い自慢」であろうか?

人々に嫌われる昔話を仮に「悪い自慢」とすると、ある一定の割合で「良い自慢」というのも存在するのはどうやら確からしいんだけれど、はたしてその差は何なんだろうか、とずっと思っていた。

そんなとき、冒頭の疑問に直面した。
未経験のまま飛び込むことに躊躇う自分を観測したのだった。

その過去を、自慢ではなく、自信に

僕がいつの間にか失くしていたのは「自信」だったのだと気づいた。かつて自信満々だったあの時よりも明らかに「過去の実績」を積んでいるにも関わらず、僕はこの1年で急速に「自信」を失っていたことに気づいた。

「過去の実績」を積むことにより「自信」を失い、代わりに僕は何を得たのだろうか?

「回顧」である。

つまり僕は「自信」を失い、「昔話」と「自慢」を得ていたのだ。

「過去の実績」が無かったあの時、僕には回顧の材料なんてほとんど無かった。だからこそ、未来だけを見て大言壮語に自信を語ることができた。でも、過去を得た今、僕が語るのはいつだって過去の話になってしまった。

ある種の経営者や苦労した人々、および先述の「苛烈な過去」のあるツイートの主がする「昔話」が心を引きつけるのは、彼らの「昔話」が過去の自慢を語っているからではなく、彼らの現在と未来における自信の根拠を述べているだけだからではないだろうか。

「良い自慢」をする彼らの言葉には、常に現在と未来に対する決意と自信が現れており、「悪い自慢」をする僕の言葉には「自信」が見えない。そう考えると、ある程度の実績を積んだにもかかわらず自信を失った謎の現象を説明できるような気がした。

あばよ涙。よろしく勇気。

若さ 若さってなんだ? 振り向かないことさ

串田アキラは、『宇宙刑事ギャバン』の中でこう歌った。

before11.hatenablog.com

本当に若いってのは串田兄貴が仰られるように、確かに、「今持ってるものをうっちゃって行けますか、どうですか」ということなんでしょうな。

僕はこのとき、この歌をそう理解していたようだ。若干はずかしい文体で。まあ5年も前だから。

しかし、今はハッキリとこれが、惜しいけどちょっと間違いだったと思う。若さとは、裸一貫で何も持たないことを言うのではないし、若くあろうとすることを阻むのは、持っているものを捨てれないからでもない。持っているものをうっちゃって行くのは、常にゼロスタートだという意味だし、ただの無謀か意地であり、それは若さの部分集合かもしれないが、串田兄貴の言う「若さ」ではない、いや、僕が望む「若さ」ではない。じゃあ、若さ、若さってなんだ?

若くあろうとすることから僕を阻んでいるのは、今まで経験し得た艱難辛苦や成功体験や一抹の実績を「だから俺はすごい」と今ここで結論付けたくなる「自慢」の心理であり、「振り向き腰を下ろす行為」なのではないだろうか。そして、若くあろうとすることは、その得てきたものをバネとして「だから俺は次に行く」と言う「自信」であり、「支えられこそすれ、過去を振り向かない目線」なのではないだろうか。

そう、若さとは、振り向かないことなのだ。

ギャバン あばよ涙
ギャバン よろしく勇気

こういう理解に至った今だからこそ、最後の歌詞が、いっそう身にしみるのである。

雑感

  • ということで、32歳になった*1。0x20歳やんけ。時間怖い
  • 実績を積むことにより、他人に期待されることが多くなってくるが、それと同時に自分が自信を失っていては意味が無いので、期待してくれる人たちの期待に応えれるよう「若く」ありたいと思ったのでした

次の5年後の自分のために。WETな備忘録として。

"Shape Of Life" を抱いて

「理系ですか?文系ですか?」みたいなの聞かれたとき(そんな質問もアレだけれど)僕は「体育会系です」と言う。大学は農学部であったが、ロクに講義に出席せずに、アメリカンフットボールばかりしていた。賛否はあるだろうが、僕としては、そういう時間でしか得られないものをたくさん得たと思う。

僕が就活をしたのはもう何年も前になるけれど、何を狂ったか、プログラマーになった。知識も経験も無いまま、Web業界のプログラマーになった。

きっと何者にもなれない

優秀な同期の友人がたくさんできた。もう何度も転職しているが、今でも交流がある友人が多い。いい友人に恵まれ、嘘偽り無く、僕は幸せだと思う。

一方で、思い起こせば、入社してしばらくは、当然彼らよりも「プログラミング」「ソフトウェアエンジニアリング」ができない自分を、焦り、呪った。自分が情報科学に一切触れていない過去を悔やみ、自分の選択、プログラミングを生業とすること、が間違いだったのではないかとすら悩んだ。今でも多少はそう思う。僕が体育会系だったころの部活の同期は、金融や商社に行く奴らが多く、今時点で僕の2倍も3倍も年収がある。

「早く、まともなエンジニアになりたい」といつもぼやいていた。周囲の優秀な同期と自分を比べて、彼らに追いつこうと努力した。時には、インターネットや勉強会で見る「有名なエンジニア」や「話題になったエンジニア」を見て嫉妬した。

生存戦略を誤れば死ぬ。特に流動性の高く、技術の流行り廃りが激しいWeb業界においては、何かしらに秀でた存在にならねば生き残れないと、常に自分を追い詰めていた。

きっと何者にもなれないことを恐れながら。

アービトラージ

アービトラージ: "Arbitrage" とは、「裁定取引」と訳されるが、簡単に言うと「安く確保できるものを、高く売れるところで売る」ことだ。

数年前のある日、高校からの親友と久しぶりに会ってドトールで茶をしばいているとき、彼は大学で生物学の研究者をしているのだけれど、ソフトウェアのベンダーに発注をするとバグだらけだし一発納品なので仕様変更ができない、などの不満を漏らしていた。

それを聞いていた僕は、「そんくらいなら俺作れるよ。半値以下で。アジャイルで」というようなことをポロッと漏らした。これが、僕が副業で生物学のソフトウェア受注開発を始めたきっかけだった。

世の中、特に日本には、ITのアの字("I"の字?)もまったく浸透していない業界がまだまだごまんとある。また、旧態依然のSIer文化に縛られ効率化どころか非効率な発注・開発をしているものもある。最近で言えばタクシーの予約なんかが話題になったけれど。短く見積もっても、向こう3年ぐらいは、このように「IT化されていない業界に、ITを持ち込む」あるいは「ITでその業界を飲み込む」というムーブメントが続くように思われる。主観だけど。

そういった時に必要なプログラマ像、ないし「プログラミング技能の売り方」をどう言葉にすればよいか考えると、それは「アービトラージ」なのではないかと思う。売れるところで売るのだ。

イチローばかりいる業界で打率を競っても、イチローにはなれない事実を噛み潰すだけなのだけれど、イチローでなくていいが安打が打てる打者を欲している業界は、実はたくさんある。それでもMLBイチローになりたいと願い続けるのなら、止めはしないが。

価値は生命に従って付いている

きっと我々は他の何者にもなれない。それは大いに絶望するべきだ。

だが、我々は「自分になる」ことができる。これが、僕の生存戦略だった。

価値とは、組み合わせであり、巡り合わせである。椎名林檎も歌っている。

f:id:otiai10:20171224203419p:plain

ある人を、その人たらしめる「輪郭」は、打率では決まらない。正確に言えば、打率「だけ」では決まらない。その人をその人たらしめるのは、組み合わせであり、巡り合わせである。だからこそ、人は唯一無二なのだろうと思う。

「文系エンジニア」という言葉に代表されるように、「情報科学に触れてこなかった過去」や「Web業界で第一線で働いていないこと」を「欠点」と考え、場合によっては自虐的に用いられることがあるが、その考えは苦しい、と僕は思う。間違ってはいないかもしれないが、そう考え続けるのは、逃れようのない憧れと追いつきようのない幻想を追い続ける、いわば、他人になろうとし続ける道であり、苦しいと思う。

価値は、組み合わせであり、巡り合わせなのだから、もしあなたが「大学で情報科学を学んでいない」としても、イチローには持っていない過去があり、「Web業界の第一線で働いていない」としても、その時代その場所に巡り合わせた者でしかできない役割がある、と僕は信じている。

ある1つの、ないしいくつかの指標だけをとって「不足」「欠点」として見るのではなく、たいせつなのは「人生の輪郭」なのだ。きっと何者にもなれない僕が、僕しか持っていない「人生の輪郭」をこそ、たいせつにすべきなのだ。

ある点において凌駕されようとも、「人生の輪郭」は誰にも真似できないのだから。

人生は壮大なネタづくりである

ちょっと話は変わるけれど。そう考えたときに、「成功」とは何か、ちょっとしたパラドックスがある。だって、たいせつなのは「人生の輪郭」なのであるから、失敗も、成功も、多く経験し、唯一無二な「人生の輪郭」を形づくることが面白くて、きっと、その組み合わせと巡り合わせで、誰かの役に立ったりするんだと思うんですよ。

人生を「旅」に例える人は多いけど、もし人生が旅なのであれば、それは「帰ることの無い旅」なのだろう。行ったきり。帰る場所なんぞ無い。(期せずして「帰ることの無い旅」をテーマにしたアニメが今年は2つもありましたね*1、どっちも最高なので観てください。絶対だぞ)

ある1つの、ないしいくつかの指標だけをとって、そこにおいて他と競い続け勝ち続けることもよいかと思う。けども、せっかく一度しかない帰れない旅に出たんだから、やっぱりもっと、誰も躓かなかった小石に躓いたり、誰も迷わなかった小道に迷ったりして、もっとえげつなく個性的で波乱に富んだ旅を、そうして得た「ネタ話」をサカナに、友人と笑い飛ばしながら酒でも飲む、そういう旅をしたいじゃないですか。したくないですか? 僕はしたい。おじさんそういうのがいいなー好きだなー。

"Shape Of Life" を抱いて

なんとなく参考書に書いてあったりメディアでよく見たりするような、ある1つのないしいくつかの指標を追うのではなく、些細でもよい、片隅でもよい、世界に1つしか無い自分自身の「人生の輪郭」をしっかりと抱いて、育てて生きていけばよいかな、って最近は思います。そう言うと、ともするとちっぽけに聞こえるけれど、それこそが人間の個性であり、偉大な仕事の源泉だと僕は信じている。

「これもまた、"Shape Of Life" だな」とか言いながら、これからも、誰も躓かない小石に躓いたり、誰も迷わない小道に迷ったりした記録を、備忘録していけたらなと思う。

雑感

  • 去るGoConferenceでLTで喋った内容なんだけど、たぶん3分の1も伝わらなかったので文字にしました
  • 2017年のDRYな備忘録は37件、WETな備忘録は4件だった
    • 乾ききっている...
  • 2018年はもうちょい湿っぽい感じでいきたい
  • では、良いお年を

WETな備忘録として

追伸: 『メイドインアビス』と『少女終末旅行』は、どっちも最高なので観てください。音楽もいいので、アニメもオススメです。

*1:メイドインアビス』と『少女終末旅行』は最高なのでぜひ観てください

DJというものをはじめてみたので知見を共有します

このエントリは、アニソンDJ Advent Calendar 2017 - Adventarの24日目です。

毎年、アニメオタクや声優のライブなどの趣味を同じくするオッサンたちが年末に集まって忘年会をして、そのメインコンテンツがオッサンたち自身によるアニソン中心のDJだったりする。かわるがわる、5時間ぐらいやっている。「DJなにそれ」という気持ちもありつつ、なんかDJやったことないおっさんがその忘年会で初挑戦する、みたいな風潮があり、今年は僕がそのおっさんとなった。結論から言うと、たいせつなことはひとつだけ。

「楽しんだひとが優勝」

ということだと思う。これ1番だいじなので、以下、読まなくていいです。

DJ is 何

「そういうのはいいから、とりあえずコントローラ買おう」と言われ、具体的にDJというものが何をするのか分からないまま、初心者用のDJコントローラを買った。DJコントローラとは何かすら、この時点では理解していない。

Pioneer DJ パイオニア / DDJ-RB DJコントローラー

Pioneer DJ パイオニア / DDJ-RB DJコントローラー

「レコボっていうソフトウェアのコードもついてくるので、ちょっとはじめてみるなら、絶対これがいい」と言われ、アッハイ、そうなんですか、としか言えなかった。購入後に判明するのだが、「レコボ」というのは、rekordboxというPioneerが作ってるDJ用のソフトウェアで、つまりこのコントローラのメーカー謹製のやつ。

アマゾンで買って、届いて、開封して、おおっ!と一通り感動したけれど、まーったく使いかたが分からん。というか、何をどう使って、何が起きるのかすらわからん。ので、友人DJ諸氏を家に招いてラーメン奢ったりすることで、レクチャーしてもらったりした。



DJがやってること

何度かレクチャーを受け、自分でも練習することで、具体的にDJコントローラで何ができて、DJというひとが何をしているかを知ったので、それを主観でまとめますと、

  • DJコントローラは
    • 複数の曲を、あるいはフロアへ、あるいはヘッドホンだけに、流すことができる
    • したがって、今フロアに曲を流している間に、次の曲の準備をすることができる
    • リズムや音程、音の高低を分けて音量を調節するなどができる
  • これを駆使して、DJというひとは
    • いい感じにフロアが盛り上がる選曲をする
    • いい感じにつなげる
      • リズムBPMという)を合わせる
      • 次曲を挿入するタイミングを決める
      • 低音域から入れる、高音域から入れる、バツンと切る、などつなぎかたをいい感じにアレンジする

という印象です。まったく知識も経験もゼロから成長の記録は、当該アドベントカレンダーにて事細かに記録しておりますので、ご笑覧いただけると幸いです。

費やすのは「やる気」ではなく「時間」

「いやぁ〜僕には無理だよ〜」と何度かチキったが、友人DJは終始「練習すればいけるよ」「練習あるのみだね」と繰り返した。

この歳になって新しい趣味をはじめるのは、わりと勇気がいる。人前に晒す、披露することが想定されるものならなおさらである。

だけれども、若い頃、新しく何かをはじめるのはそんなに怖くなかったはずだ。極端な例で言うと、たとえば中学生のとき新しい部活に入るときなどを想像したら、そんなに怖くなかった。むしろ、ワクワクというか、期待感すらあった。

この差はなんだろうか、端的に「やる気が無い」とか「怖い」とかじゃない気がするんだよなあ、と考えていたんだけれど、どうやらそれは

「費やす時間が無い」

ということなのではないかと思う。ある程度、時間を費やせば、ある程度は、上達するのは明白なのであるが、我々社会人には、時間が無いのである。「いやぁ〜僕には無理だよ〜」と僕が言う心理の裏には、「ある程度の上達を得るまでに投資する時間は無いよ」「時間を投資する気はないよ」に似た思考があることに気づいた。

逆にですよ、逆に、そんなに時間無えかな、っていうとそうでも無いわけです。朝、シャワー浴びたあとダラダラとツイッターする時間や、家帰って手も洗わずにダラダラとツイッターしてる時間など(ツイッターしすぎでは?)を考えれば、そんなに無いことはない。ちょっとDJコントローラ触るぐらいなら毎日できるはずなのだ。

これはつまり、僕達社会人にとっては、「毎日の時間を何に配分するか」ということが、何かをはじめる・ある程度上達することの主要因であるということでもあって、ぶっちゃけ「やる気」関係無い。ぶっちゃけ「やる気」は関係無い。大事なことなので二回言いました。

何人かいる僕の師のひとりである楠浦さんもこう言っとる。

これホンマ、マジだから。(語彙)

成果物

以上の知見をふまえ、その忘年会での成果物が以下になります。2017流行り物を中心に集めました。ご笑納ください。

小生の2017年は、なんだかんだで良い年でした!皆様に於かれましては、2018年も、良いお年を!!

WETな備忘録として

余談