「理系ですか?文系ですか?」みたいなの聞かれたとき(そんな質問もアレだけれど)僕は「体育会系です」と言う。大学は農学部であったが、ロクに講義に出席せずに、アメリカンフットボールばかりしていた。賛否はあるだろうが、僕としては、そういう時間でしか得られないものをたくさん得たと思う。
僕が就活をしたのはもう何年も前になるけれど、何を狂ったか、プログラマーになった。知識も経験も無いまま、Web業界のプログラマーになった。
きっと何者にもなれない
優秀な同期の友人がたくさんできた。もう何度も転職しているが、今でも交流がある友人が多い。いい友人に恵まれ、嘘偽り無く、僕は幸せだと思う。
一方で、思い起こせば、入社してしばらくは、当然彼らよりも「プログラミング」「ソフトウェアエンジニアリング」ができない自分を、焦り、呪った。自分が情報科学に一切触れていない過去を悔やみ、自分の選択、プログラミングを生業とすること、が間違いだったのではないかとすら悩んだ。今でも多少はそう思う。僕が体育会系だったころの部活の同期は、金融や商社に行く奴らが多く、今時点で僕の2倍も3倍も年収がある。
「早く、まともなエンジニアになりたい」といつもぼやいていた。周囲の優秀な同期と自分を比べて、彼らに追いつこうと努力した。時には、インターネットや勉強会で見る「有名なエンジニア」や「話題になったエンジニア」を見て嫉妬した。
生存戦略を誤れば死ぬ。特に流動性の高く、技術の流行り廃りが激しいWeb業界においては、何かしらに秀でた存在にならねば生き残れないと、常に自分を追い詰めていた。
きっと何者にもなれないことを恐れながら。
アービトラージ
アービトラージ: "Arbitrage" とは、「裁定取引」と訳されるが、簡単に言うと「安く確保できるものを、高く売れるところで売る」ことだ。
数年前のある日、高校からの親友と久しぶりに会ってドトールで茶をしばいているとき、彼は大学で生物学の研究者をしているのだけれど、ソフトウェアのベンダーに発注をするとバグだらけだし一発納品なので仕様変更ができない、などの不満を漏らしていた。
それを聞いていた僕は、「そんくらいなら俺作れるよ。半値以下で。アジャイルで」というようなことをポロッと漏らした。これが、僕が副業で生物学のソフトウェア受注開発を始めたきっかけだった。
世の中、特に日本には、ITのアの字("I"の字?)もまったく浸透していない業界がまだまだごまんとある。また、旧態依然のSIer文化に縛られ効率化どころか非効率な発注・開発をしているものもある。最近で言えばタクシーの予約なんかが話題になったけれど。短く見積もっても、向こう3年ぐらいは、このように「IT化されていない業界に、ITを持ち込む」あるいは「ITでその業界を飲み込む」というムーブメントが続くように思われる。主観だけど。
そういった時に必要なプログラマ像、ないし「プログラミング技能の売り方」をどう言葉にすればよいか考えると、それは「アービトラージ」なのではないかと思う。売れるところで売るのだ。
イチローばかりいる業界で打率を競っても、イチローにはなれない事実を噛み潰すだけなのだけれど、イチローでなくていいが安打が打てる打者を欲している業界は、実はたくさんある。それでもMLBでイチローになりたいと願い続けるのなら、止めはしないが。
価値は生命に従って付いている
きっと我々は他の何者にもなれない。それは大いに絶望するべきだ。
だが、我々は「自分になる」ことができる。これが、僕の生存戦略だった。
価値とは、組み合わせであり、巡り合わせである。椎名林檎も歌っている。
ある人を、その人たらしめる「輪郭」は、打率では決まらない。正確に言えば、打率「だけ」では決まらない。その人をその人たらしめるのは、組み合わせであり、巡り合わせである。だからこそ、人は唯一無二なのだろうと思う。
「文系エンジニア」という言葉に代表されるように、「情報科学に触れてこなかった過去」や「Web業界で第一線で働いていないこと」を「欠点」と考え、場合によっては自虐的に用いられることがあるが、その考えは苦しい、と僕は思う。間違ってはいないかもしれないが、そう考え続けるのは、逃れようのない憧れと追いつきようのない幻想を追い続ける、いわば、他人になろうとし続ける道であり、苦しいと思う。
価値は、組み合わせであり、巡り合わせなのだから、もしあなたが「大学で情報科学を学んでいない」としても、イチローには持っていない過去があり、「Web業界の第一線で働いていない」としても、その時代その場所に巡り合わせた者でしかできない役割がある、と僕は信じている。
ある1つの、ないしいくつかの指標だけをとって「不足」「欠点」として見るのではなく、たいせつなのは「人生の輪郭」なのだ。きっと何者にもなれない僕が、僕しか持っていない「人生の輪郭」をこそ、たいせつにすべきなのだ。
ある点において凌駕されようとも、「人生の輪郭」は誰にも真似できないのだから。
人生は壮大なネタづくりである
ちょっと話は変わるけれど。そう考えたときに、「成功」とは何か、ちょっとしたパラドックスがある。だって、たいせつなのは「人生の輪郭」なのであるから、失敗も、成功も、多く経験し、唯一無二な「人生の輪郭」を形づくることが面白くて、きっと、その組み合わせと巡り合わせで、誰かの役に立ったりするんだと思うんですよ。
人生を「旅」に例える人は多いけど、もし人生が旅なのであれば、それは「帰ることの無い旅」なのだろう。行ったきり。帰る場所なんぞ無い。(期せずして「帰ることの無い旅」をテーマにしたアニメが今年は2つもありましたね*1、どっちも最高なので観てください。絶対だぞ)
ある1つの、ないしいくつかの指標だけをとって、そこにおいて他と競い続け勝ち続けることもよいかと思う。けども、せっかく一度しかない帰れない旅に出たんだから、やっぱりもっと、誰も躓かなかった小石に躓いたり、誰も迷わなかった小道に迷ったりして、もっとえげつなく個性的で波乱に富んだ旅を、そうして得た「ネタ話」をサカナに、友人と笑い飛ばしながら酒でも飲む、そういう旅をしたいじゃないですか。したくないですか? 僕はしたい。おじさんそういうのがいいなー好きだなー。
"Shape Of Life" を抱いて
なんとなく参考書に書いてあったりメディアでよく見たりするような、ある1つのないしいくつかの指標を追うのではなく、些細でもよい、片隅でもよい、世界に1つしか無い自分自身の「人生の輪郭」をしっかりと抱いて、育てて生きていけばよいかな、って最近は思います。そう言うと、ともするとちっぽけに聞こえるけれど、それこそが人間の個性であり、偉大な仕事の源泉だと僕は信じている。
「これもまた、"Shape Of Life" だな」とか言いながら、これからも、誰も躓かない小石に躓いたり、誰も迷わない小道に迷ったりした記録を、備忘録していけたらなと思う。
雑感
- 去るGoConferenceでLTで喋った内容なんだけど、たぶん3分の1も伝わらなかったので文字にしました
- 2017年のDRYな備忘録は37件、WETな備忘録は4件だった
- 乾ききっている...
- 2018年はもうちょい湿っぽい感じでいきたい
- では、良いお年を
WETな備忘録として
追伸: 『メイドインアビス』と『少女終末旅行』は、どっちも最高なので観てください。音楽もいいので、アニメもオススメです。