WETな備忘録

できなかったときの自分を忘れないように

ピアノのペダル音みたいなひとになりたい

ピアノだけの曲とかせいぜい+バイオリンとかの曲を注意深く聞いていると「ペダル音」に気付くことが時々ある。時々なのだが。僕はあれが好きだ。

ああいうひとになりたいと思った。

かっこいいから言ってみただけだけど。衝動的に。

最近はDRYだ

"Don't Repeat Yourself" (DRY原則) という言葉が好きで、技術的な「DRYな備忘録」を始めた。見たら、最初のエントリは2011/12月だった。ちょうどエンジニアを目指し始めたころだったと思う。

DRYがあるならWETもあるだろうと思って始めたのがこの「WETな備忘録」だ。こっちはいわば感情的な備忘録にしようと思って始めた。「時が経つにつれ忘れて行きそうな感覚」を後で観察できるように、それを書き留めておく必要があると思っている。

我ながら二つのネーミングが気に入っている。仕事や趣味プロが忙しいときは「DRY」ばっかり更新が増える。逆に仕事や趣味プロのやる気が無く悶々としているときは「WET」に湿っぽい更新が増える。

DRYなこともWETなこともたくさん感じるところがあるような生き方をしたい。DRYなこともWETなことも、どちらもたくさん書き留めていきたい。

ペダル音

ピアノのペダルをググってみた。 http://kouboupiano.com/wordpress/archives/17876

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音を響かせて延ばしたり、曇らせて延びないようにしたりする。よほど静かめの曲でピアノ以外の要素が少ない曲じゃないと、これを踏む自体の音は聞き取れない。ピアノリサイタルとか行くとわりと容易に聞けたりする。

「スコ... スコ...」という音がする。ペダルでピアノの弦を押さえているクッションみたいなものを上下させている音だ。

優しいこと

クッションのようなものを上下させるだけなので、それ自体が音をなるべく出さないように設計されているのだろうもちろん。しかしクッションのようなものと弦がぶつかるときの微かな打撃音や、物理的にペダルがその枠とぶつかる音、おそらくシャフトのようなものがその支柱と摩擦する音などがある。この音が全部くぐもっていて、「スコ...」という音になるんだけど、単純にこの優しい音色が、重みのある所作が、好きだ。

聞かれないこと

あくまでピアノの弦を叩く音に味わいを持たせたり技法を補助することが目的で設置された装置なので、前面に出てきてはいけない。その音そのものに意味を持たず、聴衆に聞かれてはいけないのだ。聴衆に聞かれるべきものをより美しくするために、自分自身は聞かれてはいけない。少なくとも聞かれないことを前提に存在している。誰かに見つけられることを、期待すらしていない。そのあり方の、意志の強さに、憧れたりしてしまう。

先に動くこと

ピアノの音を良くするために、ピアノが叩かれるやや一歩前に淡々と踏まれ続ける、あのタイミングも好きだ。なにかが悪くなったときに声をかけたり心配してみせたりすることもこれは優しさだとは思う。しかしながら、実はこれは"機械"でもできることだ。本当の優しさとは、何かが悪くなる前に、悪くなることがそもそも存在しないように、先に先に動けることではないかと思った。したがって、悪くなるようなことがそもそも存在しないわけだから、誰にも感謝されない。誰にも「感謝という見返り」を強要しない。一方ではあのピアノの旋律が、ペダルを微塵も気にかける様子の無い態度も含めて、あの関係性に憧れるのかもしれないと今思った。

ピアノのペダル音みたいなひとになりたい

就職するのも人より遅れてしまって、自分がわりと歳いってることを気付かされて自覚して、今後自分はどうすべきか、何を選ぶべきかなど考えたりする。何を選ぶかということを考えだしたら、あっちもこっちも不安や期待があって何も決まらない。

とりあえず、

人を傷つけず、力強く、人に気付かれず、要求をせず、自分ができることに集中し、滞りなく迅速にまずそれをやる。柔らかくかつ実行力のある、そんな優しいひとになりたいと思ったのだった。

かっこいいから言ってみただけなのだけれど。

WETな備忘録として