WETな備忘録

できなかったときの自分を忘れないように

会話における「言葉」の役割について

以降の展開をちゃんと考察すべきであるというのが僕の備忘録です。自戒

追記

なぜ僕たちの1年はこんなにも早く過ぎるのか

幼い頃から多くの大人に「歳を取ると1年があっという間に過ぎるんだ」ということを聞かされていた。「んなことあるかい」と幼い僕は思っていた。ということを思い出しながらさっきカレンダーを見た。2015年4月だ。2015年4月か。

_人人人人人人人_
> 突然の2015年 <
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ここまでのあらすじ

「なぜ1年は早く過ぎるか」ということについて、かつて以下のような仮説をたてた。

  1. 「何をするか」を計画していないから早く感じるのだ
  2. 「何をしたか」を記録していないから早く感じるのだ
  3. 「何かした実感」を得られていないから早く感じるのだ

そして、これに基づいて「1年が早かった」と言わないように行動し検証した。で、今になって考察するに、そのどれもどうやら正しくなさそうだと感じる。2014年は、1年間でやることを計画して、それをやった。日記をたくさん書き、公にできるものはブログにした。何より、たくさんの「はじめての経験」をした。特に転職は大きな出来事だった。しかし、にも関わらず、2015年4月に振り返る2014年は(是非はさておき)早かったと言わざるを得ない。それはもう矢のようだった。

間違っていた立脚点

結論から言うと、上記の仮説はその立脚点が間違っている。

仮説をつくるための「切り口」の筋が悪い、とも言える。というのも、これらは全て1年という時間がどのように知覚され、どのような内容になるかという関心事に基づいて導出されている。具体的には、上記の仮説を導出するときに用いた枠組みは「時系列(was/is/will be)で対象を分割する」というごくごく初歩的なものだ。

いずれにしても、この切り口を使ったことによって「1年が」という主語に囚われてしまったと感じる。

長い1年を過ごしたのは “誰か”?

いったい誰が、長い1年を過ごせたのだろうか(是非はさておき)。

あの野球選手だろうか?あの科学者だろうか?あの政治家だろうか?

その人物を僕はすでに知っていて、それは、幼いときの僕だ。そしてたぶんあなただ。

前述の反省をもとに、あくまで主語を彼がに固定して今と何が違うか切り口を探してみると、意外と面白い仮説が導かれるような気がする。たとえば、身長体重は違うし、髪型も顔付きも違う。流行の歌は違うし、政治も違う。その中で最も今回の疑問に直結しそうなものを見つけたので、この備忘録を書いている。

それは「決められた終わりがあるか?」ということだ。

決められた終わり

1年が早くなかったときのことを思い出すと、今のところ、それはことごとく「学校に行っていたとき」のことだった、僕の場合。で、学校に行っていたときの僕と、今の僕の違いを考えてみたのだけれど、学校に行っていたときも責任あるタスクはあったし、つらいこともあった、楽しいことがあった年もなかった年もあった。特に大学の、それも卒業間近の年なんて、ほぼ働いてたようなものだったし、そう考えると「学校に行っていたときの僕」と「今の僕」の状況で本質的に異なる点なんてほとんど無いことに気づいた。しかし、1点だけ定性的に異なるものがあったのが、それが「決められた終わり」という概念だ。

思えば「1年が長かった幼いときの僕」には、常に「決められた終わり」があった。所属する組織も、肩書きも、服装も、一緒に遊ぶ友人との関係も、とりまく環境全てが、n年後に終わることが約束されていた。有り体に言えば、「卒業」である。

たのしいことも、つらいことも、人との関係も「あと◯日で終わる」ことが約束されていたがゆえに、だからこそ、たのしい思い出をたくさん作ろうとしたし、つらい失敗も繰り返すことができたし、誰かと一緒にいる時間を大切にしたのではなかろうか。一方、今の僕には「決められた終わり」が無い。少なくとも自覚していない。具体的な数字でもって「あとn年で "今" が終わる」という宣告はされていないわけで、だからこそ、毎日は蛇口を開いたように垂れ流され、つかの間の幸せは明日消える消耗品に見え、「乗り越えるべき山」は「歩き続けるイバラの道」に見えてしまうのではないだろうか。仮に「あとn年で"今"が終わる」と自覚していたら、つかの間の幸せも、つらい瞬間も、「特定の期間」に起きた「特定の出来事」として記憶され、結果としてその「特定の期間」に紐づく記憶は量(かさ)を増すのではないか、と思った。

決められた終わり、があるかないかで、その間に起きた出来事は、再現ができず取り返しがつかないユニークな記憶として、僕の中で生き続け、長い(長かった)時間として知覚されるのだ。という仮説。

この考えに至った直接のきっかけは、後輩の死だ。

彼が病に倒れてから死ぬまでの間、彼にとってその時間がどれだけ長かったかは知る由もないが、ひとつ確かに言えることは、その間も僕は彼の病のことを知らず、ツイッターで「死にたい」などとつぶやきながら毎日を過ごしていたということだ。彼の通夜には、平日にも関わらず600人はゆうに超える人々が駆けつけた。そこまで親密ではなかったが、「あいつの通夜には行かねばなるまい」という気持ちにさせる、とても人懐っこくて人望のある奴だった。

僕はいずれ死ぬ、ということを、彼の死は教えてくれた。そして同時に、僕は生きてなかった、ということも、教えてくれたように思う。

彼のその6ヶ月と僕のあの6ヶ月が、同じ180日間だったというのは、あまりにも残酷で、僕にとってショッキングな真実だった。

なぜ僕たちの1年はこんなにも早く過ぎるのか

もちろん、直接的に「決められた終わりが有るか無いか」が「1年が長い」という主観に直結すると言うのは安直すぎる。「決められた終わりが有る」を起因とした、何かしら観察可能な事実が起きるがゆえに「1年が長い」という主観が生まれるのだろうから、次に思考実験すべきは「決められた終わりが有る」と結局はどんな観察可能な事実(行動とか判断とか)が起きるのか、という部分。また、きっと人によっては(おそらく多くの健全な人たちにとっては)1年は年度なり四半期なりあるいはスプリントで明確に区切られ、意識せずとも「決められた終わり」を置いて生きているのかもしれない。そういう人はまた別の理屈でもって「1年は早く過ぎる」のだろう。

そんなことはさておき、僕にとっては、「決められた終わり」という着想はとても腑に落ちる「1年が早く過ぎる」理由だった。

僕はいずれ死ぬ。ただ、いつ死ぬかは知らない。

本当は、明日死ぬかもしれない。本当は、そうやって生きるべきなのかもしれない。でも、なんとなく、明日も明後日も、来週も再来週も、来年も10年後も、僕は生きていると信じきって生きていた。だからこそ、ささいな幸せを喜べなかったり、つらいことをなるべく避けたりした。

そうではなくて、"今" には終わりがあるからこそ、ささいな幸せは唯一無二の思い出であり、つらいことは明日の笑い話になるのだ。そういう生き方を、本当はするべきなんだろうと思う。


昔読んだ本の1シーンをなぜか思い出した。

吞み明かして空が薄明るくなった時、おせんがぽつんと云った。
「あたしにもそんな男がいたらいいなぁ」
「いるかもしれないよ」
「そうね。気づかないだけね。あたし、鈍だから」
一瞬だが、おせんの顔が倖せそうに耀いた。
死ぬことと見つけたり「局女郎」より)

愛すべき煙たい後輩、平尾に捧ぐ

WETな備忘録として

29になった

自分がこの歳まで生きているとは思わなかった。あのとき死んだ後輩の喪章は、今でも机に置いてある。必死に生きているようで、そうでもなかったかもと反省しているのが、私の近況です。

今までは、なんとなく生きていたように思う。正解を外さないように、間違いをしないように、正しい選択さえすれば安全地帯から望むものを狙撃できると信じて生きてきたように思う。それはある意味正しいのかもしれないけれど、長く生きると、都合よく狙撃台になる建物は無いし、危険からの遮蔽物の無い状況だってある。そういった状況に一度も出くわさないで生きていくのは、稀なことだと思う。

この前、スナイパーライフルを捨ててみた。そしたら何が起きたかというと、狙っている物が見えなくなった。当然かもしれない。だけど面白いのはそれじゃなくて、本当に自分がそれを望んでいたのか自信がなくなった。というか、きっと自分はそれを望んでいなかったようだ。そう思うと、捨てたはずのスナイパーライフルも、本当は最初から無かったことに気づいた。僕はもともと丸腰だった。

今、遮蔽物の無い場所を恐る恐る歩いている。とても怖い。自分がいかに闘っていなかったかがツケとなって降りかかってくる。その代わり、そこには棍棒が落ちていたり、布の服も落ちていたりする。横を見ると、同じように恐る恐る丸腰で歩いている人も沢山いることも知った。これらはみな、狙撃をしていた時には見えもしなかった世界だった。もうスナイパーライフルを持つことは無いだろう。でも、今は棍棒がある。

この先、僕にこの先というものがあるならば、もっと、冒険をしてみようと思っている。持っていると思っていたものは、じつは持ってなかったし、進むべきと思っていた道も、じつはそんなものは無かった。

そして、ぼく達があると思っている時間は、きっと無い。

30歳まであと50週だ。生きていればの話だが。









なんちゃって♥

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末筆ですが、例のリスト送ってくれた各位、ありがとうございます!

WETな備忘録として

(なお、佐倉綾音さんは21歳です)

時間がないこと

「グーグルカレンダーで空白の部分って、いったい俺何してる時間なんだろう?」
と思った。

最近、いろんなプロジェクトを抱えるようになり、「◯時間」単位でタスクを管理しないといけない状況になって初めて、自分のグーグルカレンダーに「空白の部分」が多いことに気づいた。「忙しくて個人開発できない」とか愚痴を言っていたけど、カレンダーの余白はだいぶある。「睡眠」っていう予定を毎日繰り返しでぶっ込んでみたけど、それでもぜんぜん白い。この時間、僕なにをしてるんだろうか。

わりと漫然と生きていたのかもしれない。

昨日上司と酒を飲んでて「獲得したいもののために、何をすべきで、何を捨てるか、その捨てる覚悟って要るよね」という話になった。その時も「たしかにー」って思ったけど、それが自分だったら具体的に何にあたるかそのときは実感がなかった。

空白の多いカレンダーに「プロジェクトfooの作業a」「プロジェクトbarの作業x」というようにポチポチ置いてみたら、ちょっとだけその具体的な意味が分かった気がする。

あるいは、グーグルカレンダーの空白の部分って、僕は一体何をしてい んだろうか。

時間は「ある」。本当に「ない」のは、その時間を使う自分自身だったのかもしれない。

WETな備忘録として

俺的作業カフェまとめ(渋谷・六本木・原宿・下北沢)

範囲に偏りがあるのは単に僕の生活圏なだけです。順次追加します。わりと椅子とか重要なんだけど、評価しづらいな...

作業に使えるカフェをまとめます

  • 電源
    • ◎:使ってくれって感じで存在してる
    • ◯:探したら壁にある・あるいは店員さんに聞けばある・ある席にはある
    • × : ダメ
  • 電波
    • ◎:店が提供してるWiFiがある
    • ◯:会員とかにならないと使えないけどある
    • ×:提供してない
場所 店名 電源 電波 コーヒー コメント
六本木 downstairs coffee ¥390 休日はノマドワーカーとかで混む。午前中、あるいは夜利用ならここを使いたい。安いし。
渋谷 Cafe Mamehico 公園通り店 ¥750 カウンターもあるので作業できる。ビールあるの◯。あと可愛い店員さんがいる。
渋谷 PUBLIC HOUSE ¥400 CAFE COMPANY系列(wired cafeとか)なので、カフェ・酒・ダイニングなんでもいけるし黙々作業もわりといける
渋谷 factory ¥500 というか、ビールの品揃えがやばい。ブルックリン¥900。作業バー。飲みながら黙々できる。なお全面喫煙可。
表参道 Antenna< >WIRED CAFE ¥420 おしゃれでオープンな雰囲気で若いカップルが多いのでエッチなアニメは見れない。 Origami決済を使うと200円引き
原宿 THE TERMINAL ¥1200 注)会員制の作業スペース。飲み物飲み放題。京都にもあるらしい、行ってみたい。佐々木俊尚を見た。
原宿 garagepark ¥500 <- ドリンクバーなのでコスパ最高だ。人に教えたくないくらい
下北沢 OpenSource Cafe ¥1000 施設の割に高い。小さくて日当りがいいので晴れの日に行きたい。駅からは割と遠い。

書いてみたら意外とぜんぜん無かった...

行きたいと思ってる

2015年、やりたいこと100個

去年は

こういう風に抱負を決めた

去年はいろいろなことがあり、決して「一年は短いなぁ」とは感じなかった。今年も、いろんなことがある年にしたい。今年は、これを参考に決めた

以下のことを心がけた

  • 思いついたままに書く
  • 優先順位やバランスなど一切考えない
  • できるできないも(なるべく)考えない

2015年、やりたいこと100個メモ

(優先度順ではない)(恥ずかしいところはふせじ)(やったら打ち消し線)

最終更新: 2016/01/01

  1. 沖縄の美容師さんに3500円返す
  2. 徳島にもっかい行く
  3. 副収入を得る
  4. TOEICを受ける
  5. Androidアプリをリリースする
  6. iOSアプリをリリースする
  7. OSSにコミットする
  8. 本を36冊読む
  9. 技術書を1冊以上読む
  10. 文芸書を1冊以上読む
  11. 雑誌を1冊以上読む
  12. 彼女を作る
  13. 海外旅行に行く
  14. マルフォイとベルリンで焼肉を食べる
  15. まえかつさんと東京で寿司を食う
  16. 外人の新しい友達をつくる
  17. 仕事で、バグの無いリリースをする
  18. 貯金をXX万貯める
  19. 岡崎(安城)のおばちゃんに会いに行く
  20. 祖母に月2で会う
  21. コンビニ立ち読みをやめる
  22. 川名さんに会う
  23. プルさんに会う
  24. おーひださんに会う
  25. 体重80kgを切る
  26. (削除)ベンチプレス100kg × 5 あげる
  27. (削除)スクワット 150kg × 5 あげる
  28. 年収XXX万を超える
  29. 朝起きてまず立って水を飲む習慣をつける
  30. 25時までに寝る習慣をつける
  31. 洋服は2着買う習慣をつける
  32. 出勤にタクシーを使うのをやめる
  33. 自転車に乗る
  34. パブリックな場でプレゼン or LTをする
  35. 麻生川先生に会う
  36. 久保田先生に会う
  37. 尾崎先生に会う
  38. 石関先生(生きてんのか?)に会う
  39. 地元の教会の日曜礼拝に顔を出す
  40. ボーイスカウトに顔を出す
  41. 沖縄のあの飲み屋の大将に会う
  42. 北海道に行く(みのり)
  43. 京都に行く(ばっきー)
  44. 和歌山県太地町に行く(イルカ・鯨漁
  45. 生物学なソフトウェアを3つ提供する
  46. 断捨離をする
  47. 毎週土曜日の朝部屋の掃除をする習慣をつける
  48. WETな備忘録の読者80人突破する
  49. DRYな備忘録の読者80人突破する
  50. 毎月映画を見る
  51. パチンコで1万円使ってみる
  52. 競馬場に行ってみる
  53. 競艇場に行ってみる
  54. 合コンに行く
  55. ロボットレストランに行く
  56. 塩コップがやってる店行く
  57. 肉のアバンギャルド行く
  58. 坂口と飲む
  59. 携帯のメインをiPhone5から卒業する
  60. DTMやる、つくってSoundCloudに上げる
  61. SoundCloudの中の人と知り合いになる
  62. Twitterの中の人と知り合いになる
  63. Google社食で昼飯を食う(ぴんのせきさん
  64. Google社食で昼飯を食う(かきもとさん
  65. 小説を一本書く
  66. 知らない喫茶店か飲み屋を開拓する
  67. 電子書籍を読む環境を整備する
  68. brianに会う
  69. ayuねえさんに会う
  70. joに会う
  71. むねひろに(トルコで?)会う
  72. なんかクラシックなコンサートに行く
  73. アニサマ以外のライブに行く
  74. mograに行く
  75. 海に行く
  76. スノボーに行く
  77. (高尾山以外の)登山をする
  78. 靴を買う
  79. クラウドソーシングな仕事をひとつこなす
  80. 福岡に行く
  81. 部屋の模様替えをする
  82. THSの定期ミーティングに出席する
  83. 他のmeetupに参加してみる
  84. ディズニーランドに行く
  85. 音楽系のサービスあるいはアプリをひとつリリースする
  86. 換気扇の掃除をする
  87. 歯医者に行く
  88. 禿げ防止の薬とかに手を出す
  89. 親を旅行に連れていく
  90. 甥とお風呂に入る
  91. 妹と二人で酒を飲む
  92. 従姉妹と二人で酒を飲む
  93. 河合さんと会う
  94. Tシャツつくる
  95. 誰かを嬉し泣きさせる
  96. 髪を染めてみる
  97. ピアスを開けてみる
  98. PCを自作してみる
  99. RaspberryPiを動かす
  100. 新しい言語に触れる

追記

  • 「毎◯、××する」、はよくない。それを年換算して「◯回、××する」の方が達成未達成がはっきりする

WETな備忘録として