若さってなんだ
エモいブログを真剣に5年も続けていると、かつて答えが出なかったものに、薄ぼんやりと答えが見えるようになってくる感覚がある。そりゃ5年もあれば路傍の石も何かヒントに見えたりするか。
「俺はやれている」が無自覚なブレーキになっていた
僕にとって2017年は、DNA解析業界に飛び込んだり、ビリヤードを始めたり、15年ぶりにスノーボード行ったり、人前でDJしたりと、何かと挑戦した1年だった。
それと同時に、特に仕事で、よく挑戦し、それらをある程度楽しめる自分自身や、ある程度楽しめている現状に、そこそこの手応えがあった。誰もが羨むスーパープレイヤーではないにしろ、自分の特異性・変態性を活かして生きれていることに多かれ少なかれ満足し、自己肯定感を得ていた。
自分の特異性・変態性こそが尊い、という主張は先述の通りです。
そんな折、年も明けてもう2月になった頃、転職を考える機会があった。幸いなことに転職のお誘いは定期的にあるので、その都度考える機会はあるのだけれど、その件に限って言えば、全く馴染みの無い業界で馴染みの無い技術を使う話であったので、印象的であった。素朴に、こう思った。
「俺にやれるのか?」
今まで、何かと未経験のまま飛び込むなどということが当たり前だったはずなのに、なぜ今、突如としてこんな陳腐なブレーキを踏む人間になったのだろう、とショックを覚えながら疑問に思った。自分が不思議だった。
悪い自慢、良い自慢
話はちょっと変わるんですが、
かつて高田純次が情熱大陸かなんかで言ったとか言わないとか、
歳とってやっちゃいけないことは、「説教」「昔話」「自慢話」
元祖テキトー男・高田純次さんが語った「歳とってやっちゃいけないこと」に説得力ありすぎて全然テキトーじゃない! - Togetter
なるべくこれを心がけるようにしている。
しかしながら、ある種の経営者や苦労した人々は「昔話」をよくするし、えてして「苦労自慢」になりがちだが、中には人の心をゆさぶる「苦労話」もあったりする。ツイッターに以下のような趣旨のツイートが流れてきたこともある。
自分にはかなり苛烈な過去があり、それを乗り越えたことが自慢でもある。これも「悪い自慢」であろうか?
人々に嫌われる昔話を仮に「悪い自慢」とすると、ある一定の割合で「良い自慢」というのも存在するのはどうやら確からしいんだけれど、はたしてその差は何なんだろうか、とずっと思っていた。
そんなとき、冒頭の疑問に直面した。
未経験のまま飛び込むことに躊躇う自分を観測したのだった。
その過去を、自慢ではなく、自信に
僕がいつの間にか失くしていたのは「自信」だったのだと気づいた。かつて自信満々だったあの時よりも明らかに「過去の実績」を積んでいるにも関わらず、僕はこの1年で急速に「自信」を失っていたことに気づいた。
「過去の実績」を積むことにより「自信」を失い、代わりに僕は何を得たのだろうか?
「回顧」である。
つまり僕は「自信」を失い、「昔話」と「自慢」を得ていたのだ。
「過去の実績」が無かったあの時、僕には回顧の材料なんてほとんど無かった。だからこそ、未来だけを見て大言壮語に自信を語ることができた。でも、過去を得た今、僕が語るのはいつだって過去の話になってしまった。
ある種の経営者や苦労した人々、および先述の「苛烈な過去」のあるツイートの主がする「昔話」が心を引きつけるのは、彼らの「昔話」が過去の自慢を語っているからではなく、彼らの現在と未来における自信の根拠を述べているだけだからではないだろうか。
「良い自慢」をする彼らの言葉には、常に現在と未来に対する決意と自信が現れており、「悪い自慢」をする僕の言葉には「自信」が見えない。そう考えると、ある程度の実績を積んだにもかかわらず自信を失った謎の現象を説明できるような気がした。
あばよ涙。よろしく勇気。
若さ 若さってなんだ? 振り向かないことさ
本当に若いってのは串田兄貴が仰られるように、確かに、「今持ってるものをうっちゃって行けますか、どうですか」ということなんでしょうな。
僕はこのとき、この歌をそう理解していたようだ。若干はずかしい文体で。まあ5年も前だから。
しかし、今はハッキリとこれが、惜しいけどちょっと間違いだったと思う。若さとは、裸一貫で何も持たないことを言うのではないし、若くあろうとすることを阻むのは、持っているものを捨てれないからでもない。持っているものをうっちゃって行くのは、常にゼロスタートだという意味だし、ただの無謀か意地であり、それは若さの部分集合かもしれないが、串田兄貴の言う「若さ」ではない、いや、僕が望む「若さ」ではない。じゃあ、若さ、若さってなんだ?
若くあろうとすることから僕を阻んでいるのは、今まで経験し得た艱難辛苦や成功体験や一抹の実績を「だから俺はすごい」と今ここで結論付けたくなる「自慢」の心理であり、「振り向き腰を下ろす行為」なのではないだろうか。そして、若くあろうとすることは、その得てきたものをバネとして「だから俺は次に行く」と言う「自信」であり、「支えられこそすれ、過去を振り向かない目線」なのではないだろうか。
そう、若さとは、振り向かないことなのだ。
こういう理解に至った今だからこそ、最後の歌詞が、いっそう身にしみるのである。
雑感
- ということで、32歳になった*1。0x20歳やんけ。時間怖い
- 実績を積むことにより、他人に期待されることが多くなってくるが、それと同時に自分が自信を失っていては意味が無いので、期待してくれる人たちの期待に応えれるよう「若く」ありたいと思ったのでした
次の5年後の自分のために。WETな備忘録として。