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WETな備忘録

できなかったときの自分を忘れないように

2013夏も過ぎ、串田アキラの歌を聞け

夏休みの宿題

わりと自分の事を「不屈」とか「反骨」とかの人間だと思っていたが、どうやらそうじゃないってのが最近の感想です。

僕のモチベーションは「不屈」とか「反骨」とかではなく、「優越」とか「賞賛」とか、そういう哀れなほどギンギンに滾った「エリート意識」によって支えられていたようです。

それは具体的にはどういうことかというと、結果が出せない状況や自分の価値を見いだせないときに「ナニクソぅ」となってバンバンにコミットして見返そうとするのが「反骨」としますと、結果が出せない状況や自分に価値が見いだせないときに「あぁ俺はなんてダメなやつなんだ」と何もする気が起きなくなるような、そんなモチベーションのフィードバックを得ることかと。

当然「あぁ俺はなんてダメなやつなんだ」となって何もする気が起きなくなると、そりゃもちろん結果は出ないままでありますから、そこから脱却するのなんて空から三つ編みツインの少女が降りてくるかはたまた額に突然竜の紋章が現れでもするような棚からシータなダイ冒険が無い限りありえませんね、ええ。

じゃあ何故今まで自分のことを「不屈」とか「反骨」とかの人間というなんともおめでたい錯覚をしていたかといいますと、それは今にして分析すると「そもそも自分には価値が有る」というスタートラインからはじまって「それが脅かされる」というイベントが発生し「その危機を全力で回避する」という時にこそとっても強いモチベーションが生まれていたので、これを表面的に観察するなら「反骨」となるかと。言うなればそれは「今自分が所持している特権をなんとしても手放したくない、すがりついていたい、道を外れたくない」というとこれはもう「エリート意識」としか言いようが無いですね、ええ。


「突然どうしたの」と言われそうですが、きっかけがございました。そう僕は数日前アニサマに行きました。残念ながら1日目だけなんですが。むちゃくちゃ楽しかったのと、飛んだりはねたりしましたし、声もカスカスに枯れまして、翌日は一言も発せなかったくらい、印象と感情だけで楽しい時間でした。その中でひとつだけ、指に刺さった棘のように、記憶に残っている場面があります。

そうそれは、かの串田アキラがその顔から汗を噴き出しつつ宇宙刑事ギャバンを歌っていた時です。

男なんだろ? ぐずぐずするなよ
胸のエンジンに 火をつけろ
俺はここだぜ一足お先 光の速さで明日へ ダッシュさ
若さ 若さってなんだ? 振り向かないことさ
愛ってなんだ? ためらわないことさ
ギャバン あばよ涙
ギャバン よろしく勇気
宇宙刑事 ギャバン



「若さって何だ?若さって、振り向かないことなのか?」

僕にとって「若さ」とはわりと「踏み出す先に対する態度」であり、決して「歩いて来た道に対する態度」ではなかった。「この道をゆけばどのような危険があるか」というようなリスクを顧みず何かを選択していけることが「若さの証明」だった。

けれども串田アキラは「若さとは振り向かないことだ」と歌っています(もちろん2番では「若さとは躊躇わないことだ」とも)。「振り向く」というのが一体どれだけ「振り返る」と同じことか分かりませんでしたが、キングブレードを両手に持った僕にはこれが「振り返る」と同じ意味に聞こえて、そして(会社の先輩と同期に1本ずつ借りた)キングブレードを振りつつ、この歌詞に違和感を覚えたのでした。

そして何より、それを歌う彼は、若かった。これを僕は棘のように覚えています。

「あぁ俺はなんてダメなやつなんだ」って思ってるわりに何もしない僕は、やはり今までエリート意識に胡座かいてただけなんすよ。踏み出した先にあるリスクを顧みず何かを選択したところで、何も失わないという絶対的にチートな状況にいたからこそ「若さとは踏み出す先に恐れないことなんスよ先輩」ってドヤ顔で申していたように思いますね。本当に若いってのは串田兄貴が仰られるように、確かに、「今持ってるものをうっちゃって行けますか、どうですか」ということなんでしょうな。ま、本質的には同じなんですけど。

ギンギンに滾った「エリート意識」の悪臭に気付いてそれに耐えられないと悶えつつ一方で両腕はがっしりとそれにしがみついている私はもう本当にどうしようもないうんこですけれど、どんなにうんこ垂れても棚からシータは落ちて来ないわけで、つまりはこびりついた錆を落とすようにびりびりと腕をひっぺがすところから始めねばなるまいな、と思う今日この頃です。

微塵も纏まらない備忘録も、十分すぎるほどWETなのでよしとしましょう。

ギャバン あばよ涙
ギャバン よろしく勇気

WETな備忘録として