WETな備忘録

できなかったときの自分を忘れないように

責任と責任感の間。あるいは嘆かない覚悟

2023年は、だんだんと仕事においても「マネジメント」をするようになってきて、それゆえの心身ともに歪みというか軋みのようなものが出てきており、12月はコンビニで800円ぐらいする栄養ドリンクを鬼のように飲んでいた。

アラフォーにして、やっとマネジメントをやりはじめたことはいささか遅すぎるとは思うのだけれど、長年こびりついた心の錆を剥がすには、これがラストチャンスだなという想いがある。身体すら、固くなったものをもう一度やわらかくしようとすると、痛くてやってられんものだが、いわんや、心をや、である。

あくまで、自分のために。WETな備忘録として


話に乗る

今年は、仕事でもプライベートでも、小さくない責任を持つことが多くなってきた。事業を成功させるために考えうるありとあらゆる角度の課題を潰していき、同時にチームメンバーの成長にも貢献する必要があり、結果がすぐ出るもの、2週間おきに出るもの、半年後、1年後に出るもの、さまざまな時間スケールの使命があった。

ただ、自分にとって「頼まれたからやった」ものは自分も頼んだ人たちも含めて、誰も幸せにならないという経験則があるため、何事においても「話に乗る」ことを大事にしている。話に乗る、という言い方が自分にとってすごくしっくりくるんだけど、うまく言語化できないが、おそらく2つの側面があるように感じます。

まず、上から与えられない、ということ。誰かの任命を以て授かる任務ではなく、自分が手を上げ、昇進なら昇進、満足感なら満足感など、あくまで「自分の利益のために」これをやるのであるという入口の問。

次に、達成できると真に信じる、ということ。乗った話の成功条件を明らかにし、できたらいいなではなく、きっとできるでもなく、「結果を担保する」ということであり、それを担保できるという出口の問。

あくまで経験則であるが、この2点を満たさないものは、やる自分も踏み込みが甘く、任せる側も責任を持たず、どちらも不幸になる、不幸にした経験が何度もあります。

見えるからこそ、何もかも足りないことに気づく

さて、自身で責任を負った使命を得たとき、この使命や課題が難解で膨大で曖昧であるほど、何から手を付けていいかわからないのが人のサガであります。むしろ、立場が変わるほどに、向き合う課題というのは難解で膨大で曖昧になっていくのが当たり前のように思う。解くのが簡単な問題なのであれば、きっとあなたが取り組む必要はなく、きっと他の誰かが解くのだと思う。難しいからこそ、立場があり、責任と権限を伴う。

ここで、「困難は分割せよ」というのはデカルトの言葉ですが、難解で膨大で曖昧な課題を当然のごとく分解して、解または解を出すための行動が明確になるレベルまで構造的に細分化してく、いわゆるロジックツリー的な。この「分割」は純粋に経験に基づく技術であり、学習と慣れさえあれば、多くの人が、意識的にせよ無意識的にせよやっているものである。

しかしながら、分解して、「取るべき行動」がある程度リストアップできたあと、ある問題に直面する。

多いのである、やることが。足りないのである、やる人が。大きな課題を持つようになり、課題の分解にある程度慣れてきたからこそ、圧倒的に「足りない」という事実を痛いほど自覚するのである。自分がやるにせよ、手が足りない。誰かにやってもらうにせよ、やる気のある人が足りないのである。

見えるからこそ、理解できる。足りないと。このままでは負けると。

傲慢な責任感ゆえの、正論じみた投降

「勝つために必要なこと」が見えれば見えるほど、分解して解像度が上がれば上がるほど、それを「満たせない」という事実が克明に浮き彫りになり、経験があり視野が広く視座が高い人ほど、その現実に打ちのめされるのである。

この「必要なこと」と「出来ること」の差を埋めるために、身を粉にして働いたりもした。「必要なこと」を滾々と説いて、半ば脅迫的にあるいは強制的に、誰かにやってもらおうともした。しかしその結果、自分のモチベーションが続かなかったり身体を壊したりもしたし、やってもらおうとした誰かも同様に潰れそうになってしまったこともあった。

非常に逆説的ではあるが、自分や他人を潰してしまったりモチベーションを燃やし尽くしてしまうことが、本当に「乗った話」を達成し実現させるために適切なアプローチといえるだろうか。「乗った話」に対する結果責任を絶対に果たそうとしたときに、(決戦前夜ならまだしも、いや決戦前夜であったとしても)自分を含め誰かに「無理をさせる」ことが一体どれだけ「結果」に寄与するだろうか。

なまじ責任「感」があるために、圧倒的に足りない、という事実を前にして、至らないチームメンバーや、至らない自分自身に対してすら、もどかしくどうしようもない無力感に打ちひしがれた。

責任感があるゆえに、無力感に打ちひしがれる、という怠惰に甘えていた自分を見つけたのでした。

勝利への責任ゆえの、全能への諦め

事業を成功させるという使命を実現するために必要な要素の全量と、自分たちが持っているカードの全量とに、大きな差があると気づいたとき、それでも「乗った話」から降りない、とはどういうことなのか、考えさせられる出来事があった。具体的にはまた別の機会に書きたいです。

「責任感」を持つではなく、「責任」を負うからこそ、乗った話から降りるのは面白くなく、「足りない」「全てはできない」をスタートラインとして、だとしても成功するためにどんな戦略を取るべきか、淡々と考えねばならない。それが「話に乗る」ことの醍醐味であり責任を負うことの楽しさなのだと、自分は今では思います。

「全てはできない」をスタートラインとして「それでも勝つ」場合に、撮りうる戦略は大きく分類して以下と整理しています。

  1. 不足の差を満たす
    1. 新たに戦力を補充する
    2. 今ある戦力を増強する
  2. 不足の差を満たさない
    1. ゲームルールを変える
    2. 影響度の高い要素に集中する

1-aの「新たな戦力を補充する」は、実社会においては、もちろん季節外れの途中参加などはあるにせよ、基本的には定期的なイベントに依存し、1年ないし半年といった計画が必要である。 先述の「身を粉にして働く」や「半ば脅迫的にあるいは強制的に、誰かにやってもらおうとする」は、上記1-bに相当し、今ある兵站のまま戦力を増強させるにはある程度の時間をかけて成長計画を立てるべきである。

どうしても「自分を鍛える」ことに耐性がある人材ほど、どんな局面にあっても1-bに逃げがちであるが、どんな局面でも1-bを選択するのは往々にして根性論の現実逃避である。要求の対象が他人であっても、自分であっても、それは「勝ちを遠ざけている」行為にほかならないのではないかとすら思う。

時間のかかる1に対して、同じぐらい重要な考え方が2であり、2-aは勝負すべき市場そのものを変えるなり規制を変えるなりの意思決定が必要である。そして、実社会で他の何よりも手腕が求められ意思決定が関わるものが、2-bである。

1-a,b、2-a,b、それぞれ同等に重要なアプローチであり、局面によって適切な意思決定が必要になってくるのではあるが、体育会系な自分はどうしても2-bに逃げがちであったことに気づいた。

しかし、乗った話から降りず、結果責任を負う覚悟を持つ限りは、「出来ない」ことすら言い訳にはならないのである。「出来なくても勝つためにはどうすればいいか」に脳味噌をひり出さねばならない瞬間があることを、知らねばならないのである。

捨てる怖さと、勝つ楽しさ

2023年は、本当に色々なことがあり、基本的には自分の無力感に打ちひしがれる瞬間の方が多かったし、仕事でも失敗の方が多かったと思う。ただ、1年かけて絞り尽くした結果、上記のような結論に至り「話に乗る」とはどういうことなのか、今では腹落ちしている。

「話に乗る」という表現が、自分にはしっくり来ており、乗るからこそ、はじめて浮くか沈むかの操舵をしているような緊張と興奮があり、だからこそ、航海が成功したときの達成感と安堵があり、だからこそ、次の船出に高揚感を得られるのである。

たしかに今年はしんどい航海が多かったが、一緒に走り抜いた同僚や仲間には最大の感謝と賛辞を送りたいし、小さくはあるが、一緒にこの小さな勝利をもぎ取ったことに尊敬と誇りがあるのである。

本当にありがとうございました。

堂々と勝ち、堂々と負けよ

当ブログでも何度も引用している *1この言葉は、わたしが尊敬する関西学院大学アメフト部の部訓になっている*2ものであります。

この言葉は、文字通り血反吐を吐いた青春時代を支え、暗中模索で夜の海を泳ぐような20代を支えてきた言葉ですが、アラフォーの今、少し自分の中の解釈が変わってきました。

たしかに、敵は強大で、課題は山積みで、要求は理不尽で、目標は遠く、資源は無く、協力は薄く、孤独で、ジリ貧で。

それでも、乗った話から降りずに、嘆かず、捨てる決断に誇りを持ち、この事業を勝たせる、という覚悟をいかなる時も持っていたかという問いかけに、堂々と答えられるような、そんな1年にしていきたいです。

WETな備忘録として。

雑感

  • 非常に観念的な内容で悔しさが残る
  • pyspa Advent Calendar 2023 - Adventar の25日目のエントリでした
  • アドベントカレンダーのおかげで、1年に最低1件書けている。感謝
  • もっと気軽に、頻繁に、備忘録書いていきたい(言ってるだけ)
  • 2024年は、自分にとってきびしい年になると予感しています

2022年、結婚というものをしまして

一部の友人にはすでにご報告のとおり、今年2022年の7月に入籍をしました。お相手は今年3月に出会った方です。いわゆるスピード結婚です。結婚という一般的に大きいと言われる変化を今年迎えることに、一番おどろいているのは自分自身です。

「オチアイさん結婚願望とかあったんスね〜」とよく言われるので、そこんとこ言葉にしておこうと思いました。あくまで自分のために。

tl;dr

  • 出会いはBumbleというアプリ。Pairsもやってたけどそっちは反応ほぼゼロだった。
  • 最初のデートから1ヶ月で同棲を始め、そこから3ヶ月弱で入籍しました。
  • 結婚の前に、友人からある本を薦められて2人で読んだ。これがよかった。
  • 自分のことを、およそ他人と生活なんぞできない自分勝手な人間だと思っていたが、誰かと一緒に生活することで、こんなにも生き方にメリハリが生まれ、こんなにも深く自分自身と向き合う機会が増えるとは、思っていなかった。
  • 結婚して良かったか?と聞かれると、ちょっと答えに困る。なぜなら、これからずっと、良くしていくものなんだと思うから。



WETな備忘録として

以下、拙文お付き合い頂けるとうれしいです。

願望というより好奇心

いわゆる「中年の危機」と呼ばれる虚無感にさらされ、何かこれ以上働く意味あるいは「金のかかる趣味」を見つける必要がありそうだ、と書いたのがちょうど1年前だったようです。ここにも書いたように「家庭を持つ」ということがその、これ以上働く意味あるいは「金のかかる趣味」たりうるのかどうか、まだ自信は無かったが、アラフォーにさしかかった自分にとってはもう失うものもたいして無いし、本当に「最後の機会」と考えて、今年 "も" Pairsに登録した次第でございます。

before11.hatenablog.com

Pairs自体は、これは僕だけじゃないと思うが、正直、20代のころから登録しては削除し、を定期的に繰り返していた。画面に並んだ女性を眺め、できる限りlikeするものの反応はほとんど無く、運良くメッセージを交わしても特に話すことなく消滅、からのアカウント削除。1~数年サイクルで、これを繰り返し続けていた。

そのままして、上記の備忘録のような境地に達してしまい、独身生活のプロとなったわけだけれど、独身であることに何の疑問も負い目も無く「もうこのまま独身でもいいや」と思っていたのが、去年時点の正直なところです。

であるがゆえに、であるがこそ、機会としてこれが最後だと決めていた。もうこの虚無なPairsのウィンドウショッピングは、これを最後にやめようと思っていた。別の「金のかかる趣味」、たとえば親孝行でもいい、を見つけて生きていくつもりだった。

だからこれは「結婚がしたい」という願望というより、何と言うか、自分の生き方にはまだどのくらいの可能性があるのだろうか、人と一緒に歳をとって生きていくという可能性があるのだろうか、という、半ば後ろ向きの挑戦であり、好奇心だったのだ。

このとき、Pairsだけでなく、チリに出張行ったときにチリ人にすすめられたBumbleというアプリも再開したわけだけれど、これがのちにある出会いをもたらすことになります。

婚活に、恋はいらない

生き方の可能性を知りたい、というモチベーションだったため、とにかく「飾る」ということを排除しました。着飾り、偽り、相手に好まれようとして好まれ、そこまでして結婚というものをしたい願望があったのではなく、ただただ「自分の生き方に対する好奇心」があったからです。自分はモテるという自己顕示も、相手より優位に立つという駆け引きも、ワンチャン狙いの背伸びしたディナーも、何もありませんでした。

友人の中には「飾らない」ということが、相手にとって失礼であり不誠実だとか、自分の弱さをさらけ出すことはある種の逃げであるとか、そのように否定する人もいました。僕自身、たしかにそういう失礼さ・不誠実さ・軟弱さと捉えられることもある程度理解できます。

しかし今回に限って言えば、すべてからNOと言われても構わない、もうNOなのかもしれないつもりだったので、むしろ「素の自分」をフルスイングすることこそに意味があり、合わせにいく二塁打よりも納得できる三振を望んでいたのでした。
(具体的には、Bumbleのプロフィール画像は公園でサラダチキン食ってる写真で、ファーストデートではわたしの格好は、パーカーとスウェット、便所サンダルで、場所はわたしの行きつけのビアバーでした)

そんな身勝手な私を見つけてくれて面白いと思ってくれた彼女に会えて、私は幸運だったと思います。

強いて言うなれば、婚活には恋は無かったが、結婚した今もそしてこれからも、長くゆるやかに恋をしている、ということであろう。

この人と結婚していいの?

付き合いはじめてから、フルスイングの延長ではあるんだけど、「燃え上がるような恋人関係」と「一緒に歳をとっていく関係」の違いを知るために、多くの既婚の友人、とくに離婚経験のある友人に以下の相談をして回りました。

今だから思う、結婚前に確認しておけばよかったなぁ、と思うことは何か?

回答は実にひとそれぞれでしたが、その中でも友人の1人が下記の本を薦めてくれたのが面白かったです。この本は決して「その人と結婚したらダメだぞ!」という警鐘の本ではなく「その人と結婚するつもりならこの点も話し合っといたほうがええで」というアドバイスの本なので、タイトルに気圧されずにぜひ読んでみてください。我々は2人で購入してそれぞれ読んだうえ、ディスカッションもしました。

食事の好み、清潔感、家事の分担、実家との関わり、その他いろいろポイントはあるけれど、我々の場合、

  1. 過去大きな価値観の変化を経験しており、人は変わっていくものだという許容
  2. 相手に遠慮をせず、背伸びをせず、なりたい自分になろうとすることの合意

の2点があったことが、この人と結婚しても大丈夫だ、と思える強い根拠になったと僕は思っています。

僕にとって結婚とは決して幸せの選別をすることではなく、これから何年もかけて一緒に幸せを作っていく覚悟と自信を持てる人と、運良くタイミング良く出会えたことだったのだと、振り返って感じます。

36歳にもなって「変わる」という新鮮な嬉しさ

結婚という状況の変化により、不思議なことに「自分は何がしたいのか」を今までよりいっそう孤独に、内面的に、頻繁に、強く突きつけられることが増えました。

「相手のためを思って」「相手がいるから」という便利な接頭語を使えば、いくらでも自分に嘘がつけることを発見しました。そのように嘘をついている自分に気づいた瞬間がありました。

そうではなくて「あなたのため」と言う代わりに、ひたすら「自分がしたいから」2人分のケーキを買うのである。ひたすら「自分がしたいから」皿を洗うのである。ひたすら「自分がしたいから」相手を幸せにしようとするのである。そう腑に落ちたときから、仮に表面的な行動や事象が変わらなかったとしても、いったん「自分は何がしたいのか」「そのためにやっているか」という言語化の回路を自然と経ることができるようになりました。

これから、人と一緒に歳をとり、今までに無い問題や困難を通じて、もっとこんな変化を体験するチャンスがあると思うと、「人を幸せにする趣味」というのもあながち捨てたもんじゃなかったな、と感じるわけであります。

人生はまだまだ様相を変える。自分も変わっていける。結果として目の前の人を笑顔にできるなら、生きるに十分な娯楽といえるのではなかろうか。

雑感

  • 今年、ソフトウェアが関わらないプロジェクトも担当する役職に社内転職しました。
  • とはいえOSS活動*1は続けていくつもりです。
  • 下記、いつものやつ置いておきますので、どうぞよろしくお願いいたします!

www.amazon.jp

来年はもっとWET書こうと思います。

よいお年を!

*1:最近は流行りのOpenAI Chat-GPTのAPIクライアント作りました。 https://github.com/otiai10/openaigo

35歳から見た働くという景色。生き方を考える歳について

「そういうのは20代に置いてくるものだろう」と、そいつは言った。

そいつは、高校のときからの親友で、とは言っても高校のときはロクに会話もしなかったが、高校を出てからなんとなく長く付き合っている。そいつは、出版社に勤めたりして、プライベートではアマチュアだがCDを出すぐらい音楽をやっていて、僕もときどきライブを見に行ったりする。僕のくだらない、いつまでたっても幼い話に、いつでも独自の視点から付き合ってくれる、大切にしたい友人の一人である。

お互い35歳になり、久しぶりに会って酒飲みながら話をするともなると、奮発してお寿司なんて食っちゃったりするのだが、放課後のガストで4時間も5時間もおかわり自由のカップスープと甘酸っぱい恋話で粘っていた俺たちが、気づけば遠くへ来たもんだと思う。あの頃の俺たちは、鍋の中のワカメをどれだけ多く掬うかに、情熱と空腹をかけていた。

労働と給料

自分を如何に高値で売るか。結局はそういうことに情熱を費やしてきた10年間だったように思う。「生存戦略」だの「Shape of Life」だの、カッコいい言い方をしてみたものの、自分を突き動かしていたのは、自分という商品をどうやったら最も高く売れるか、それは商品そのものの価値だけでなく、ラッピングだったり、マーケティングだったり、トレーディングだったり、アービトラージだったり、何でもいいんだが、値が付けばよい。良い値がつけばよいのである。

プログラミング、あるいはクリエイティブという「かつて憧れたもの」を、入り口でこそすれ、踏み台にしたような形で、いまはソフトウェアを主業としない職業で食っていっているが、これは最も経済的な判断だったと僕は思っている。

くやしいが、これは最も経済的な判断だった。

今自分が貰っている給料を、じゃあ「職業プログラマー」として貰える環境があるかというと、俺には無いと思っている。給料に値する価値を出すためには、自分は今コードを書いてはいけないのである。コードを書くことではない場所に、自分の提供価値があるのだと、毎月25日の銀行口座を見て実感するのである。

「生き方」を考える

「自分の売り方を見つける」ことで、それだけでかなり生きるのがラクになったとは思うが、ある一定の、たとえば家にシャワーがあるのに毎日近所の銭湯に行くだとか、たとえばガストでスープを単品で6回注文するだとか、サイゼリアで1人でデカンタワインを注文してベロベロになるとか、ある一定の金を得ることで満たされる何かが満たされたあと、直面する問題があった。

「これ以上、なぜ働くか」

これ以上ハードに、これ以上学習をして、これ以上の給与をもらうことに一体どれだけの価値があるのだというのだろうか。これ以上ハードに、これ以上長時間、あるいは、もっと生臭く言うのであれば、これ以上高度でこれ以上責任のある仕事をする意味が理由がもう無いんである。

そもそも、自分はプログラミングそのものに愛されたわけでもなく、かといって今やっている仕事を根っから鍛え上げられたわけでもなく、なんとなく、どっちに向いても一流が居る分野を組み合わせて二流の顔をしているだけの三流であり、そんなこんなでそこそこの金が得られるなら、これ以上ハードワークをする意味がそこにはないわけで。

「おちあいくん、それは、けっこうみんな通る道なんよ。ある程度収入を得て、安定して、気づくんよ。生き方を考える年齢なんよ」

働く理由。働くという景色

ある別の先輩が、彼はプログラマ兼ライターなのだが、彼はこれを「生き方を考える年齢」なのだと言った。多くの人が、どこかで、金を稼ぐという行為が、欲望をはじめとする何かしらと飽和し、その時点において「これ以上、なぜ働くか」という問いにぶち当たるという。

そんなとき、その先輩いわく、人は「金のかかる趣味」を見つけるのだという。ある人は家を買い、ある人は車やバイクを買い、船、ある人はアート、ある人はペット、時計、スニーカー、旅行。

そして「金のかかる趣味」の最たるものがある。

それが「家庭を持つ」なのだと。

合点がいく。大学の時、一緒にアメフトをしたやつらの多くは商社に就職し、若くして高給を得て、若くして結婚し、若くして家庭を作っていた。当時でこそ僕はそれを「易きに流れた」みたいな謎の意固地で否定していたが、今なら痛いほど分かる。Produceを経て、Consumeに至り、彼らが至ったのはReproduceであり、僕は単に1周遅れだっただけなのだ。

素直に言うなら、今になって、彼らのその気持がよくわかる。

家庭を持つということがいかに「クリエイティブ」で、いかに「チャレンジング」で、いかに「エキサイティング」か、今ならそれがどんな仕事よりも刺激があるか、分かる。

金のかかる「人生」

とはいえ、家庭というものは今すぐには作れないし、今からできる「金のかかる趣味」って自分にとってなんだろう?と考えた結果、今すぐできる「金のかかる趣味」ってのは「親孝行」かなとたどりついたが、とはいえ、親も死ぬ。いずれこの趣味は、いずれ終わる。自分が死ぬときには、きっと無い趣味である。

金のかかる人生、あるいは金をかけてもいいと思える人生、それを見つけることが向こう5年の、つらく苦しい試練になるような気がしている。

35歳から見た働くという景色

自分をどう売るかは見えたが、結局の所、どう売れば高く売れるか、生存戦略という都合の良いわかりやすい目標を隠れ蓑にして、結局自分が何をしたいかということについては、自分をどう売りたいかについては、10年もの間「俺はもがいている」という疑いようのない理由をつけて、何も直視してこなかったのかもしれない。

それは良いんだが、それは何も否定されるもんではないんだが、今35歳という年齢にいたって、次の何かが視野に入ってきている。

30でやっと立った。その実感はあった。傷みを伴って、自らの足で立った実感があった。

でも、それでも、さらになお、40にして惑わずには、まだほど遠い。自らの足で立ち、惑わず進むということの難しさを、今、容赦なく過ぎる時間とともに痛感しているのである。

惑う暇があると言い換えてもよい。こういうものは20代に置いてくるものなのだと思う。それでも、この惑いは、きっと明日の自分を導いてくれるものだと僕は信じている。

流れてく時間は容赦無くいつかボクらをさらってくから*1

雑感

わかんねえけど、少なくとも1年に1回はフルスイングで自分の感情を文章に吐露する機会が必要なんだと思う。誰に見せるとか、どんだけバズるとかではなくて。いずれきっと今日思ったことを忘れている、自分のための、WETな備忘録として

前日は id:garsue 、明日は id:shinyorke です。 アドカレはここ

望楼

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シルシ

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詐欺師との決別と、駆け出しエンジニアとの出会い。

(2) インポスター体験は、以下のような考えとして現れる

“失敗はできない”、“自分の実力じゃない”、“運がよかっただけだ”

インポスター症候群 - Wikipedia

インポスター症候群とは、自分がその道のプロとしての資格を満たしていないと感じ、周囲の人から詐欺師に思われないかと不安になることをいいます。

MIRAIBI

2020年と新型コロナ

2020年は予想に反してめちゃくちゃ忙しくなってしまった。 年始、意気揚々とエジプトに行きインド人と一緒に楽しくわいわいAndroidアプリを作っていたが、コロナによって強制帰国となった。純粋にコード書く仕事ならまだいいが、マネジメント含めて時差7時間は無理みがデカいという学びを得た。しばらくリモートでリード案件はやりたくない。

心身ともに丈夫で、独身で身軽なのであるから、これが良い方に出るような働き方を選ぶとなると、やっぱり海外出張ってのは最高で、働き方に慣れてさえしまえば海外旅行しながら生活しているようなものなので、とっても好き。

しかしそれもコロナで難しくなってしまった。

ソフトウェアエンジニアに憧れて

きっかけはニコニコとボカロだったと思う。もともと漫画やアニメは大好きだったが、ニコニコ動画のうえで連鎖するプロ顔負けの創作に心を打たれ、絶賛「自分探し中」もとい就活中だった僕は、自分もそのクリエイティブの輪に入りたくて、「名もなき人」が「有名」になっていく過程に憧れて、ソフトウェア開発者として仕事をしようと決めた。

今にして思うと、その「自分が憧れたもの」と「手段として自分が選んだもの」の間には飛躍があるように思うけれど、とにかく「何かを自分で創り出せるひと」は格好良くてシビレた。

焦燥と、詐欺師との出会い

ソフトウェア開発、という仕事が結局自分に向いていたのか未だに自信を持った答えは無いが、それでも「ひとり黙々と仕事できる」「自分が手を動かした分だけ "世界" ができていく」「人のせいにできない」というプロセスは好きになった。

ただ、それと同時に周りのエンジニア達のレベルの高さ、キャッチアップしなければならない情報の多さに目眩がした。憧れに必死に追いつこうと、終わりのない25mプールを泳ぎ続けるような無力感があった。

それでも、必死にコードを書き、焦燥から逃げるように転職をし、羞恥を噛み潰しながら稚拙なソフトウェアを世に出し続け、ある程度「ソフトウェア開発者」と呼ばれることも増えてきたとき、ある疑問から自分が逃げられないことに気づいた。

「俺は "あの" ソフトウェア開発者と名乗るに値する人間か?」

否。違う。
俺は、あの、俺の憧れたソフトウェア開発者と同じではない、ソフトウェア開発者と呼ばれることすらおこがましい、みんな誤解している、俺はただの詐欺師なのだ。

スーツ、ネクタイ、ppt

エジプトはたのしかった。ピラミッドも見た。ナイル川はデカかった。ただしメシは不味い。そもそも牛肉豚肉が無い。コロナで強制帰国になったあともひきつづき、インド人Android開発者のテックリードをやり、エジプト人アジャイルコーチをし、Azure上にCIとCDを構築したりして、思いのほか長い間お世話になりました。ありがとうございました。シュクラン!

給料上げていきたかったというのもあって、腹くくって日本で働くことにした。
コロナで外出れないですし。

最後いつ使ったかわからん1着しかないスーツを押入れから引っ張り出して、ネクタイの結び方をググった。ソフトウェア開発者としての働き方は求められていなかったが、持ち前のコミュ力とタフネスでクライアントの問題を解決するために東奔西走している。

今までの働き方とは180度ちかく違う生活で、最初は戸惑いが大きかったが「ソフトウェア開発者」と呼ばれない働き方でも価値を提供できることを知った。

おもしろいことに「ソフトウェア開発者」と呼ばれない働き方でもっと価値を提供するために、ソフトウェアを学習し始めた自分がいる。

何者になりたいかと、何者であるかは、違っていい

WEB+DB PRESS」と「Software Design」の購読を始めた。

たしかに僕は "あの" ソフトウェア開発者たちとは違うが、今ではもう、彼らと違うことを武器としている。いささか変則的ではあるけれど、そういうふうに生き抜いていくほうがコスパがよさそうだという発見がある。

その生き方をもっと洗練させるためにも、ソフトウェアを学ばないといけない。駆け出しのエンジニアとして、もっと初歩から、もっと深く、もっと速く。

もっと自分は、ニッチを、鋭く攻めていく必要がある。が、ゆえにこそ、改めてソフトウェアを勉強したいという気持ちが強い。「ソフトウェア開発者」と呼ばれることに対する後ろめたさからではなく、駆け出しエンジニアのような、再出発の気持ち。

こんなかんたんなことだったのに、長い間迷っていた。「どう呼ばれたいか」で生きているわけじゃなし。単に「武器」として、"Shape of Life" の一片として、それがあるだけなのだ。

「俺は "あの" ソフトウェア開発者と名乗るに値する人間か?」

もう名乗らんでよいのである。値なんて知らない。

詐欺師との決別と、駆け出しエンジニアとの出会い

コロナのおかげって言ったらアレだけども、憧れや焦燥を脱ぎ捨てて、やっと、自分に帰ってこれたような気がする。

もちろん「金を得た体験」による寄与がとても大きいのだけれど、
半分ぐらいは明らかに「憧れからの脱落」に起因していると感じている。

今後も、ソフトウェアを書き続けるし「ソフトウェア開発者」と呼ばれることもあるかもしれない。しかし、僕はきっとあのとき憧れた「ソフトウェア開発者」のようにはならない、なれないと思う。

それでも、

もっと、あのとき憧れた「何かを自分で創り出せるひと」であれたらいいなと思う。

ただただ、そう思うだけなのだ。

きっとこれは、憧憬ではなく、野望なのだ。


WETな備忘録として

2020年 所信

所信(ショシン)とは - コトバンク
信じている事柄。信ずるところ。

自分の備忘録として

tl;dr

  1. 中長期の計画をし、遂行する
  2. アウトプットより、インプットを優先する
  3. 健康のための犠牲を、意識的に計上する

以上です。








以下、根拠など。

2019年なにをしたか

  • 転職をした
    • ソフトウェアを主業としない会社に転職した。わからないことだらけだったし、今でもわからないことだらけではあるけれど、それでもそこそこ面白かった。とりあえず1年生き残ったので、もうちょっと頑張ってみたい。
    • 期せずしてだいたい社内無職を謳歌していたので、後述のDTMをはじめ、めっちゃ趣味が捗ったんだけど、もうちょっとちゃんとキャリアパス構築に投資するべきだったと反省している。
  • DTMを始めた
    • 2018年末からほそぼそとマッシュアップSoundCloudにアップし続けて、反響があったり無かったりして、楽しめた。
    • ただ、やはりクオリティが頭打ちしており、楽器などの経験も皆無だし、やはりいっぺんちゃんと音楽の勉強したいな、という気持ちになったのでとりあえず初心者用の音楽理論の本を買った。
  • チリで働いた
    • 当ブログでも書いたけれど、社内無職してた自分にいきなり舞い込んで来たプロジェクトが南米はチリだった。今デモで荒れに荒れてるんだけど、催涙スプレーや投石や路上放火を見るなど日本ではなかなかできない体験ができてとても有意義だった。
    • 放っておけばスペイン語で進むコミュニケーションに英語で入って行き、チリ人のメンバーとめちゃくちゃ良い関係を築けたのは、やっぱり自分ソフトスキルすげーなという再確認になった。コミュ力が強い。
  • 自作OSSがStar 1k達成した
    • 2013年からシコシコと書き続けているGoのOCRパッケージが、先日Star 1000を達成した。1kという表記は感慨深いです。
      • なお、このGoのOCRパッケージは艦これウィジェットのサーバサイドOCRにも使われており、初期の開発動機は「自分が使いたい」でした。
        • 逆に艦これウィジェットに関しては更新が滞っており、Twitter上に相互のユーザさんもいるので、申し訳ない気持ちです。来年はがんばりたい。
    • とはいえ、このGoのOCRパッケージは、C++で実装されたTesseract-OCRAPIをCGoで呼び出すブリッジに過ぎないので、CGoを使わない完全なポートとか書いてみたい。しんどいだろうけど。ミニマムスタートな感じで。
  • 遠距離恋愛が始まり、遠距離恋愛が終わった
    • 遠距離は無理、という知見を得た。
  • 5kg太った
    • たしかに長期出張が社会人アメフトリーグのメインシーズンにモロ被りしたというのもあるけれど、それにしても2019年はほとんど身体を動かすことが無かったと思う。よかれと思ってキックボクシングを始めたりしたけれど、これも正直続かんなという気持ち。ジム通いとかもってのほか。ぜったい続かん。
    • 消化器系、循環器系に違和感を感じるようになったので、さすがに「健康そのもの」の優先度を上げざるを得ない。アクティビティから得られる産物ではなくて、健康そのもの。

2020年どうしたいか

  1. 中長期の計画をし、遂行する
    • 今の会社は個人のキャリアプランなどは個人の責任で、まあなんつーかそれ当たり前なんだけど、ちゃんと「どういうスキルを身に着けてどういう人材になっていきたいか」という中長期計画を自分が作り、沿っていく必要がある。
    • 今まではかなり場当たり的に生きてきており、仕事も趣味も、興味分野を取っ散らかして食い散らかしてきたと思う。その結果、たしかに「謎のソフトスキル」は身についたが、とくに専門分野があるわけでもないし「これが強みッス!」みたいなものも無い。趣味のアウトプットも「とりあえずやってみた」はいいけれどあまり向上が見られてない深さが無い。青木真也に言わせれば「欲望が散らかっている」ってやつだと思う。
    • そろそろ、自分の責任で「自分がどうなりたいか」を真剣に考えるときかもしれない。40は不惑って言うし、まだまだ先だけど。
    • 2020年は「アレやりたい→今日やろう!」という短絡的な行動力だけに身を任せるのではなく、「アレやりたい」の期待される目標を定義して、週単位で学習計画を見積もり、それに沿っていくという活動をしたい。まぁリハビリです。
  2. アウトプットより、インプットを優先する
    • これはただの自分の性癖なんですけど、仕事でも趣味でも、今までスキルの向上というのは「稚拙でもアウトプットをまず出して、それを継続的に向上していくことによって成し遂げられる」という哲学*1でやってきた。
    • それ自体、間違ってはいなかったと思う。けれど、今の自分にとっては、そろそろこのアプローチは限界のように感じる。
    • 興味分野が多角化するにしたがって、ひとつ1つに継続的なコミットメントを保証できなくなって、結局は広く浅く食い散らかしただけ、というのが現状。
    • ひとつ1つの品質向上を図るということと、興味の自発的多角化を抑制するという目的で、アウトプットよりもインプットを優先したい。
      • 主に書籍や、勉強会、ワークショップ、ラーニングなどになると思う。
    • 結果的に、WETよりもDRYの更新が増えるようにしたい。
  3. 健康のための犠牲を、意識的に計上する
    • なんとなく「あ〜健康になりてぇ〜」「痩せてぇ〜」って言ってた。
    • 華麗に解決する策があると思ってた。キックボクシング始める、とかね。
    • キックボクシング始めたら、オシャレだし、人もいるし、週1で自動的にモチベーションが上がったりするんだろうな、と思ってた。
    • 無駄である...!
    • たとえば「その飲み会には行かない」とか「ベッドから出る」とか「1日10分」とか、そういう具体的な「犠牲」を計上しないと健康には実現されないのではないだろうか。そこに銀の弾丸は無い。
    • とりあえず10kgぐらい痩せたい。
    • 酒は毒。

雑感

  • 2020年だし、年収2020万円にならねぇかな

無能な同僚と働くということ。

君へ、

つい最近まで、南米で3ヶ月ほどデータエンジニアとして仕事していた。Tシャツで帰ってきて震えた。寒くて。

僕にとって2019年は、あんまりいろんなことが無かったくせに、いや糞ヒマだったからこそ、いろいろ考えることが多い1年だったと思う。最後の3ヶ月以外は、基本的にヒマだった。

過去に僕はベルリンで1年ほど働いていたこと*1があり、まあ結論からいうと音を上げて、日本に逃げ帰ってきた。何がそんなにしんどかったかというと、ベルリンは十分英語で生活できるとはいえ、ドイツ語関連のトラブルシューティングに付き合ってくれるドイツ人の友人を作ることができなかったというのが大きいが、そういう人間関係を構築することが出来なかったことも含めて、当時所属していた会社の上司および同僚と上手くいかなかったのが致命的だった。

とくに、エンジニアの同僚氏、つまり君は、まったく許せなかった。

あれからもう3年も経ち、おもしろいことに、いやぜんぜんおもしろくはないんだけど、最近また同じような不満を、今の職場のある同僚に抱いた。怒りではない。不満、というか嫌悪感だろうか。

何がそんなに嫌だったか

彼、その同僚は躊躇も無く「あなたは私より技術力があるのだから私を教育してほしい」と言った。

3年越しに「君」に再会したかのような感覚だった。僕はベルリンでの出来事がフラッシュバックして、一瞬混乱した。彼は君ではないんだけど、同じようなことを言った。

彼は、僕と同じポジションであり、僕と同じぐらい給料をもらっており、なんなら僕より先に昇進するだのという噂を耳にしており、客には同じ工数で握っており、そんな中で「教育してほしい」とは何事だろうかという憤りがあった。

OKわかった、じゃあこの件はこういう技術調査をして、こういうアウトプットを期待しています。明後日終わりぐらいまでにできるか?というと「それはやりたくない」と言う。

またある時は、ある実装のアイデアを僕に求めて僕がそれを答えると「自分にはできない」と言ってナイーブなソリューションを選んだ。

おそらく僕は、彼に対して、

  1. 技術者として教えてもらうこと前提である
  2. チームのためでも自分の興味分野以外は拒否する
  3. 技術的な課題を自力で解決できることを目指していない

というような点に不満を感じていたと思う。

僕は君にどうしてほしかったか

そしてこれはまさに、ベルリンにいるとき、君に対して抱いていた不満だったと思う。君は知らなかっただろうけど。

僕自身も、この不満をちゃんと言語化して彼に(君に)共有してはいなかったけれど、僕は君に以下のようなことを知ってほしかった。

  • 技術者としてやっていくなら、技術の問題に自分で取り組まねばならない
  • チームの成功のために、やらねばならないことはやらねばならない
  • 多少負荷のあるタスクに取り組まないと技術力は身につかない

しかし、僕が3年前にベルリンで君に思ったことと同じことが、2019年にも起きるというのは、あまりにも偶然が過ぎるとも思った。僕は、同じような属性の、同じような特性の、同じように問題を持つ人物に、同じような境遇で出会ったのだろうか。

説明変数 "俺"

情報量規準*2っていう考え方があって、なにか観測される事象があってそれを説明するもっともらしい変数が、乱暴にいえば「少ないほうがいい」っていうやつで。

僕が経験した2つの事柄は、ともに君と彼に問題があったから引き起こされたのではなく、ある共通した1つの変数によって引き起こされたと考えるほうが合点がいくんですよ。

そう、この場合、僕です。僕に問題があったと考えるほうが、説明がつくんです。

ハンマーで頭を殴られたような衝撃、っていうのはこういうのを言う。

君は僕にどうしてほしかっただろうか

今にして思い出すと、僕が君にしてほしかったことも、君が僕にしてほしかったことも、僕たちは意見交換のひとつもしなかった。もちろん、それはあのベルリンでの目まぐるしい激務の中で時間がとれなかったというのもあるけれど、ちょっと5分コーヒータイムを一緒にするぐらいはできたはずだ。

なのに、僕は、君が僕にどうしてほしかったかなんて考えたことも無かった。今となっては想像するしかできないけれど、

  • 「教育してほしい」というのは、決して「あなたのようになりたい」ではない
  • 自分の目指す方向がチームの成功に沿うようにマネジメントしてほしい。逆ではない
  • あなたが学んだのと同じ方法で自分が技術者になれるわけではない
  • あなたは私を悪者のように思っている

と君は思っていたんじゃないかと思う。

僕はどうするべきだったか

幸いなことに、今のチームでは、僕にそれを気づかせてくれる人も仕組みもあって、僕があの時どうするべきだったかなんとなく自分の中の答えはある。あの時、君が僕にどうしてほしかったかを考えると、きっと僕があの時するべきだったのは、一人で躍起になってすべての火を消して見せるのではなく、

  • どうなっていきたいかをもっと相談にのるべきだった
  • 僕も、僕が、どうなっていきたいかもっと共有するべきだった
  • そういうメンタリングも含めてやっています、という握りをすべきだった
  • そういう不和も含めて、もっとチームと話すべきだった

つまり、無能は僕だったのだ。一人で勝手に大変ぶって、チームに悪者をつくりあげて、それを解決することで自分がいかに貢献しているかを見せびらかしていたのだと思う。君が僕を揶揄した「heroism」というのは、あながち間違いではなかった。

本当に無能な同僚と働いていたのは、他でもない、君だった。

無能な同僚と働くということ

「無能な同僚と働いている」と感じていたのは、僕が無能だったからだ。

仕事はひとりでやっているのではない。特に、僕らがやるようなことは、ひとりではできない、ひとりではやっていない。十人十色、千差万別の野心の集合体としてチームが存在し、それぞれの野心のベクトルの和が「チームの成功」に最大限寄与するようにアレンジするのが、僕のするべき「マネジメント」であったはずだ。

責任感という都合の良い言葉は、他人からしてみれば独り善がりのオナニーにすぎない。責任感を持ってやるのは良いが、他人に「責任感」を要求するのは、自分の行動価値観を都合よく押し付けているに過ぎない。

人は必ずしも「チームの成功」を第一の目的として働いているのではない。人が皆「チームの成功」を第一として働いている、というのはただの思い込み、あるいは願望である。であるがゆえに、「責任感を持つべき」というのは、あるい一つの価値観から導き出された「チーム成功への貢献の一つの解」ではあろうが、自分の考える「責任感」とかいう曖昧なものがあたかも共通の、絶対の動機になりうると履き違えてはいけない。

もし僕がまた「無能な同僚と働いている」と感じることがあれば、本当に無能なのは他の誰でもなく僕であり、あの時から僕は何も進歩していないということになるだろう。

もう君に会うことは無いだろう。

会っても僕は君に挨拶なんてしない。ただ、君のような人にまた出会ったら、きっと次はもっと上手くやれると思う。それは間違いなく君のおかげであり、僕はベルリンでそれに気づけていなかった。


一言、君に伝えるとすれば、ごめん、と言いたい。



自戒を込めて、WETな備忘録として




雑感

  • 今まで、行きあたりばったりで生きてきたツケが、2019年に回ってきた
  • 2020年は、もっと計画的・戦略的に動きたいと思う
  • 中長期的になにか考えるの苦手
  • 良いお年を
  • 2月に銭湯でのんびり音楽聞くイベントやるので来てね 👉https://yukemuli.dance/

空の青さを知らず

南米での2ヶ月の仕事を終えて、日本に帰ってきた矢先「また行って。なる早で」と言われ、なるほどね、となりながら今話題の映画『空の青さを知る人よ』を観た。絶妙な伏線回収や大胆などんでん返しがあるわけではなく、テーマ自体もまあよくあるもなのだが、僕は頭がいたくなるぐらい泣いた。観終わったころには目が腫れていた。日本に帰ってきてよかった。日本最高。

親愛なる焦燥へ

ある能力が「当たり前だ」と思っていた頃は、自覚無く、その能力を研鑽できていたのだと思う。が、それは同時に「当たり前だ」と思っているがゆえに自己評価が低く「このままでは死ぬ」という焦燥を常に伴っており、生きている心地がしない毎日でもあった。ただ、たしかに、この恐怖感と焦燥感が自分を強くしたのは疑いようもない事実だと思う。

さまざまなきっかけを経て、人間はそのままである程度うつくしい、ということに気づいてしまい、自分が「当たり前だ」と思っていたモノたちが、実は「当たり前」ではないという自覚を得た。これは自信につながり、自分の売り方を変えた。超人と真っ向から勝負するのではなく、憧れの超人たちが拾えない玉を、いい感じに拾うということが、それはそれで僕にしかできない仕事なのだという自負を持つようになった。

肩の荷がおりたように、生きやすくなった。何事にも、嫌なら "No" と言えるようになった。好きなものやひとを好きと言えるようになった。

しかし一方でこの発見は、長いあいだ僕を育ててくれた、あの恐怖感と焦燥感から僕を逃してしまった。暗くて狭いあの部屋から。そして、今振り返ってみると、半年何も変化していない自分を見つけた。日々の仕事に追われ、あるいはたいして上手くもない趣味に没頭し、適度にたのしい日々を過ごしながら、何も研鑽されていない。ゆるやかに老いているだけだ。

かつて僕を強くしたあの焦燥は、もう隣にはいない。

君は今、どこで何をしているんだろうか。僕から君を去ったとはいえ、また逢えたら、今度はもっと仲良くなりたい。

錯覚不幸と幸せ迷子

これはたぶんマジなんだけど、日本って「幸せの押し売り」がすごい。仕事・結婚・趣味嗜好、ありとあらゆることに強いロールモデル、いわば「正解」があって、それだけが実に「幸せ」であり「それ以外は失敗です!」みたいなやつ。テレビCM、電車の中吊り、新聞、ツイッター、どこに逃げても「いかにお前は不幸せか」ということを懇切丁寧に説得してくれており、じゃあどうやったら「その幸せ」とやらを手に入れれるのか、という質問にはいっさい答えてくれない。

海外とくらべると、二言目にはすぐ「海外は〜」とか言うような薄っぺらには絶対なりたくねえんだけど、やっぱり日本って特殊で、海外で気付けることは多くて、とくに自分の経験した国の人々は「自分の幸せを人任せにしない」「自分の幸せの定義に自分で責任を持つ」ということをちゃんと心得ており、そういった意味では、彼らから見れば日本人ってどうしたって「ひたすらにガキ」なのである。いつまで先生の言う通りにしてるの?いつまで誰かが自分を幸せにしてくれると信じてるの?っていう感じで。ブラック労働とか過労死とかその顕著な例です。

というカルチャーショックを数年前に僕も受けて「もう幸せを人任せにしないぞ!」という決意をして、いたずらに自分と他人を比べたりするのとか、社会や会社が自分をきっと評価してくれるという妄想を捨てたりしたら、メディアによる「錯覚不幸」の呪詛から解放され、人生という時間がだいぶラクになった。

と、同時に「俺はいったい何をやりたかったのか」「俺は本当は何者になりたかったのか」という本質的な問に素っ裸で晒されることになる。あー僕はこういうことからずっと逃げてきたんだな、とヒシヒシと痛感する。今まで道標のようにずっと側にいてくれた「錯覚不幸」はもう僕のケツを叩いてくれることはなく、無慈悲な自由を僕は手に入れて、自分の幸せとはいったい何だったのかという迷子になっている感じだ。

悪い意味で、見事に僕は僕の忌み嫌う「教育」の立派な成功事例であり、内発的なものはなーんも無い、からっぽ、ただただ外から与えられた競争や枠組みに対して抵抗してみせることでしか自分をつくれない箱入り娘だったわけである。

それを今更気づいてしまった。

僕は空の青さを知らない

※ ネタバレを含むので観てないひとは以下のリンクを踏む。

TOHO THEATER LIST/空の青さを知る人よシアターリスト

『空の青さを知る人よ』の中で、登場人物「しんの」は「お前は先に進んだんだ」と言い、それをうけて「慎之介」は「俺はまだ途中らしい」と気づく。物語の前半では、若い「しんの」は野心の象徴かのように描かれているが、クライマックスに近づくにつれ、実は懐古と恐怖心の象徴であり、スれて冴えない中年になった「慎之介」こそが情熱の体現者であった、という構図が描かれる。決して単純な二項対立で僕たちに訴えかけるではなく、あくまで前向きに、幼いときの自分を思い出させ、なおかつ現状や歩いてきた道を否定せず、しかし今からでも前に踏み出す勇気をくれるような作品だった。

このくらいの粒度のテーマがさらに2,3個描かれているため、全体のストーリーとしては大味になってしまうわけだけれど。もっかい観に行こうかな。

まあしかしですね、観ててわかったんですけど、俺の中には「しんの」どころか「慎之介」すらいねえ。強烈な衝動も、捨てられない懐古も、くすぶる野心も無え。ただただ、この狭い世界から出たくて、なるべく遠くに行きたくて、今あるものを嫌がって、何を目指すわけでもなくもがいていただけで、南米で仕事して戻ってきて映画観たら何も残ってねえの。

何もいらない、何もしたくない。息しているだけで2000万円くれ。

焦燥の先、衝動の前

結局、ここに戻って来てしまった。どれだけ逃げても、結局自分からは逃げられないな、という気持ちがある。自分というものが一番わからないもので。汝を傷つけた槍だけが、汝を癒やすことができるというやつ。

さすがにいい歳だし、もうこれ以上「自分探し」なんてしたくねえんだけど、しょーがねーだろ赤ちゃんなんだから、と思います。とりあえずいっぺんしょーもない糞をアウトプットすることで「俺はやっている」と自分を納得させるのをやめて、拠り所を無くそうと思う。

言い訳がましく人生を楽しんでいるように見せるんではなくて。

人並みに紆余曲折を経て、多少生きるのが上手くなったところで、今まで逃げてきたものからの対峙は免れないということを再確認したような気がします。青臭くて口にするのも恥ずかしいけれど、誰が言ったとかじゃなくて何から逃げたいとかじゃなくて自分が何者かとかどうでもよくて「いったい何がしたいのか」というのと、正面切ってケリつけなければならないようです。

しょーがねーだろ、わかんねーんだから。

雑感

長期海外出張に行く前に一度顔を出してきりだった行きつけの飲み屋のママ(♂)に会いに行ったら、その日の朝に死んだらしい。これは完全に俺呼ばれたな、と思った。
関係者各位に混じって、泣くほど飲んだ。

たぶん全部まとめて「女々しいわねえ〜」と叱られると思う。

WETな備忘録として