WETな備忘録

できなかったときの自分を忘れないように

現役プレイヤーから見た日大アメフト部「タックル」事件

この件に関しては、当該大学アメリカンフットボール部の誠意ある対応と、日本アメリカンフットボール協会・関東学生アメリカンフットボール連盟の先見性のある対策を信じていたので特に発信すべきことは無いと思っていました。

しかし、日本大学の対応はあまりに酷く、協会も連盟もことごとく後手にまわり、日に日にゴシップ色がつよくなるマスメディアのおもちゃにされている現状に危機感を覚え、あくまで、今後もアメリカンフットボールを続けていきたい1プレイヤーとして、自分の切実な意見をまとめるに至りました*1

僕は高校からアメフトを始め、大学では関西学生リーグで、現在でも関東社会人リーグでプレーしています。学生のときは件の日大とも対戦し、当時はすでに故・篠竹幹夫監督が退任され、内田正人監督体制であったと記憶しています。僕の知る日大アメフト部「フェニックス」*2は、強く、尊敬できるチームでした。

「潰せ」という言葉は、よく使う言葉であるか

まったく不本意ではあるけれど、今回の事件で「アメリカンフットボール」というスポーツは、今まで気にも留めなかった人も含めて多くの人の注目するところとなりました。なので、ここであえて「アメリカンフットボール」の概要について詳しく述べるということはしませんが、一例として以下の動画を見てくれたら、その雰囲気ぐらいは分かると思います。

※ 上の動画において反則に該当するもの(反則の紹介は末尾に付録します)

  • 2:49: ボールを投げ終えたあとのQBをタックルしており「ラフィング・ザ・パサー」に該当します
  • 3:04: 明らかにパス失敗となった後にタックルしており「レイトヒット」の可能性があります
  • 3:51: 「ヘルメットクラウンでの接触」に該当する可能性があります

いくつかのプレーは反則に該当していますが、それを除けばそのほとんどが「称賛すべきハードヒット」であり、アメリカンフットボールの魅力であるといえます。スポーツとしてのこの性質は、極めて格闘技に近いということが理解できるかと思います。格闘技の性質がある以上、ルールに違反しない範囲で「相手を壊そう」という意志が無いとは言い切れません。それは、ボクサーがロングフックを打つとき、総合格闘技が腕十字を極めるとき「相手を壊す意図が無いか?」と訊くことに似ています。

僕自身、学生時代は「相手を潰せ」という発言は、コーチに言われましたし、自分自身がコーチをしている時は、選手にそれを言うこともありました。学生の1部リーグで真剣にアメリカンフットボールをしていたら、こういう表現を1度も聞いたことが無いという人はいないかと思います。それだけ、アメリカンフットボールは局所的には格闘技に近いスポーツだと言えます。

「1プレー目から」「QBを」「潰せ」の異常性

しかしながら、これと同時にアメリカンフットボールは大局的に見ると高度に知的な戦略性を要求されます。

下の図は、オフェンスチーム(⚪や⚫で表現されている11人)が、ディフェンス選手(アルファベットで表現されている11人)をどのようにブロックして、最終的にボールを持つ人(⚫)を前進させるかを表した「アサインメント」(Assignment: 役割)の1例です。

(分かる人が見れば、オフェンスはディフェンスプレーヤーの右側に回り込みブロックして、最初左にいた人がそこを走り抜ける、というようなプレーに見えます)

f:id:otiai10:20180527202216p:plain

The 3 Back Option Football Spot: Running the Rocket with Downhill" blocks. Part I より

このような「アサインメント」によって定義される「オフェンスのプレー」を100種類以上準備し、試合に臨みます。もちろん、これに対するディフェンスの「アラインメント」(Alignment: 配置)は完全に予想できないので、1種類のプレーでも「アサインメント」は複数のバリエーションを持つことになり、覚えるべきことは爆発的に増えます。

一方、ディフェンスにとっては、オフェンスがどのようなプレーをどのようなフォーメーションからどのようなアサインメントで繰り出してくるか知りようがないので、それぞれ11人のディフェンスプレーヤーが厳格にゾーンを分割し、役割を分担し、自分の「レスポンシビリティ」(Responsibility: 責任)を死守します。

つまり、上記の動画における「ナイスタックル」のほとんどは、数百以上あるオフェンスプレーのバリエーションのうち1試合で1度来るかどうかわからない、自分のレスポンシビリティと真正面から合致するプレーが来たときにのみ発揮できるパフォーマンス なのです。

ここから、日大の加害選手が言われたとされる「アラインはどこでもいいから、1プレー目からQBを潰せ」*3という発言が、アメリカンフットボールを実際にプレーするうえで、いかに異常なものであるかが理解できるかと思います。

まず、「アラインはどこでもいい」というのはディフェンスとしてのレスポンシビリティ(責任)を放棄して良いという意味とほぼ等価であり、「1プレー目から」「QBを」というのは、ほんらい千載一遇であるはずのハードタックルのチャンスを、意図的に、フットボールの正当なプレーとは関係なく、作為的に狙え、という意味に聞こえるはずです。

この視点は、関西学院大学の鳥内監督もその会見において触れており、アメリカンフットボールの関係者であれば、意味が理解できたのではないかと思います。

「“1プレー目でつぶせ”は異常なこと」関学大監督 | NHKニュース

関学大の会見一問一答、鳥内秀晃監督「『1プレー目で潰してこい』は異常」(日大の危険タックル問題)

逆に言うなれば、このようにアメリカンフットボールとは、戦術とルールを無視すれば、人の命を簡単に危険に晒すことができるスポーツであるとも言えます。

これは、アメリカンフットボールが内包するたいへん重大な問題であり、アメリカンフットボールの歴史の上で、そして現在でもしばしば指摘され、また継続的に改善されている問題であります。

アメリカンフットボールにおけるルールと審判

近代アメリカンフットボールのルール整備に関しては、アメリカ第26代大統領 セオドア・ルーズベルトのエピソードがとっても有名で面白いです。

第17話 アメリカンフットボールの起源と歴史 第7章|久保田薫コラム|株式会社キュービィクラブ

第22話 アメフトの歴史と大統領の関わり 第1章|久保田薫コラム|株式会社キュービィクラブ

1905年アメフトは危険だから禁止にする。 - 歴史 解決済み| 【OKWAVE】

先述のように、アメリカンフットボールは局所的には格闘技としての要素が強く、たいへん危険なスポーツと言えます。だからこそ、アメリカンフットボールのルールは選手の安全を第一に設計されており、悪質・意図的であるかにかかわらず危険なプレーには、選手の資格没収にとどまらずコーチや組織にまで及ぶ、重い罰則が科せられています。


一般にスポーツの「ルール」と「審判」には

両者の平等な競い合いを規定する

という役割があるかと思います。

これに加えて、他のコンタクトスポーツないし格闘技と同様に、アメリカンフットボールというスポーツは「ルールを無視さえすれば人を殺すこともできる」という性質がある以上、

両者の生命の安全を守る

という役割があると僕は思っています。これは大きな差であり、アメリカンフットボールの審判の最優先される責任であるべきです。アメリカンフットボールの安全は、「ルール」と、それを施行する「審判」という存在によってのみ、絶対的に保証され、規定されるべきです。

したがって、これからも僕がアメリカンフットボールをプレーし続けるうえで、日大監督の発言の真偽や、指導責任や、日大アメリカンフットボール部の内心の哲学の善悪は、直接的に僕の関心事ではありません。義憤で日大を叩く行為は、今後も「アメリカンフットボール」を「安全に」プレーし続けるうえで、まったく本質的な議論を生んでいません。

日本における「アメリカンフットボール」というスポーツの未来のために、起こすべきアクションは、他のところにあります。

関東学生アメリカンフットボール共同宣言

実際に日大アメフト部「フェニックス」と対戦し得る立場のチームにとって、事実が明らかになり問題の再発防止が確約できない以上、自分たちの生命を危険に晒す相手と試合をすることはできない、とするのは至極当然なことです。(事件の1週間後に交流戦してる関大*4はすげえなと思う。寛大なんだろうか。関大だけに)

日大アメフト、連盟15チームから対戦拒否方針 : スポーツ報知

事の真相の如何に関わらず、アメリカンフットボールの安全を脅かす酷い反則行為をした選手をベンチに下げないようなチームは、軽蔑され、忌避されるべきです。

また、関東学生アメリカンフットボールリーグの日大以外のチームは、以下の文書を公開しました。

関東学生アメリカンフットボール共同宣言 2018

事の真相の如何に関わらず、あのような反則行為が発生することを看過するような態度は軽蔑され忌避されるべきだということを、表明しなければならないと思います。

審判の責任と、再発防止に向けた声明と提言

一方、僕のように実際に日大アメフト部「フェニックス」と直接対戦する可能性が低い立場として、この件には別の危機感と恐怖を覚えます。

それは、審判の判断です。

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注意: 当該選手の背番号部分に一部編集を加えています。が、審判の位置などは実際の状態のままです。

上記は、当該選手による1度目の反則が発生する1秒弱前の画像です。フィールド内の全選手が「パス失敗」を認識し、減速する姿勢をとっているのが見て取れます。しかし、審判の目の前にいる当該選手だけが、スピードを落とさず被害選手に突っ込もうとしている、極めて異様な図です。

この直後、当該選手は被害選手の腰下へ全力でタックルし、これが「不必要な乱暴行為」という反則が適用され、15ヤードの罰退とともに、おそらく「自動的なファーストダウン」(野球で言えばアウトのリセット)も与えられていると思われます。

しかしながら、僕は、この処分が極めて不適切であったと思います。少なくとも上記の行為は「不必要な乱暴行為」の1つとして処分するには重大すぎる反則であり、少なくとも以下の3つの反則が適用されるべきです。

  1. レイトヒット
  2. ラフィングザパサー
  3. ひどい反則

これは、これが「監督の指示」だとか今回の件がゴシップ的にここまで大きくなったこととはまったく関係なく、客観的な事象としてあの日のフィールドにおいて適用されるべき「ルール」です。

何度も言うように、アメリカンフットボールにおける「ルール」と「審判」は、スポーツ一般に言える「両者の平等な競い合いを規定する」以上に「両者の生命の安全を守る」という役割があるのだから、このような反則行為に関しては、より一層敏感に判断・対応すべきでした

事実、関東学生アメリカンフットボール連盟は公式に罰則が過小であったことを認めています*5

このプレーの直後、この選手をベンチに引っ込めない日大もどうかしてるとは思いますが、僕にとって見れば、これで1発で資格没収(退場)にしないこの審判のほうがよっぽどサイコパス。マジで怖い。

この後、当該選手が資格没収処分されるまでにさらに数回の反則を「要した」わけですが、1回目のこのプレーが最大に危険で、最大に悪質であり、1回目のこのプレーが資格没収を伴わないなら、アメリカンフットボールにおける「傷害事件」は今後も発生し得ます。

僕は、日大アメフト部と直接対戦する可能性はほぼ無いので「日大との対戦を拒否する声明」を出すのはお門違いです。しかし、この審判のもとでアメフトの試合をする可能性は有ります。したがって僕が出すのは「この審判が担当する試合への出場を拒否する声明」です。そして、僕が関東学生アメリカンフットボール連盟に求めることは、

  1. 当該審判の審判資格の没収
  2. 日本アメリカンフットボール審判協会*6による当該審判の審判資格者講習の再実施

というのが、1プレイヤーとしての切実な願いであります。

「堂々と勝ち、堂々と負けよ」

被害選手の保護者が被害届を提出*7し、日本スポーツ庁が調査に乗り出す事態*8にまで至ったのは、関東学生アメリカンフットボール連盟、および日本アメリカンフットボール協会が、しかるべき責任を全うし真っ先に調査を名乗り出なかったことに起因していると僕は思います。

今回の件は、本来ならば審判が正しい判断を下して1回目のプレーで資格没収を宣告すべきでしたが、そうはならず、様々なメディアから注目されるところとなり、結果として日本のアメリカンフットボールに対する大きな、そして必要な、問題提起となりました。

報道や世論は完全に「日本大学の倫理・哲学の不健全性」という論点で熱狂しておりますが、日本の片隅で今週末も練習をしこれからもアメリカンフットボールを愛していきたい僕にとっては、正しく、未来につながる議論がなされることを切に願っています。

「チームが窮地のときこそ、矢面に立ち奮闘できる人間になれ」というのは、僕が学生時代にアメリカンフットボールを通じて学んだことのひとつです。正しく権威のある者が、この状況で必要な振る舞いをできるかどうかが、今後の日本アメリカンフットボールの発展に大きく影響するような気がしております。

アメリカンフットボールは素晴らしいスポーツです。多くのことをアメフトを通じて学びました。*9

僕も、アメリカンフットボールという素晴らしいスポーツ、そして僕が心から愛するスポーツに対して、今後も真摯な姿勢で取り組んでいくことを、志を同じくする人たちとともに、あらためてここに宣言します。

WETな備忘録として

付録: 関係する公式規則

公式規則 | 公益社団法人 日本アメリカンフットボール協会
そのリンクから、現行規則のPDF版 を参照のこと。

以下、すべて 第 9 篇 公式規則の適用を受ける者の行為 より

  • 第1章, 第1条 ひどい反則
    • 試合開始前,試合中または各節の間を通じ,すべてのひどい反則(参照:2−10−3)は資格没収とする。
  • 第1章, 第3条 ターゲティングしてヘルメットのクラウン*10で強力な接触をすること
    • すべてのプレーヤーは,ターゲティングしてヘルメットのクラウンで相手に強力な接触をしては ならない。
  • 第1章, 第9条 ラフィング ザ パサー
    • 明らかにボールが投げられた後は,パサーへの突き当り,またはパサーをグラウンドに投げつけてはならない。
  • 第1章, 第7条 レイト ヒット,アウト オブ バウンズでの行為
    • ボールがデッドになった後,相手に対し,パイリング オンをしたり,倒れ込んだり,または身体を投げかけてはならない。
  • 第2章, 第1条 スポーツマンらしからぬ行為
    • 明らかにボールがデッドになった後,押す,突く,殴るなど,フットボールの行為ではないデッド ボール中の接触をすること。
  • 第4章, 第7条 不正な装具
    • プレーヤーが装着している,他のプレーヤーにとって危険となるもの。



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若さってなんだ

エモいブログを真剣に5年も続けていると、かつて答えが出なかったものに、薄ぼんやりと答えが見えるようになってくる感覚がある。そりゃ5年もあれば路傍の石も何かヒントに見えたりするか。

「俺はやれている」が無自覚なブレーキになっていた

僕にとって2017年は、DNA解析業界に飛び込んだり、ビリヤードを始めたり、15年ぶりにスノーボード行ったり、人前でDJしたりと、何かと挑戦した1年だった。

それと同時に、特に仕事で、よく挑戦し、それらをある程度楽しめる自分自身や、ある程度楽しめている現状に、そこそこの手応えがあった。誰もが羨むスーパープレイヤーではないにしろ、自分の特異性・変態性を活かして生きれていることに多かれ少なかれ満足し、自己肯定感を得ていた。

自分の特異性・変態性こそが尊い、という主張は先述の通りです。

そんな折、年も明けてもう2月になった頃、転職を考える機会があった。幸いなことに転職のお誘いは定期的にあるので、その都度考える機会はあるのだけれど、その件に限って言えば、全く馴染みの無い業界で馴染みの無い技術を使う話であったので、印象的であった。素朴に、こう思った。

「俺にやれるのか?」

今まで、何かと未経験のまま飛び込むなどということが当たり前だったはずなのに、なぜ今、突如としてこんな陳腐なブレーキを踏む人間になったのだろう、とショックを覚えながら疑問に思った。自分が不思議だった。

悪い自慢、良い自慢

話はちょっと変わるんですが、
かつて高田純次情熱大陸かなんかで言ったとか言わないとか、

歳とってやっちゃいけないことは、「説教」「昔話」「自慢話」

元祖テキトー男・高田純次さんが語った「歳とってやっちゃいけないこと」に説得力ありすぎて全然テキトーじゃない! - Togetter

なるべくこれを心がけるようにしている。

しかしながら、ある種の経営者や苦労した人々は「昔話」をよくするし、えてして「苦労自慢」になりがちだが、中には人の心をゆさぶる「苦労話」もあったりする。ツイッターに以下のような趣旨のツイートが流れてきたこともある。

自分にはかなり苛烈な過去があり、それを乗り越えたことが自慢でもある。これも「悪い自慢」であろうか?

人々に嫌われる昔話を仮に「悪い自慢」とすると、ある一定の割合で「良い自慢」というのも存在するのはどうやら確からしいんだけれど、はたしてその差は何なんだろうか、とずっと思っていた。

そんなとき、冒頭の疑問に直面した。
未経験のまま飛び込むことに躊躇う自分を観測したのだった。

その過去を、自慢ではなく、自信に

僕がいつの間にか失くしていたのは「自信」だったのだと気づいた。かつて自信満々だったあの時よりも明らかに「過去の実績」を積んでいるにも関わらず、僕はこの1年で急速に「自信」を失っていたことに気づいた。

「過去の実績」を積むことにより「自信」を失い、代わりに僕は何を得たのだろうか?

「回顧」である。

つまり僕は「自信」を失い、「昔話」と「自慢」を得ていたのだ。

「過去の実績」が無かったあの時、僕には回顧の材料なんてほとんど無かった。だからこそ、未来だけを見て大言壮語に自信を語ることができた。でも、過去を得た今、僕が語るのはいつだって過去の話になってしまった。

ある種の経営者や苦労した人々、および先述の「苛烈な過去」のあるツイートの主がする「昔話」が心を引きつけるのは、彼らの「昔話」が過去の自慢を語っているからではなく、彼らの現在と未来における自信の根拠を述べているだけだからではないだろうか。

「良い自慢」をする彼らの言葉には、常に現在と未来に対する決意と自信が現れており、「悪い自慢」をする僕の言葉には「自信」が見えない。そう考えると、ある程度の実績を積んだにもかかわらず自信を失った謎の現象を説明できるような気がした。

あばよ涙。よろしく勇気。

若さ 若さってなんだ? 振り向かないことさ

串田アキラは、『宇宙刑事ギャバン』の中でこう歌った。

before11.hatenablog.com

本当に若いってのは串田兄貴が仰られるように、確かに、「今持ってるものをうっちゃって行けますか、どうですか」ということなんでしょうな。

僕はこのとき、この歌をそう理解していたようだ。若干はずかしい文体で。まあ5年も前だから。

しかし、今はハッキリとこれが、惜しいけどちょっと間違いだったと思う。若さとは、裸一貫で何も持たないことを言うのではないし、若くあろうとすることを阻むのは、持っているものを捨てれないからでもない。持っているものをうっちゃって行くのは、常にゼロスタートだという意味だし、ただの無謀か意地であり、それは若さの部分集合かもしれないが、串田兄貴の言う「若さ」ではない、いや、僕が望む「若さ」ではない。じゃあ、若さ、若さってなんだ?

若くあろうとすることから僕を阻んでいるのは、今まで経験し得た艱難辛苦や成功体験や一抹の実績を「だから俺はすごい」と今ここで結論付けたくなる「自慢」の心理であり、「振り向き腰を下ろす行為」なのではないだろうか。そして、若くあろうとすることは、その得てきたものをバネとして「だから俺は次に行く」と言う「自信」であり、「支えられこそすれ、過去を振り向かない目線」なのではないだろうか。

そう、若さとは、振り向かないことなのだ。

ギャバン あばよ涙
ギャバン よろしく勇気

こういう理解に至った今だからこそ、最後の歌詞が、いっそう身にしみるのである。

雑感

  • ということで、32歳になった*1。0x20歳やんけ。時間怖い
  • 実績を積むことにより、他人に期待されることが多くなってくるが、それと同時に自分が自信を失っていては意味が無いので、期待してくれる人たちの期待に応えれるよう「若く」ありたいと思ったのでした

次の5年後の自分のために。WETな備忘録として。

"Shape Of Life" を抱いて

「理系ですか?文系ですか?」みたいなの聞かれたとき(そんな質問もアレだけれど)僕は「体育会系です」と言う。大学は農学部であったが、ロクに講義に出席せずに、アメリカンフットボールばかりしていた。賛否はあるだろうが、僕としては、そういう時間でしか得られないものをたくさん得たと思う。

僕が就活をしたのはもう何年も前になるけれど、何を狂ったか、プログラマーになった。知識も経験も無いまま、Web業界のプログラマーになった。

きっと何者にもなれない

優秀な同期の友人がたくさんできた。もう何度も転職しているが、今でも交流がある友人が多い。いい友人に恵まれ、嘘偽り無く、僕は幸せだと思う。

一方で、思い起こせば、入社してしばらくは、当然彼らよりも「プログラミング」「ソフトウェアエンジニアリング」ができない自分を、焦り、呪った。自分が情報科学に一切触れていない過去を悔やみ、自分の選択、プログラミングを生業とすること、が間違いだったのではないかとすら悩んだ。今でも多少はそう思う。僕が体育会系だったころの部活の同期は、金融や商社に行く奴らが多く、今時点で僕の2倍も3倍も年収がある。

「早く、まともなエンジニアになりたい」といつもぼやいていた。周囲の優秀な同期と自分を比べて、彼らに追いつこうと努力した。時には、インターネットや勉強会で見る「有名なエンジニア」や「話題になったエンジニア」を見て嫉妬した。

生存戦略を誤れば死ぬ。特に流動性の高く、技術の流行り廃りが激しいWeb業界においては、何かしらに秀でた存在にならねば生き残れないと、常に自分を追い詰めていた。

きっと何者にもなれないことを恐れながら。

アービトラージ

アービトラージ: "Arbitrage" とは、「裁定取引」と訳されるが、簡単に言うと「安く確保できるものを、高く売れるところで売る」ことだ。

数年前のある日、高校からの親友と久しぶりに会ってドトールで茶をしばいているとき、彼は大学で生物学の研究者をしているのだけれど、ソフトウェアのベンダーに発注をするとバグだらけだし一発納品なので仕様変更ができない、などの不満を漏らしていた。

それを聞いていた僕は、「そんくらいなら俺作れるよ。半値以下で。アジャイルで」というようなことをポロッと漏らした。これが、僕が副業で生物学のソフトウェア受注開発を始めたきっかけだった。

世の中、特に日本には、ITのアの字("I"の字?)もまったく浸透していない業界がまだまだごまんとある。また、旧態依然のSIer文化に縛られ効率化どころか非効率な発注・開発をしているものもある。最近で言えばタクシーの予約なんかが話題になったけれど。短く見積もっても、向こう3年ぐらいは、このように「IT化されていない業界に、ITを持ち込む」あるいは「ITでその業界を飲み込む」というムーブメントが続くように思われる。主観だけど。

そういった時に必要なプログラマ像、ないし「プログラミング技能の売り方」をどう言葉にすればよいか考えると、それは「アービトラージ」なのではないかと思う。売れるところで売るのだ。

イチローばかりいる業界で打率を競っても、イチローにはなれない事実を噛み潰すだけなのだけれど、イチローでなくていいが安打が打てる打者を欲している業界は、実はたくさんある。それでもMLBイチローになりたいと願い続けるのなら、止めはしないが。

価値は生命に従って付いている

きっと我々は他の何者にもなれない。それは大いに絶望するべきだ。

だが、我々は「自分になる」ことができる。これが、僕の生存戦略だった。

価値とは、組み合わせであり、巡り合わせである。椎名林檎も歌っている。

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ある人を、その人たらしめる「輪郭」は、打率では決まらない。正確に言えば、打率「だけ」では決まらない。その人をその人たらしめるのは、組み合わせであり、巡り合わせである。だからこそ、人は唯一無二なのだろうと思う。

「文系エンジニア」という言葉に代表されるように、「情報科学に触れてこなかった過去」や「Web業界で第一線で働いていないこと」を「欠点」と考え、場合によっては自虐的に用いられることがあるが、その考えは苦しい、と僕は思う。間違ってはいないかもしれないが、そう考え続けるのは、逃れようのない憧れと追いつきようのない幻想を追い続ける、いわば、他人になろうとし続ける道であり、苦しいと思う。

価値は、組み合わせであり、巡り合わせなのだから、もしあなたが「大学で情報科学を学んでいない」としても、イチローには持っていない過去があり、「Web業界の第一線で働いていない」としても、その時代その場所に巡り合わせた者でしかできない役割がある、と僕は信じている。

ある1つの、ないしいくつかの指標だけをとって「不足」「欠点」として見るのではなく、たいせつなのは「人生の輪郭」なのだ。きっと何者にもなれない僕が、僕しか持っていない「人生の輪郭」をこそ、たいせつにすべきなのだ。

ある点において凌駕されようとも、「人生の輪郭」は誰にも真似できないのだから。

人生は壮大なネタづくりである

ちょっと話は変わるけれど。そう考えたときに、「成功」とは何か、ちょっとしたパラドックスがある。だって、たいせつなのは「人生の輪郭」なのであるから、失敗も、成功も、多く経験し、唯一無二な「人生の輪郭」を形づくることが面白くて、きっと、その組み合わせと巡り合わせで、誰かの役に立ったりするんだと思うんですよ。

人生を「旅」に例える人は多いけど、もし人生が旅なのであれば、それは「帰ることの無い旅」なのだろう。行ったきり。帰る場所なんぞ無い。(期せずして「帰ることの無い旅」をテーマにしたアニメが今年は2つもありましたね*1、どっちも最高なので観てください。絶対だぞ)

ある1つの、ないしいくつかの指標だけをとって、そこにおいて他と競い続け勝ち続けることもよいかと思う。けども、せっかく一度しかない帰れない旅に出たんだから、やっぱりもっと、誰も躓かなかった小石に躓いたり、誰も迷わなかった小道に迷ったりして、もっとえげつなく個性的で波乱に富んだ旅を、そうして得た「ネタ話」をサカナに、友人と笑い飛ばしながら酒でも飲む、そういう旅をしたいじゃないですか。したくないですか? 僕はしたい。おじさんそういうのがいいなー好きだなー。

"Shape Of Life" を抱いて

なんとなく参考書に書いてあったりメディアでよく見たりするような、ある1つのないしいくつかの指標を追うのではなく、些細でもよい、片隅でもよい、世界に1つしか無い自分自身の「人生の輪郭」をしっかりと抱いて、育てて生きていけばよいかな、って最近は思います。そう言うと、ともするとちっぽけに聞こえるけれど、それこそが人間の個性であり、偉大な仕事の源泉だと僕は信じている。

「これもまた、"Shape Of Life" だな」とか言いながら、これからも、誰も躓かない小石に躓いたり、誰も迷わない小道に迷ったりした記録を、備忘録していけたらなと思う。

雑感

  • 去るGoConferenceでLTで喋った内容なんだけど、たぶん3分の1も伝わらなかったので文字にしました
  • 2017年のDRYな備忘録は37件、WETな備忘録は4件だった
    • 乾ききっている...
  • 2018年はもうちょい湿っぽい感じでいきたい
  • では、良いお年を

WETな備忘録として

追伸: 『メイドインアビス』と『少女終末旅行』は、どっちも最高なので観てください。音楽もいいので、アニメもオススメです。

*1:メイドインアビス』と『少女終末旅行』は最高なのでぜひ観てください

DJというものをはじめてみたので知見を共有します

このエントリは、アニソンDJ Advent Calendar 2017 - Adventarの24日目です。

毎年、アニメオタクや声優のライブなどの趣味を同じくするオッサンたちが年末に集まって忘年会をして、そのメインコンテンツがオッサンたち自身によるアニソン中心のDJだったりする。かわるがわる、5時間ぐらいやっている。「DJなにそれ」という気持ちもありつつ、なんかDJやったことないおっさんがその忘年会で初挑戦する、みたいな風潮があり、今年は僕がそのおっさんとなった。結論から言うと、たいせつなことはひとつだけ。

「楽しんだひとが優勝」

ということだと思う。これ1番だいじなので、以下、読まなくていいです。

DJ is 何

「そういうのはいいから、とりあえずコントローラ買おう」と言われ、具体的にDJというものが何をするのか分からないまま、初心者用のDJコントローラを買った。DJコントローラとは何かすら、この時点では理解していない。

Pioneer DJ パイオニア / DDJ-RB DJコントローラー

Pioneer DJ パイオニア / DDJ-RB DJコントローラー

「レコボっていうソフトウェアのコードもついてくるので、ちょっとはじめてみるなら、絶対これがいい」と言われ、アッハイ、そうなんですか、としか言えなかった。購入後に判明するのだが、「レコボ」というのは、rekordboxというPioneerが作ってるDJ用のソフトウェアで、つまりこのコントローラのメーカー謹製のやつ。

アマゾンで買って、届いて、開封して、おおっ!と一通り感動したけれど、まーったく使いかたが分からん。というか、何をどう使って、何が起きるのかすらわからん。ので、友人DJ諸氏を家に招いてラーメン奢ったりすることで、レクチャーしてもらったりした。



DJがやってること

何度かレクチャーを受け、自分でも練習することで、具体的にDJコントローラで何ができて、DJというひとが何をしているかを知ったので、それを主観でまとめますと、

  • DJコントローラは
    • 複数の曲を、あるいはフロアへ、あるいはヘッドホンだけに、流すことができる
    • したがって、今フロアに曲を流している間に、次の曲の準備をすることができる
    • リズムや音程、音の高低を分けて音量を調節するなどができる
  • これを駆使して、DJというひとは
    • いい感じにフロアが盛り上がる選曲をする
    • いい感じにつなげる
      • リズムBPMという)を合わせる
      • 次曲を挿入するタイミングを決める
      • 低音域から入れる、高音域から入れる、バツンと切る、などつなぎかたをいい感じにアレンジする

という印象です。まったく知識も経験もゼロから成長の記録は、当該アドベントカレンダーにて事細かに記録しておりますので、ご笑覧いただけると幸いです。

費やすのは「やる気」ではなく「時間」

「いやぁ〜僕には無理だよ〜」と何度かチキったが、友人DJは終始「練習すればいけるよ」「練習あるのみだね」と繰り返した。

この歳になって新しい趣味をはじめるのは、わりと勇気がいる。人前に晒す、披露することが想定されるものならなおさらである。

だけれども、若い頃、新しく何かをはじめるのはそんなに怖くなかったはずだ。極端な例で言うと、たとえば中学生のとき新しい部活に入るときなどを想像したら、そんなに怖くなかった。むしろ、ワクワクというか、期待感すらあった。

この差はなんだろうか、端的に「やる気が無い」とか「怖い」とかじゃない気がするんだよなあ、と考えていたんだけれど、どうやらそれは

「費やす時間が無い」

ということなのではないかと思う。ある程度、時間を費やせば、ある程度は、上達するのは明白なのであるが、我々社会人には、時間が無いのである。「いやぁ〜僕には無理だよ〜」と僕が言う心理の裏には、「ある程度の上達を得るまでに投資する時間は無いよ」「時間を投資する気はないよ」に似た思考があることに気づいた。

逆にですよ、逆に、そんなに時間無えかな、っていうとそうでも無いわけです。朝、シャワー浴びたあとダラダラとツイッターする時間や、家帰って手も洗わずにダラダラとツイッターしてる時間など(ツイッターしすぎでは?)を考えれば、そんなに無いことはない。ちょっとDJコントローラ触るぐらいなら毎日できるはずなのだ。

これはつまり、僕達社会人にとっては、「毎日の時間を何に配分するか」ということが、何かをはじめる・ある程度上達することの主要因であるということでもあって、ぶっちゃけ「やる気」関係無い。ぶっちゃけ「やる気」は関係無い。大事なことなので二回言いました。

何人かいる僕の師のひとりである楠浦さんもこう言っとる。

これホンマ、マジだから。(語彙)

成果物

以上の知見をふまえ、その忘年会での成果物が以下になります。2017流行り物を中心に集めました。ご笑納ください。

小生の2017年は、なんだかんだで良い年でした!皆様に於かれましては、2018年も、良いお年を!!

WETな備忘録として

余談

30歳から見た働くという景色

正月に実家に戻って、妹と電車に乗っていた。妹に「就活してるときって、最初からプログラマーしたいと思っていたの?」と聞かれた。年の離れた妹は、今まさに就活中だった。僕は、ある程度はそうだ、何かしらのクリエイターになりたかった、的なことを言った。そして「でも、それは間違いだったと思う」と、はっきり言った。

このエントリは、かつての自分が書いた「3年目から見た「働く」という景色 - WETな備忘録」への返歌であり、定点観測であり、WETな備忘録として。

あと、本当は31歳なんですけど、語呂が悪いのでちょっとサバを読んだ。

生きることが怖かったのだと思う

そのエントリ↑を書いたときの僕は、明らかに何かに怖がっており、何かに焦っていたように、今では思う。今までの僕は、誰かが、何かが、何かしらの正解を選べば、それが僕を幸せにしてくれると思い込んでいた。会社への貢献が、CMの言う価値観が、親の示す将来が、世間の語る美徳が、華麗な転職が、僕を幸せにしてくれると思い込んでいたように思う。まるで通勤時のエスカレータのように、その「正解」に乗るために、ごった返す長蛇の列に必死になって外れないようにしていたのだった。しかし、それと同時に、本当はそんな「正解」はどこにも無いと薄々気づいていたから、毎日毎朝エスカレータの待ち列をつくるのに、焦りと、終わりの見えない疲弊を感じていた。

昨今、たとえば婚活雑誌を開けば「このように生きれば、それはあなたを幸せにしてくれる」という文言で溢れているし、転職サイトを開けば「このように生きると、あなたは不幸せである」という呪いと嘘に満ちている。そういうもののおかげで僕は「どんなふうに働くのがよいのだろうか」「働くことで何を目指せばそれは幸せといえるのだろうか」「俺は幸せと言えるのだろうか」という糞真面目な自問自答を繰り返し、悶々としては、自分を責めたりもした。

幸せの定義を人任せにしてはいけない

僕をそこから突き動かしたのは、ある後輩の死*1と、ある女性声優の死*2だった。そして生き急ぐかのように海外に行った*3。そこで、僕がいかに甘えていたかを知った。

テレビにそそのかされた「40年後の幸せ」のために、あとどのくらい我慢するのか?
他人が喧伝する「幸せ」を欲しがって、結果「不幸せ」になってはいないか?
自分の「不幸せ」を「だって親が」「だって会社が」と責任転嫁してはいないか?
これを、自分の人生と言えるのか?

つーか、誰があと40年も生きるかボケ。
俺の後輩は27で死んだ。

幸せの定義を、人任せにしてはいけないんじゃないか。親に、世間に、他人との比較に決めさせてはいけない。せめて、自分で決めるのが重要な気がする。美味いもん食いたいでもいいし、もちろんテンプレート通りに家族のためでもいいし、毎週末ビリヤードをするのでもよい。ちょっとでもいいから「まあ俺はこのために生きてるようなもんだな」と言って、他人から押し付けられた「幸せ」を忘れられる瞬間を見つけるのがいいのではないかと思う。

それはいわゆる「生きがい」と呼ばれるものだ。

僕たちは「働きがい」のために働くのではない。「生きがい」のために生きるのだ。

さて、今年の夏も、アニサマに行った。2日目だけ。アニサマに行かないと僕の夏は終わらないという感覚がある。光る棒をなくしてしまったので、急遽、会場で買ったのだけれど、ライブ会場で買う光る棒ってのはぼったくり並に高いのである。全力でそれを振ったのは、たぶん東山奈央さんの「月がきれい」だったかと思います。東山奈央さん、武道館おめでとう!!
あと、東山奈央さん所属事務所の社長の歌もよかったです。ゥウォオー!ゥウォオー!

[Official Video] Suzumura Kenichi - SHIPS - 鈴村健一

たしかに、かつては「誰か(何か)のために、自分の限りある時間を捧げれば、"ある程度の幸せ" が得られる、ないし予想ができる」時代があったのかもしれない。そのためには、単に大学に入って出る選択肢は有力だっただろうし、働けば24時間戦い続けるのなんか苦ではなかったのかもしれない。そんな時代には、たしかに「働く」という活動が自分の幸せに寄与する割合が大きかった、むしろイコールだった人もいるのかもしれない。

しかし、今はそうではない。大学を出たからといって安泰ではないし、大企業だって、あるいは業績が悪化しリストラを進め、あるいは経営破綻もする。にも関わらず、ものを売り続けたいメディアは「紋切り型の幸せ」の押し売りをやめず、"ある程度の幸せ" も保証できないと気づいた企業は「働きがい」という言葉を発明した。

今も昔も、人は働きがいのために働くのではない。生きがいのために生きるのだ。
生きがいのために生きるその延長に「働く」という景色が見えるだけで、その逆はない。

僕たちが改革しなきゃいけないのは「働き方」なんかの前に、「生き方」だ。

自分の幸せに責任を持つこと

僕は、僕の幸せを誰かにまかせていた。と同時に、僕の不幸せを誰かの責任にしていたと、はっきり断言できる。

人間ってね、我慢に我慢を重ねていると、気がついた時には気力も体力も奪われて、次の一手を打つことができなくなってしまう。そして黙って倒れるまで働き続ける。
日本人全員が、ひとりブラック企業みたいだと思う時がある。
〜『女の子が生きていくときに、覚えていてほしいこと』 西原理恵子

海外で働く前までは、海外に行けば、職場はきらびやかで同僚は優秀で、休暇は取りやすくバランスが取れていて、何もかもが日本と違うと思っていた。

でも、まったくそうではなかった。僕の体験した海外での仕事は、たいへんに忙しく、四方八方が遅延・炎上しており、人はよく解雇された。

海外があんなに自由に見える理由は、会社が違うのでも法が違うのでも無い。

奴らは、奴ら自身が幸せでないと意味が無いということを知っているのだ。奴らは、奴ら自身が幸せであるために物事を選択することに躊躇が無いのだ。奴らは、奴ら自身が幸せになることに、会社でも法の保護でもなく、奴ら自身が責任を持っていることを識っているのだ。

でも僕は、まったくそうではなかった。

あなたの「がんばりたい」という気持ちにつけこむのは暴力だから。
我慢しなくていい。「できない」「無理です」って言っていいんですよ。
あなたの人生は、あなたが幸せになるためにある。
〜『女の子が生きていくときに、覚えていてほしいこと』 西原理恵子

僕たちは、僕たちのために生きることを取り戻さなきゃいけない。
つよい意志で。自分の責任で。奴らのように。

30歳から見た「働く」という景色

「で、あるからして、給料が良いところを選ぶとよいよ」と妹には話した。
「給料は嘘つかない。その給料を、たとえば週末に使って『あゝ、俺はこのために給料を稼いでいるんだ』と思える瞬間こそがだいじ」みたいなことを話したと思う。

僕の今の生きがいは、火星に行くこと。火星で死にたいと思っている。あと最近は週末のビリヤードが超たのしい。上手くはないんだけど。

クリエイターになりたかったうんぬんに関しての自分なりの答えは、またどっかで備忘録として書くとして、妹には「自分の『あゝ、俺はこのために給料を稼いでいるんだ』と思えることを絶対に犠牲にしない範囲で、そこがスタートラインで、その次で仕事に『自己実現』とか『キャリアアップ』とかの判断基準を持ってくるべきで、その逆は危険。ワークライフバランスというのは二項対立ではなく内包関係であるべきあーだらこーだら」みたいな感じで熱が入ってしまったので、もう妹はうんざりしていた。

30歳を過ぎた僕にはもう「働く」という景色は輪郭が見えない、だいぶぼやけている。順番を守らず去った後輩や、理不尽に消えた知人と同様に、僕もいつ余命半年と言われるか分からない身なのであるのだから、ありもしないエスカレータの順番待ちをするのはやめた。幸せにしてくれるワケでもないのに世間の顔色を見るのはやめた。「働く」理由なんていらない。生きたい理由のためだけに生きようと思う。

「働く」という景色は、もう無い。ただただ、明日死ぬとしても僕は今日、リンゴの木を植えたいという気持ちだけがある。

WETな備忘録として

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雑感

  • ちょっと遅くなったけど、大人の夏休みの宿題書いた
  • 思えば昔っからそうや、期限通りに夏休みの宿題提出したことない
  • 意外と、大人の夏休みの宿題書くやつも、もう5年目になってた
  • 書き残すってのと、読み返すってのは、本当にだいじ
  • できなかったときのことを忘れないように、これからもかつての自分とこれからの自分のために書き残していきたいです
  • いやー東山奈央の武道館マジでびっくりだわー応援したいわー

現場からは以上です。

ドイツの受託開発会社を退職しました

2月末日付けで退職しました。退職エントリ書くつもりは無かったんですが、周囲から「公益性が高そうなので書け」というお言葉をいただいたのと、あと海外在住プログラマのキラキラ記事っておおいに生存バイアスかかってる気がするし、死にゆく者の事例も大事かな、と。

はじめに

つらみは有りましたが、うらみは有りません。当初3年ぐらいかなと思ってたけど、この1年間の経験には大変満足しています。また、同僚各位にも深く感謝しております。Vielen Dank. I love you ;)

日本に帰る理由も、ドイツがつらいってのはだいたい3割ぐらいで、じつは2年前からゲノム解析ウェブサービス化とか生物学周辺のソフトウェア受託などの個人事業をやってて、そろそろそっちに集中すっかー、というのがマジな理由です。

tl;dr

  • 自分を守るのは会社でも制度でもなく、自分。Noと言えなければ死ぬしかない。
    • 自分に落ち度が無いことを全力で主張する必要がある。時には感情的に。
    • 「いいものをつくる」という態度を保つには、身を削る必要がある。
  • ベルリンはスタートアップのるつぼ。デベロッパはピンからクソまで集まってくる。
    • 物価安いし、給料も安い。
  • 英語は爆発的に喋れる・聞けるようになった。やっぱり英語圏に飛び込むのが一番。
    • ベルリンは各国から人があつまるのでだいたい英語。
    • みんな母国語じゃないからそんなに早くないし良いレベルだった。
  • 会社が違えば、また違ったかもしれない。
  • だけど、僕は本当に満足しているし、感謝している。数々の試練を本当によく楽しんだ。とてもエキサイティングだったし、鍛えられたし、多くの大事なことを学んだ。
  • いいことだらけではないけれど、日本人は今すぐ海外で仕事してみたほうがいいと思う。ハッピーになるためではなく、強くなるために。


以降、だらだらしてるので読まなくてよいです。

I really enjoyed

  • ベルリンに来る前から「着いたらすぐ別の街の案件なので行って。夜行バスで。もちろん1人で」と言われ、いやまあ僕こういう無茶な感じ好きだし?夜行バス好きだし?いいけど、普通に新しくjoinしていきなりこういうのってまあ一般的にどうなのか?というのはありつつ、これがヨーロッパ基準かーと感心しつつ、別の街っていうのはかつて小野伸二が在籍してたっぽい、ベルリンから西に500km行ったところで、アムステルダムのほうがよっぽど近い。街は田舎町なんだけど、そこのクライアントは技術力もあっていい奴らだった。
  • 500km東のベルリンからちょいちょいSkypeが入ってきて、なんか同僚エンジニア氏から「私が書いたJavaScriptがうごかない助けてくれ」とか言われ、何、なんでこのパッケージ入ってんの?なんでこの処理してんの?ってたずねたら「知らない。コピペだから」ってオイオイみたいになる。一回休み。
  • 2ヶ月ぐらい田舎町の案件でRailsとReactNative書き終えてベルリン帰ってきたら案の定同僚氏の案件が燃えてて、いやいやいやお前が嫌だって言ったから俺が夜行バスで片田舎に飛ばされたんだろと言うのは飲み込みつつ「進捗どうですか?」って聞くと「今忙しいあとにして」っていうのでア、ハイそうっすか、じゃボスに「このスプリントでどこまでやることになってるの?」って聞くと「知らない、俺はPMじゃない」とか言い出していやむしろ怒り出して、やっぱヨーロッパってスゲーなって思った。
  • やばみを感じたので「こいつは1人月換算はするな」と伝えたが、ボスは「いや奴も1人月だ、でサポートするのも含めてお前の仕事だ」とかむしろ怒り出して、え、給料同じなのにクソのしかたから俺が教えるの?俺自身も顧客に1人月稼働ってことで握ってるのに?ベルリンに来たいっつったのは俺だし、まあこれがいわゆるグローバルスタンダードなんやな、頑張ろ、という気持ちになる。サイコロを2回振る。
  • API作ってる会社がまた別の受託会社で、しかもしょっちゅうデグレるのだが、同僚氏、HTTPの知識すら皆無なので「私のJSがうごかない助けてくれ」としか言わなく、しゃーないのでローカルプロキシつかってこうやって開発しましょうね、このスプリントはここまでやることになってて、これとこれはサーバのバグでできませんね、ってちゃんとお客さんと共有しましょうね、という感じでウンコ拭いてあげて気づいたらなぜか俺がExcelシートつくっていた。Excelはグローバルスタンダード。ちぃおぼえた。
  • ほどなくしてSwiftでiOS書く案件が舞い込んで来たのでウォームアップをしてたら、いきなり同僚氏が「私もやりたい」と言うので、ちょっと待てネイティブアプリのそれもスクラッチで複数人開発は効率的ではないし、そもそもお前はそっちのプロジェクト忙しいって言ってたじゃねえか、「そうだが、私はiOSやりたかったんだ!JSはもう嫌や!」と駄々こねるので、じゃあ俺がそっちやる、お前はiOSをやればいいよね、って提案したら「嫌だ!ひとりは不安だ!私はサポートが必要だ!両方半々にしよう!半々!」と言い出して、オイオイ待てよそれこそ作業オーバーヘッドで死ぬぞ、ダメぜったい、と拒否したらその場にいるボスが「まあ頑張ろうや、やってみようや」とか言い出してじゃあお前が責任取れよ?と思ったが「俺はPMじゃない」と怒り出すのがもう常態化している職場であった。サイコロ振って出た数だけ戻る。
  • ベルリンのアメフトチームに入ったが、忙しすぎて1回しか練習参加してない。体力が50減る。体重は5増える。
  • 僕が夏休みから帰ったらお客さんが怒ってて理由を聞くと「お前の同僚、お前の休暇中ただの1度もコミットしてないんだが(#^ω^)」と言われ、同僚氏に聞くと「他のプロジェクトで忙しかった」とか言っててほら言わんこっちゃねえ、さすがにこいつ外してくれとボスにブチ切れたら案外すんなり外してくれた。以降、血反吐吐きながらiOS書き続けた。10日間の夏休みから帰ったら時間外モリモリの16時間稼働が20日間続くという、錬金術もびっくりの人月計算が爆誕した瞬間である。
  • なお、この間 “僕がhour trackingをしていなかった” という理由で時間外労働手当はありません。断っておきたいのだが、これは完全に僕が悪いのである。このあたり、マジで僕の日本人としての詰めの甘さだなと痛感した。
  • 別件で偉いひとに思うところあって「それちょっとおかしくないか?」と刺したら、「コンフォートゾーンからものを言うな」と言われ、自分の環境がcomfortableだったということに気づかされる。圧倒的感謝。以降、鬼神のように働く。サイコロの数字2倍。
  • 同僚氏のやってるプロジェクト(いつまでやんねん)のお客さんから、なぜか僕にDMが来て「バグ直して」と言われる。同僚氏とボスには「連絡がつかない」らしい。しゅぱっと修正コミットし、これはおかしいよね、同僚氏がやるべきだよね、という確認を内々でしたら「そうですね、私がやります、忙しいけど」となぜか嫌な顔される。1マス進む。
  • 翌日、同僚氏から「お前の修正コミットのせいで壊れてる、しらべて」と言われ、ちょっとコミットログ見たら直近に同僚氏による凄い悪臭のする1行のコミットがあり、そいつをrevertしたら直った。1行のコミットで見事にヌルポを踏み抜いて、なおかつ他人のせいにするあたり、もはや尊敬する。
  • 翌々朝、お客さんから「ぜんぜん実装されてないんだけど」となぜか僕にDMが来る。おめーやるっつったよな?おめーやるっつったから俺はやんなかったんだけど、仮におめーがやらねーって言ってたなら俺がやったまでのことなんだけど、どういうことなん?とSlackのpublic channelで同僚氏にキレたら2時間後ぐらいに「Please keep your heroism out of this.(原文ママ)」と言われたので、僕は「Please manage it without my heroism. Thanks(原文ママ)」と吐き捨ててそのchannelを去った。
  • 結局その実装だれがやったと思います? 僕です。
  • 最後にアサインされたプロジェクトは「かつて急いでつくったプロダクトが、思いの外ユーザがついたので、スケールしたいんだけど、設計がクソで誰も何もできない状況なので、今スクラッチで書き直してる。人手が足らんから手伝って」という案件だったのだが、関わっているあらゆるデベロッパが各所で「要件も固まってないしもういいやくそコードだけどスケジュール間に合わねえから」ってコミットしててウンコ掃除しながらウンコ漏らしてるみたいだった。
  • 実際ベルリンは、5mおきに犬のウンコを見ることができる。あがり

クライアントはだいたいスタートアップで、クライアントごとにまるっきり違うコンテキストを把握し顧客満足を実現するのは、目まぐるしくも、繊細に人の心を汲む必要があり、さながらサーフィンのようで、めちゃくちゃやりがいがあり楽しかった。すべての困難と試練を、逃げずに、楽しめた、と僕は思っている。

生活とか

f:id:otiai10:20160411102553j:plain 部屋。530€。ベルリンにしても破格で良いとこ。

f:id:otiai10:20160527192807j:plain 田舎町の開発者たち、ほんといい人たちだった。

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ドイツのコミケ、略して「ドコミ」。

f:id:otiai10:20160501152153j:plain ドイツのオタクとライン川

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パスタつくるのめちゃくちゃうまくなった。

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f:id:otiai10:20170125200135j:plain SoundCloud社でReactNativeのmeetupがあった。

f:id:otiai10:20170208134804j:plain 寿司。だいたい不味いが、ときどき美味い店がある。

f:id:otiai10:20161120124311j:plain ケルン大聖堂

f:id:otiai10:20170224233627j:plain クライアントとテキーラ飲んだりする。

f:id:otiai10:20170131143149j:plain 除雪車。除雪と同時に、ケツから滑り止めの砂利を垂れ流している。

f:id:otiai10:20170216132948j:plain 写真左がアメリカ側。写真右がソ連側。

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限られた人生を全力で生きるという意味で、本当に、心から、ドイツに来てドイツで働いてよかったと思っている。たしかにちょっとしんどかったけど、次来ることがもしあれば、その時は、もっと人間としてたくましくなって、もっと大きな困難を楽しめたらいいなと思います。

WETな備忘録として

ドイツでプログラマとして働いて半年がたちました。

と、いうやつを8月末に書こうと思ってたらもう12月がすぐそこまで来ている。

人生設計とか考えるのがしゃらくさくなり、と言えば格好はいいんですが、何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安と向き合うことに疲れて、ビールとソーセージが好きだという理由だけでドイツに行きたい、というか行くことに決めたのが昨年の11月くらい*1で、そのときは前も後ろも何も決まってない状態だったので、いそいで準備とかしたのでいろんな人に迷惑をかけてしまったかなあと思いつつ、深く感謝はせども、反省はしていません。いつも本当にありがとう。

こういう無茶な生き方をするために心技体マッチョなものを身につけたはずなのであって、せっかくなので無茶な生き方しないともったいない。

所詮地球でした

ドイツに来て即、ボーフムというサッカーしか無えみたいな田舎街に単身で顧客に常駐して、スイスのクライアントの2次請けみたいなことをしたんですが、まず感じたのは「ドイツも所詮地球なんだなあ」ということだった。当たり前だけど空は青くて、空気が悪いところと良いところがあって、仕事はたいへんなことがあったり暇な時期があったり、金曜にはビールを飲んだり飲みつぶれたり、街行くひとは皆自分の人生を歩いており、本質からすると何ら日本と変わらんなという気持ちです。ヒコーキだって乗り継ぎふくめて24時間もあれば行けるし、なにも片道3年かかりますという距離でもなく、インターネッツがあれば何も変わった様子なくツイッターで下品な日本語を垂れ流し続けることも可能で。

ただ、所詮は地球なんだけど、コミケが遠いのはつらい。あと、『君の名は。』観たい。

結論としては、やっぱり日本最高だと思う。

ヨーロッパの働き方

「ドイツ語で働いてるの?」とよく聞かれるんですが、ドイツ語はイッヒリーベディッヒぐらいしか知らなくて、おもに英語です。最近はドイツ語しか喋れない売店のおばちゃんにサンドイッチを頼んで「寒いっすね」ぐらいは言えるようになった。さすがに、売店のおばちゃんにイッヒリーベディッヒと言うわけにもいかない。

縁あって、アムステルダムにいるid:watildeさんやちょっといつもどこにいるかわからないid:ymotongpooさんと会ったりしたんですが、オランダ人は働かないらしいですね、奇遇ですねドイツ人もわりと働かないっす。

というか、予想通りというか、「仕事」と「自分」の間に、強く、時に無責任に、はっきりと線引きがある。ので、アホみたいにプロジェクトが炎上しているときに平気でバケーション行ったりして、あとは自分を守るために他人のせいにするのがたいへんに上手い、悪い意味じゃなくて。国土の取り合いからほぼ無縁であったニッポンとの、国民性レベルで染み付いた「外交」に対する態度のようなものに、学びが多いし、感動すら覚える。

ただ、ニッポン人の「よく言えば責任感の強さ」は、この中で働いていると、明らかに強みだよなあと思うことがある。

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ドイツくそさむい。

これからの働き方

尊敬すべきid:shiwork先輩をたずねてロンドンに行った時、ymotongpooさんとも、肉体労働の大半が機械に置き換えられ、人工知能がもっと発達して知的労働すら機械にまかせられる時代がきたら、ニンゲンの働き方はどう変わっていくかという話を、酒場の酔っ払い代表として、語った(記憶がある)。

「生きていくことができる」程度の生産活動がもはや機械によってなされる時代のことを考えると、ベーシックインカムの話になっていくのは当然の流れだと僕は思っていて、ベーシックインカムが本格的に導入されたとき、ぼくたちはなぜ働くのかという問いに(もう一度)放り出されることになると思う。

「働きたくないけど働いているひと」という層がもはや存在意義をなくして、「生産するひと」と「消費するひと」の二極化が進むんではないか、というその酒場ではそういう話になった気がする。

あのあと、ロンドンの売春宿を小一時間探し歩いて、やっと見つけたところ、たしかにブロンドだったけど、控えめに言っておばちゃんだったことをここにご報告いたします。二度と行かないと思います。

錯覚不幸

ベーシックインカム〜早く来てくれ〜たのむ〜」って週2回ぐらいのペースでつぶやいている。「ベーシックインカムさえ来てくれれば、僕はもっと社会に貢献するイノベーションにエネルギーを注げる!」と僕は信じているのである。しかし、はたして本当に「ベーシックインカム」が無いとダメなんだろうか?

考えてもみると、ベーシックインカムとかいう制度が導入されようがされまいが、僕らはたとえば江戸時代から比べれば段違いに豊かであり、戦中から比べれば超が付くほど平和だ。我々がイメージする「最低限の生存に掛かる豊かさ」というのは実はすでに社会的に獲得されているんじゃないだろうか。

つまり、いつの世も「最低限でいいから豊かになりたい」「最低限でいいから幸せになりたい」というのは、悲しいかな「もっと可処分所得が欲しい」であり「他人より豊かっぽい写真をフェースブックにアップしたい」であるので、おそらく、いくら技術が発展し人工知能が知的労働を代替しようが、広い意味でニンゲンが「強いられる労働」から解放されることはないんじゃないかな、と思ったりもする。その場合、労働を強いるのは自分自身の「錯覚不幸」なのだけれど。

「自分は比較的不幸である」という錯覚から脱却し、「自分は、まぁだいたいなにがあっても、幸せである」という事実を後ろ盾に、もっと前のめりに冒険して死にたいな、と思う今日このごろです。

今は火星に行きたいです

とはいえ、昨今、地球の左っ側でも右っ側でも、もはや「格差」という言葉で表現できない「断絶」が話題になっていますが、民主主義がその断絶を汲み取れなかったという疑いようの無い事実を鑑みるに、我らがジャパンでもそれは起きていて、もはや修復は無理なんじゃ無いかなと思ってて。だとすると、やっぱり地球外移住って現実的に見えてくるので、火星に限らず、地球外移住の事業やってる人いたら教えてください。マッチョな心技体を捧げます。

雑感

自分の口から「いつか◯◯をやりたいと思っている」という言葉が出ることが、ひどく悠長で、そんな悠長なことを言う自分が情けない。人間は、死にたいと思っているときになかなか死なず、生きたいと思っているときあっけなく死んだりするので、油断ならない。

以上が、2016年の夏休みの宿題になります。ご査収ください。(すごく遅い)

WET