WETな備忘録

できなかったときの自分を忘れないように

街コンに参加してきたので知見を共有いたします

拙者、先日都内某所で開催されました、噂の「街コン」というものに、友人とともに参加してきました。

その際に得られた知見や教訓などをここで共有させていただきます。

そもそも街コンとは何か

街コン(まちコン)とは、地域振興を目的とした大規模なコンパイベントのこと。 街コンは、街ぐるみで行われる大型の合コンイベントである。 一般的な合コンと異なり、参加者は少ない場合でも100名以上、規模の大きいものでは3000名弱にもなる。 同性2名以上で1組となり、開催地区の定められた複数の飲食店を廻る。
街コン - Wikipedia

夜のもあるけど、主に土日の昼間(←ここ重要)にやってる。地域、といっても都会のひとつの街、たとえば恵比寿とか目黒とか、の複数の飲食店が貸し切りになっていて同時多発的に合コンが開催されててそれを回ることができる、ってイメージ。昼間にやるため、飲食店としてもアイドルタイムの有効活用になり嬉しいのだと思われる。

今回拙者が参加した街コンは、都内のJR沿線で男性100名女性100名で合計200名、飲食店は5店舗で、だから1店舗40名の男女が流動しつつ分散していることになる。40名といっても、1テーブルは必ず男性2名女性2名になるようになっていて、大人数でワーキャーという雰囲気ではない。

申し込み

拙者、友人と飲んでいたおり、「そうだ、街コン行こう」という話になってからおのおの家で街コンについてググりました。どうやらけっこうな頻度で都内で開催されているっぽいうえに、年齢層などの指定のあるものが多く、選びやすい感じになっている。ただ、数週間くらい前にはすでに満員になっているケースがほとんど。友人が「じゃあこの日のコレでいいっスかね」と連絡をしてきたので拙者「よいですねよいですねデュフフ」と返事をした覚えがあります。

申し込み者はもちろんメンバー登録しなきゃいけなかったんだけど、誘われる側(今回でいう私)は、特に登録しなくてもよかった模様。参加登録だけして、支払いは当日。ひとり頭約7000円ナリ。

当日の受付から乾杯まで

別の友人に「早めに行ったほうがよい」というアドバイスをもらって45分前くらいにいったら受付もう並んでやがってだいぶ萎えました。受付で男女数十人が別々にならんでガヤガヤしてるビミョーな熱気は多少気恥ずかしくなったでござる。

200人がどのように分散するかが疑問だったが、受付順に、最初の一店舗目で着席すべき店が決まっていて「はーい、あなたたちは2番のお店でーす」と言われ地図を渡される。この地図が同時に参加証なので、地図に書いてある5店舗はこの地図を提示すれば入れるという寸法。

店に着いたら着いたで、順に席に誘導される。もちろん女性も同様に誘導されるので、早く来すぎると乾杯までの30分近くシラフのまま初対面の女性と場を保たせなければならないのでござる。これは拙者、参ってしまった。気まずさを察して10分ほど女性がお手洗いに立ったときは死刑宣告をされたかと思った。

参加者の傾向とか

拙者、根はオタクだが、ひとたびお酒が入れば体育会ノリをrequire_onceできる能力を持ち合わせており、乾杯してしまえばあとは適当に話を合わせて盛り上げるだけだったのでラク。

今回参加したのは「1980年代生まれ限定」というものだったので、若くは25、老いては35までが参加している計算である。

しかしながら、今回同じテーブルにて話した女性は10人だったが、ほとんどが25~28歳だった。一方、男性のなかには30を超えているひとも居たように見受けられた。

これはおそらく不思議なことではなく、次のような推測ができる

  • 周囲の同年齢の結婚ラッシュに晒され危機感を覚えるのは比較的に25歳前後である
  • 25〜35までが参加できるイベントに30過ぎで参加すると相対的高齢であり、比較的不利である

まあ憶測ですけど。ともあれ、全体的には男性より女性参加者のほうが若い状態であった。

印象に残った会話

をつらつらと

  • 「プードルは毛が生え替わらないので必ずトリミングが必要」
  • 「乾杯までの30分は絶対間延びするので0次会をして一杯飲んでくるべき」
  • 「異業種交流会と思えばあまり緊張しないよ」
  • 「街コンで出会って仮に結婚までしたら結婚式で馴れ初めどのように紹介されるんだろうか、やや恥ずかしい」
  • 「職場では出会いが無い。出会う人脈が無い。街コンを期に友人を増やして、2次3次の交友関係が本命」
  • 『ボールルームへようこそ』という漫画が今アツい」
  • 「男性からグイグイ来てくれないから不服である」

などなど

おひらき、からの2次会

最初に指定される店で30分、同じ店で席替えして30分が終わると、あとはフリータイムとなって、自由に店舗移動できる。店舗移動しなくてもいいし、このまま誰にも告げずに去ってもよい。エスニックやイタリアン、中華などバリエーションのある店を点々としながら、そこにいた女の子とさっぱりお話して次の店へ行くスタンス。16:30ごろスタッフさんから「そろそろラストオーダーとなります。なお、このあとわたくしどもで2次会場を準備してありますので、別途2500円でご参加いただけます!あまり話せなかった方とお近づきになるチャンスです!」という告知がある。「これ払ったら都合9500円の参加費だわな...」と思いつつも、相方が狙っていた女の子がいるとかなんとかで、拙者一肌脱いで2500円払ったでござる。

2次会は完全立食で、たぶんその場にいたのは100人弱、ここでも不思議なことに男女比はわりと1:1に近い。相方が狙っていたおなごはほかの男もやっぱり狙っていて、ぜんぜんお近づきになれなかった模様。拙者はというと、適当な関西弁と適当な津軽弁を織り交ぜつつ、福岡出身の女の子とビールを飲んでおりました。

14:00開始ともあって、二次会が終わってもまだ19:00くらいで、飲み過ぎなければこの後の時間も有効活用できると思います。

まとめ

  • 2次会は別に行かんでよかった
  • 0次会は絶対にすべきだった
  • 単純計算で、合コンが男性1回6000円で女の子のアドレス2~3件と考えると、7000円で10件は割安ですね
  • 彼女を見つけに行く、という目的ではなく、異業種交流会および人間関係の新規開拓と思えば、日々の閉塞感を打破するよいきっかけだと思う
  • ただし、人並みのトークができる(もしくはそういう友人を連れる)必要はあると思う
  • 男性的な表現で申し訳ないが、参加している女性は意外と「若くて可愛い子」が多かった印象
  • 成果を重視せず、単に「日常に対するちょっとした刺激」と思って定期的に参加するのがいいのだと思う



いずれにしても、拙者たいへん疲労しました

WETな備忘録として

大手ソーシャルゲームの会社を退職します

次は今より100分の1くらいの人数の会社にお世話になります。

お役に立てるよう頑張ります。

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そして例のリストです。

気持ちなど、だいたいのことはこのエントリで書きました。くわしいことはここで金麦飲みながらワイワイやりましょう。

WET

3年目から見た「働く」という景色

朝起きてシャワーを浴びる。歯を磨いて家を出る。 僕だけじゃない、みんな今日も「働く」。 街行く人ひとり一人に「なんであなたは働くんですか?」と、 心の中で密かに問いかけている。 誰も答えてはくれない。


  1. 生きる手段としての「働く」
  2. 就活のとき見ていた「働く」という景色
  3. 生きる目的としての「働く」
  4. 3年目から見た「働く」という景色


もちろんこれは、WETな備忘録として


生きる手段としての「働く」

正しい答え

生活の糧としての「働く」

 実際にそんな疑問を聞いてくれそうな友人知人に聞いてみて、最も「早く」返ってくるのは「生活の糧として働いている」という答えだ。とうぜんながら僕たちは生き物である以上、何かを食べないと生きていけないし、風雨を防ぐ棲家が必要だ。そのようなものを手に入れるために、最低限のお金を稼ぐ必要がある。働くとはその手段。

 働くとは手段であって、それ自体が面白いだの面白くないだのというのは二の次である。面白いだの面白くないだの関係無く、生きて行く以上は働かなければならないのだから、働くのだ。その代わり、仕事以外の時間で自分のやりたいことに時間と労力と、場合によっては金をつぎ込めばよいのである。

偉い答え

守るべき責任として「働く」

 さらに、自分一人だけじゃなく、守るべき人がいたらどうだろうか。自分が金を稼がなければ、妻や子供が食べるものが無い、風雨を凌ぐ棲家が無い、となれば「働く」とはよりいっそう面白いだの面白くないだの言ってられない活動になるのではないだろうか。まあ僕独り身なんでこのへん全然分からないですけどね。

無視できない答え

居場所として「働く」

 とはいえ、働くという時間は1日の実に3分の1近くを占めている。睡眠時間をのぞけば半分と言ってよいだろう。そんな多くの部分を占める時間において、誰かに必要とされたり、多かれ少なかれ誰かに感謝される関係をつくり「生きていてもいいのだ」と実感を得るのは、とても重要なことである。

 逆にこの時間を、誰にも必要とされなかったり、誰にも感謝されることが無いような過ごし方をしていると、きっと生きていくのが嫌になったり、少なくともその職場には居続けることが困難になったりするのだろう。したがって、やはり最低限生きていくために「働く」という時間は重要な要素である。

就活のとき見ていた「働く」という景色

 すこし昔話をば。

 就職活動をしていた時は、「そんな生き方はゴメンだ」と思っていたような気がする。自分は自分の時間を切り売りして生活の糧に換金するようなことはふさわしくない人間だと思っていたし、自分の能力の可能性を信じて疑わなかった気がする。何でもできると思っていたし、どんな困難も頑張ればどうにかなると思っていた気がする。

 ともすれば、上記のような働き方を馬鹿にしてさえいたと思う。

 では、就活の時の僕が夢見ていた「働く」とは何だったのか。

生きる目的としての「働く」

幸せな答え

楽しみとして「働く」

 アニサマで知り合った人は、転職をして、自分の趣味であるところのアニメとか声優とかのコンテンツに関係ある仕事を今しているという。給料は微妙に減ったけれど、仕事そのものにとてもやりがいを感じていると言っていた。

 「働く」というそのものが楽しさであってもよいと思う。その結果、なにか価値を生み出して、その分の対価を得るというのは、もしかしたら一番自然な働き方なのかもしれない。

 ちなみにその人は既婚で子供もいる。

眩しい答え

自己実現として「働く」

 そして、意識高き若き日の僕をもっとも目輝かせたのは「夢や憧れを体現するために働く」というやつだったのであろう。こうあればよいという世の中の実現や、自分はこういうことができるはずだという可能性への挑戦など、「働く」ということが自己の実現そのものに直結している働き方。

 ベンチャーの社長と偶然お会いしたりすると、そういう雰囲気は強く感じる。毎日は決してラクじゃないが、色々なことが詰まっているのだろうと、そうお察しする。

 正直、疲れそうだな、とも思う。

3年目から見た「働く」という景色

 たくさん足踏みをしていたせいもあって、「20代」という時間も気がついたらもうそんなに残されていない。どう働くべきか、という切迫感じみた焦りもある。自分はもっとパワフルに、仕事そのものにパッションを持って生きなければならないのではないか、若いし、とかとか。

 けれど、3年近く働いてみて、正直言って僕は自信が無い。自分がどっちの価値観で働くのが向いている人間なのか、自信が無い。

 仕事に行き、タスクを確認しコードを書き、あるコードは意味があったりまた無意味だったり、それを無心で繰り返す。仕事が終われば定時に退社し、趣味のプログラミングを存分に楽しみ、アニメを見て、休日はカフェに入り浸りやはり個人開発に没頭し。たまのイベントではサイリウムを振ったり、ダミ声で「世界1可愛いよー!!!」などとステージの上の17歳に声援を送る。

_人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人_
>  たのしい ✌('ω'✌ )三✌('ω')✌三( ✌'ω')✌  <
 ̄^ Y ^ Y ^ Y ^ Y ^ Y ^ Y ^ Y ^ Y ^ Y ^ Y ^ Y ^  ̄

 何か目的があるわけではないが、たしかにこのような生き方も、たのしいのだ。

 そんなこんなで今では、自分が果たして「生きる目的として働いた方が合ってる」人間なのか、それとも「生きる手段として働いた方が合ってる」人間なのか、ちょっと自分で自信が無い。



というのが、3年目から見える、率直な「働く」という風景だ。



みたいな屁の役にも立ちそうにないことを薄ら薄ら思いつつ寝落ちをすれば、朝が来る。 僕だけじゃない、みんな今日も「働く」。


そう、あの合言葉とともに


それではみなさんご一緒に







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追記 2014/09/11

大切なことはアメフトで学んだ

これを読んで、自分は違うと思った。

もっと激しく言えば、自分のしてきた"体育会"がひどく貶められた気持ちになった。

  1. 価値観が違うチームでひとつの目標を掲げることがどんなに難しいかも
  2. 成果以上にメンバーのプライドを満たすことがどんなに重要かも
  3. 強制してやらせることがどれだけ致命的な弊害を生むかも
  4. 勝敗と同じくらいスポーツのエコシステム発展に寄与することがどんなに重要かも

すべてアメリカンフットボールで学んだ。たいていは、大きな失敗で痛みを伴って学んだ。

価値観が違うメンバー

アメフトはフィールドに同時に入れる人数は11人だがベンチに入れるのは99人であり、ポジションの多様性と格闘技的な要素、特徴ある試合時間制度から来る極端な戦略性などの理由により、極めて多くの人間が関わるスポーツである。

たとえばオフェンスだけでも、体重100kgを超えるプレイヤーは10人以上いないとリーグ戦を勝ち続けるのは厳しい。かと思えば体重70kgそこそこのスプリンタータイプのプレイヤーも20人以上必要だ。また、コンタクトスポーツゆえ怪我が多く、メディカルスタッフも必須だし、一試合で百を超えるプレーパターンを分析するスタッフの存在も結果を左右する。アメフトにおける「スタッフ」とは、いわゆる「体育会」の「女子マネ」とは全く異なる。

大学でプレイし、縁あって高校でコーチをし、さらに縁あって別の大学のコーチも経験したが、実に多くのひとが実に多くの価値観で従事していることを、身にしみて体感した。時には人を萎縮させたり傷つけたり、誰かをチームから去らせてしまったり、自分がチームから追放されることもあった。

プライドとは何か

上記のように様々な価値観でひとは何かに従事するが、その最たるものが「プライド」であることも、僕はアメフトで学んだ。

我々日本人がプライドというカタカナ英語を使うとき、それに対応する日本語は実はふたつある。

そのひとつが「自尊心」である。多くの人が「プライド」とは「自尊心」の意味で使っている。

僕がコーチをしていた大学は当時学生2部のチームで、他チームの動向的にも自チームの戦力的にも1部昇格が十分に可能な状況にあった。当然僕は「勝って1部昇格を果たす」ことが至上目的であり、そのようなコンセンサスが形成するようつとめ、実際形成されていたと考えていた。「目的を果たすため」に必要な練習内容・チームルール・アサインメントを考え、それを伝え実行を補助するようにした。

しかし、ある者は静かに辞め、ある者は突如反発したりした。結果、僕たちは目的を達成できなかった。なぜなら、彼らの「プライド」は満たされていなかったからだ。おそらく、あの状況でチームメンバーひとりひとりの「プライド」を満たし、あとほんの少しの助言をするだけで、彼らのポテンシャルなら難なく目的は達成できていたであろう、と今では思う。

ビジネスにおいてこれと似た現象がある。

目的達成のために必要なのは、目的達成のためのスキルアップを計画するよりも、チームメンバーの「プライド」を満たそうとするモチベーションを尊重し促すことのほうが近道だったりする、というパラドックスである。

強制できる条件

したがって、チームメンバーひとりひとりが何をもってよしとするかは多種多様である。

にもかかわらず、僕は「強制」されたこともあるし「強制」したこともある。そうすることができる条件が整っているときが、まれにある。それは、人数が少ない組織で、嘘のほとんどないコンセンサスが形成されている場合だ。

ビジネス、というかいわゆる企業においてそのような条件が整うことはほとんど無いだろう。何かしらしがらみがあったり、体面を整えなければならない場面が多すぎる。ごくごく人数が少なく、モチベーションの多様化が進んでいない状態、たとえば起業間もない状態とかならこれが可能かもしれない。

今、ある2人の間で嘘の無いコンセンサスを形成するコストをpとすると、組織全体で嘘の無いコンセンサスを形成する全体コストPは、人数増加の2乗のオーダーで増加していくことが容易に計算できる。

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仮に純粋な2-by-1のピラミッドを構築していったとしても、nの1乗のオーダー(係数は1より大きい)で増加する。(ピラミッドの階層をkとしたとき、全メンバー数がn = k(k-1)/2であり、架橋の数は3Σk =3n(n-1)/2)

つまり事業が大きくなり組織は大きくなるほどに、単一で同質なモチベーションのありかたやフィロソフィー、目的意識などを嘘無く共有することは現実的に不可能となっていき、組織のパフォーマンスを上げるためには、コンセンサスを頼った強制指示よりも、各人の「プライド」を満たそうとするモチベーションを促すマネジメントにシフトしていくべきである。

スポーツに"共生"が必要な場面があった

特に僕の大学はアメフトをするような学生を確保するのが難しく、そのような環境で「本気で」目的達成を狙うのであれば、勧誘活動に力を入れることが結果目的達成に近道である。ここまでは普通のはなし。

最近では、そもそもアメフトをしている人間(ビジネスで言うところの市場に近い)を増やすために、アメフトそのものの競技人口を増やすことや、試合への観客動員数を増やすことが、自チームやアメフトの認知度を上げ、目的達成に寄与するというところまで、アメフトは発達している。

したがって、当然勝ち負けはあるが、パイを増やすために(マネージャレイヤーでは)各地の高校と合同練習をしたり、敵チームと興行的な打ち合わせを重ねたりすることは、ごくごく当たり前の取り組みなのである。

「何勝するか、何位に入るか」といった目的を突き詰めれば突き詰めるほど、こだわるべき本質が「相手を蹴落とすこと」以外にあることが浮き彫りになっていくのが、スポーツの醍醐味でもあると思っている。

「過度に取り組んだ体育会系は、会社とめっちゃ似てる」と、あえて言いたい。



僕は不条理を耐えてなどいない

さいごに。

体育会経験者は、「不条理に耐えた」「不条理に対する耐性がついた」ということについては、胸を張ればいい。

冒頭で紹介したブログの筆者はこのように言っているが、僕は「不条理に耐えた」経験など無い。

「体育会経験者」と言うとひとくくりに感じるかもしれないが、そこにはそれこそ誰も知らない経験をおのおのがしていると思う。そして僕は、その中でも恵まれてた環境で「体育会」をしていた。

僕は「不条理に耐えた」という覚えは無い。

全ての艱難辛苦は目的達成のため合理的に必要なものだったし、全ての問題について自分が寄与できる余地が無いものは無かった。不条理に先輩やOBから何かを強制されたことも無かった。というか敵は常に自分だった。(ある意味、そこまで洗脳されるのが本当の意味で「体育会系」なのかもしれないw)

これが僕の「プライド」、「自尊心」じゃないほうのプライド、「矜持」だ。

「不条理に耐えた」といって胸を張るのは、せいぜい不条理が跋扈する程度の本気度でしか取り組んで無かったわけであって、そういった人と同じように「体育会経験者ですよね」と言われるのは、いささか悲しい気持ちになる。



恒例ですが、最後に、尊敬する関学アメフト部の部訓にもなっている(とかいないとか)という、ドイツの哲学者の言葉を添えておきます。

いかなる闘いにもたじろぐな。偶然の利益は騎士的に潔く捨てよ。
威張らず、誇りを持って勝て。言い訳せず、品位を持って負けよ。
堂々と勝ち、堂々と負けよ。勝利より大切なのはこの態度なのだ。
汝を打ち破りし者に最初の感激を、汝が打ち破りし者に感動を与えよ。
堂々と勝ち、堂々と負けよ。汝の精神を汝の体を常に清潔に保て。
そして汝自身の、汝のクラブの、汝の国の名誉を汚(けが)すなかれ

自戒を込めて

WET

伝わりやすい文章を書くために気をつけていること

文章を書くときにどうやれば伝わりやすいかいつも悩む。どんなことに悩んで、それをどう解決しようとしているか、毎回忘れるのもアレなのでつらつらと備忘録しておくことにした。

もくじ

  • 前提1「最初に、読者に痛みを共有してもらう」
  • 前提2「ボリューム感を伝えて、安心してもらう」
  • 実践1「1サブタイトル、1センテンスを先に書く」
  • 実践2「酔って書き、一晩寝かせて、素面で読む」
  • まとめ

前提1「最初に、読者に痛みを共有してもらう」

まず書き出しです。

どうしても「僕が主張したいことはこれです!」っていう具体的内容を先に書いちゃいたくなる。しかし読者は「いきなり何なの?お前呼んでねえし」ってなることが多い。

例1

A「コショウ入れるといいよ」

B「え?」

だから僕は、まず読者に自分の痛みを理解してもらうところから書き始めるようにしている。「僕はこれに困ってます」「僕はこれに悩んでます」「僕はこういうときこれが分からないです」といった具合だ。上の例なら、たとえばこのように

例2

A「このラーメンいまいちパンチが足らんよね...」

B「そうだよねー」

A「コショウ入れるといいよ」

B「なるほど?」

もしこの前処理をすっ飛ばすと二つの問題が発生する。ひとつは

  • この筆者の主張を読むとどんな利益があるのか分からない

ということ。もうひとつがわりと重要で

  • 読みたくない人にまで理解を強いることになる

上記の例で言うと「ラーメンにパンチが足らない」と「思ってない人」に「コショウの有用性」を説いてもしょうがなく、逆に「難解な主張だった...」という感想だけ残ってしまう。こういう人は冒頭の数行で「お引き取り願った」ほうが、むしろ文章は伝わりやすくなる、と僕は思っている。

だからまず、自分が何に困っているか(ないし、あなたもこれ困ることあるでしょ?)から書き始めると伝わりやすいのではないか。

前提2「ボリューム感を伝えて、安心してもらう」

僕の大学の恩師が僕に言った言葉があり、常々それを心がけようとしている。

「落合くん、聴衆は常に目隠しをしてると思ったほうがいいよ。このプレゼンテーションがいったいあと何分で終わるのか、今は気を抜いていいタイミングなのか、並列に並べられた要素があといくつ続くのか、次に来る話は因果関係なのか具体例なのか、聴衆はそういったことを全く知らない。この状態で君の話を聞き続けるのは、目隠しをした状態で曲がりくねった綱渡りをしているようなものさ。特に君は暗喩や論の跳躍が多いから、聴衆はたいへんに困ってしまう」

「だからね、落合くん。君はプレゼンテーションをするとき、まず地図を見せ、目隠しを取ってもらい、一緒に地図を指でなぞるように話をしたほうがいい。たとえばこのプレゼンテーションの中に君の主張がいくつあるのか、どんな種類の段落がいつ現れるのか、最初に紹介するんだ。そして、最初に渡した地図を聴衆と一緒に指差しながら進んで、今何の話をしているかを明らかにし続けるんだ」

だから、なるべく「もくじ」があるとよい。そして「もくじにおける何番目なのか」を明示したほうがいい。

実践1「1サブタイトル、1センテンスを先に書く」

「伝わりにくい文章」の多くは「何を言っているのか分からない」であり、「何を言っているのか分からない」のほとんどは「言っていることが頓珍漢である」という場合よりもむしろ「たくさんのことを言い過ぎである」に尽きる、と僕は思っている。

これを防ぐ作文法に、「言いたいことを1センテンスで先に書く」というのがある。

例1

ロミオとジュリエットは恋仲である」

「しかし両家は犬猿の仲である」

「なんとかして添い遂げようとする」

「すれ違って結局どっちも死ぬ」

例2

PHPは糞だ」

シンタックスが糞だ」

「速度が糞だ」

「標準ファンクションが糞だ」

「動的型付が糞だ」

「したがって糞だ」

このとき以下のことに気をつけている

  • 1センテンスでまとめられないのなら、そのパラグラフは分割すべきである
  • 1センテンスの集合で全体主張が完結しないのなら、その全体主張はまだ人に伝えるほど整理されていない

これを実践するために以下のアプローチをとることが多い

  1. 仮タイトルを決める
  2. サブタイトルを書き並べる
  3. 各サブタイトルで主張したいことを1センテンスで書く
  4. タイトルを決める

これだけなので、300字も書いてないと思うけれど、骨子はすでにできあがっていなければならない。そうでなければ、どこかに「詰め込み過ぎ」なのだと思う。

実践2「酔って書き、一晩寝かせて、素面で読む」

で、「意味不明なら容赦なく捨てる」である。

誰しも経験があると思うけれど、主張したいこと説明したいことがある状態で書いた文章は多少なりとも興奮状態と言っていい。これ自体は全く悪いことではなく、むしろ良いことだ。興奮状態だからこそ結びついた出来事や、自分でも気付かなかった感情などが、浮き彫りになる良い機会だ。

そして誰しもが経験あると思うけれど、そうして書いた文章は誰にも伝わらないことを知る。

なぜだろうか。それは「自分だけが分かる暗喩」や「自分だけが知ってる背景」などを余すところ無く動員して書いた文章だからだ。したがって、興奮状態で書いた文章は自分には理路整然で素晴らしいアイデアに見えるのだが、暗喩や背景を知らない人間にとってみるとポエムでしかない。

クラムボンは死んでしまった」

本来なら、気心の知れた友人に読んでもらい「ここ意味わかんない」「これ何?いきなり出てきたんだけど」「指示語が多くね?」などと指摘してもらうのが一番なのだが、自分でやるなら「一晩寝かせる」ことを心がけている。

そして翌朝の何もかも忘れたスッキリとした気持ちで文章を読み「ここ意味わかんない」「これ何?いきなり出てきたんだけど」「指示語多くね?」などと自分の文章をdisり、少しでも分かりにくい場合は「実践1」まで立ち返って書き直すべきだと、僕は思っている。

まとめ

まとめると、

  • 痛みを共有し、スタートラインとゴールラインを読者と合わせる
  • 全体感と現在位置を読者に明示する
  • 1サブタイトルは基本的に1センテンスで簡潔にまとめられる粒度に収める
  • かならず冷静になって読み返し、他人からどう見えるか感じる

なのだけれど、実は、とりわけ最初のふたつはプレゼンテーションのテクニックであり、いわゆる「エレベーターピッチ」と言われる技術である。3000字くらいの文章であれば、プレゼンテーションともライトニングトークともピッチとも、だいたい本質的には一緒なんじゃないかな、と思っております。

(ちなみにこのエントリは急ぎだったので一晩寝かせてないw)

あくまで、個人的な備忘録として。

WET

艦これウィジェットのBANに対する見解

まず

  • 艦これウィジェット使っててBANされた」という報告は今のところ無いです
  • ド初期からヘビーに使ってくれてる人が多いですが全く問題無いとのことです
  • おやくそくではありますが「艦これウィジェット」は非公式ツールであり、一切の責任は負いかねます

艦これウィジェットの実装などについて

で、私的見解です

  1. 艦これウィジェット」は上記にあるように、運営になるべく迷惑をかけぬよう、ゲーム内非公開な情報を表示しないよう注意したり、自前のサーバを用意したりなど、細心の注意と最大の工夫を以て実装されています
  2. また、Chromeウェブストアに公開されている性質上、第三者に配布コードを改ざんされることもまず考えられません
  3. しかしながら「艦これウィジェット」は「艦これ」を適度に楽しむために開発しましたし、開発をつづけています
  4. したがって、いずれにしても、ご自身がご安心頂ける形で艦これを楽しめるのが一番であり、楽しめないのは本末転倒なので、不安なら使わない方がよいと思います
  5. 僕はもちろん自信を持って使い続けます。作者なので

WETな備忘録として