はじめに
吹き荒れる僕の先輩風をモロに受けている田中氏と小綿氏に贈る
1/4
毎日一日中PCの前に座って黒い画面に映るカラフルな文字列を眺めたり書いたりするだけのムツカシイお仕事をしていて、それ自体はたいそう楽しいのだが、それ以外にもやれ報告だやれ連絡だやれ相談だと、それはたいそうご迷惑をおかけしてますハイ。いつの日か前腕がスイカのように膨れ上がった受け口の水兵さんになってキセルでプカプカすることを夢見ますハイ。
それゆえに体力の「た」の字も残ってない人間の携帯に電話してきて「週末アメフトしろ」とはこれまた何事か、と思うのだけれど、今フットボールをすることは僕にとってとても重要な意味を持つので、なるべくなら行きたいと思っているよ(白目)
当時は何に悩んで何に苦しんでたっけな、とか考えますねやっぱり。今現時点なんかよりよっぽど理不尽な問いに晒され、現時点なんかよりよっぽど出口の見えない立場だったし。だからこそ、今現時点で僕が本来何をすればよいのかというヒントが見えたり見えなかったりしたらそれはとっても嬉しいな、って。
決して、当時僕が分からなかったことを、今僕が明確に答えが出せるかというとそうではなく。フットボールをする彼らないし自分に対して「こうやればちょっとは上手くいったんじゃないのかその可能性はある」と思うので、「それはもしかしてPCの前でも利用可能な方法論ではなかろうか」などと色気を出したりするのでし。
そんで、先週末僕が感じたのは「高い目標設定が前進を阻む可能性もあるのではないか」ということでした。
何をもって「良し」とするかが、もしかしたら大きな差を生むのかもしれない、と。
2/4
我々には、達成しなきゃならない目標や、習得しなきゃならない技術が、抱えきれないほどたくさんあります。
それが「自分には夢があるから」(積極的理由)なのか「そうでなければ与えられたノルマが達成できないから」(消極的理由)なのか、そこは問わず、達成しなきゃならん目標・習得しなきゃならん技術、大小たくさんあるです。少なくとも僕にはあるんです。
基本的には「途方も無ぇなぁ」と思っちゃう。たとえば目的Mの締め切りがT時間後で、達成しなきゃならん習得しなきゃならんモノ(マイルストンSとしましょう)がn個あったとすると、単純計算で、ひとつのマイルストンSxを達成するのに消費してもいい時間dxは、
dx = T / n
ですわな。で、ざっとフットボールを思い出すと、だいたいdxって、三日とか、良くて一週間だったりするわけ。
今の立場で計算するとどうなんだろう。そもそもnを正しくカウントできない、ってのもある。「良いクリエイターになるために、そもそもあと何が必要かも捕捉しきれてない」ってこと。そうすっと感覚的にはやっぱりdxって良くて一ヶ月とかになるのかな、やっぱりソコは焦るし、そんくらいに設定したくなっちゃうです。少なくとも僕はそうなんです。
しかも変に焦っちゃってマルチタスクとかにしちゃうワケよ、そんな器用でも無いのに頑張っちゃうワケ。
よくある図↓
「よし!d1期間内にマイルストンS1を済ませ、d2期間内にマイルストンS2を済ませてしまおう!」 「お!上手いこといけば、S1とS2にかける時間d(1+2)は、 d(1+2) < (d1 + d2) にできるんじゃね!俺、やってやるです!」
とかとか。
で、d(1+2)時間はとうに過ぎ、(d1 + d2)時間後を迎えS1もS2も全然イケてないワケよ、
「M達成のためには、S3に移行せねば、しかしS1,2が・・・、ぐぬぬ」
みたいになる。みたいに阿呆みたいにぐぬぬするだけでもいいんだけど、場合によっては
「俺はなんて計画性が無く志が低く意志が弱くダメダメな人間なんだろうしにたい」
とかなっちゃうこともしばしば。まーもともとダメダメな人間なんすけど。
最終的にどうなるか、というと、
(d1 + d2 + .... + dn) 時間後が過ぎた段階で、
S1, S2, ..., Sn 全てが中途半端になって
「ああもう俺にはMなんてどだい無理だったんだしにたい」
とかいよいよ眠剤と荒縄買ってきたり。
これはいくない!全然いくないよっ!!こんなの絶対おかしいよ!!!
なんでこんな事になっちゃうんだろう、と思ったんだけど、やっぱり
「Mを達成しなければ、良しとしない」という固定観念というか脅迫観念の所為だと思うんです。
3/4
「目的Mは必ず達成されるべきだ」というようなことは本当は間違っているのかもしれない・・・、
・・・なんて言うと思った!?残念!!!「目的Mは必ず達成されるべきだ」と思います!!
だけど、「目的Mが必ず達成される」ための最適な態度が
「目的Mの達成以外は『良し』としない」
では決してないと思うのです。
何をもって「良し」とするかが、それはあくまで目的Mの、達成を阻んだり、促したりするのではないかなぁと思うのです。
僕は、
「時間がかかってもいいので、マイルストンS1、良くてマイルストンS2までだけが完璧にクリアになる。それだけで充分『良し』」
としてもいいのではないだろうかと先週末強く思いました。
そして矛盾するようだけど、
「その態度こそが目的Mの達成に最適な態度である(こともある)」
と強く強く思いました。
上記の「全てが中途半端になっちゃう」例は、言うなればn個のチェックボックスに、迅速に「△」を入れて行く作業のように感じる。そして全ての時間が終わったときに整然とならんだ「△」の列を見て自殺を決意する構図。n個のチェックボックス全てを埋めなければ、M達成とならないので『良し』としないと考えてしまうのだと思うです。少なくとも僕はフットボールをしていてそうだったんです。そして今もそうだと思うんです。
僕たちは、あるひとつのチェックボックスに、しっかりとした筆跡で確かに「◯」を書き込む、これがどれだけ難しく、どれだけ時間を要し、どれだけ「目的M達成のために小さくも大きい一歩」であるか、あまり考慮してないような気がする。
あるひとつのマイルストン、とりわけひとつ目の「マイルストンS1」を完璧にクリアすることは、単に「M達成におけるn分の1の達成」以上の意味が、無視できないほど有ると思う。たとえば、
- 自分は前進できる、という自覚の獲得
これはマジ大事。これはマジ大事。一番大事。これは時間をかける価値がある。他にも、
- 1に戻ってこなくて良い、という安心感の獲得
前だけを向ける。そして2に集中できる。これもけっこう大事。これもけっこう大事。あとは、観察事実的なことを述べるなら、
- d2 ≦ d1 、という事実
あるひとつのチェックボックスにしっかりと確かに「◯」を書き込む作業を経験した事が一度でもあると「チェックボックスが埋める、埋まらない、埋まった」という作業と進捗を捉えることができるので、以前より早くマイルストンをクリアにできるかもしれない。
とかとか。
だから僕は通り一遍等に「目的Mの達成以外は『良し』としない」とうい態度は、目的Mの達成のために最適な態度ではないと思うのです。少なくとも僕にはそうなんです。
4/4
そんなこんなで、多数n個あるマイルストンの中で、何かひとつのことしかできるようになってなかったとしても、もしそれが自信を持って「◯」と書かれているのであれば、僕はそれを「充分『良し』」と評価したい。フットボールをする彼らも、PCの前で写経する僕も、S1の達成のための時間d1を、そんなに焦って設定しなくてもよい、むしろそこはd1は長くてもS1の達成を「良し」としたい。そして、矛盾するようだけど、その態度こそが最終的に「目的Mを達成する」ための最適な態度なのではないかとすら思うのでした。
僕、やってやるです!
追伸
あずにゃん、誕生日おめでとう