WETな備忘録

できなかったときの自分を忘れないように

決勝戦を前にして「濃密な2週間」を過ごしてはいけない

ただのひねくれだし、これは僕の単なる意地です。

目次

  • こういうコメントよく見かける
  • アホかと
  • ある製造業のはなし
  • "たかがスポーツ"をなぜやるか
  • ということで

こういうコメントをよく見かける

こういうコメントをよく見かけます。ファンだかOBだか知らないけれど。

いよいよ次は決勝戦。試合までの2週間、人生の中でも指折りの濃密で最高の時間を過ごすことだろうと思います。チーム一丸となって何としても勝ってほしいです。

アホかと

いまさら一丸になってどうする

とりわけ高度なコンビネーションとコミュニケーションを必要とするスポーツをやっている場合は、チームのモチベーションをいかに高い状態で保つかという課題以上に、いかに同じ方向に向け続けておくかというのが大きな課題になります。

ゴールイメージを共有し、今の動きが結果的にどういうプレーを生むかという認識を合わせたときにはじめて高度なコンビネーションを作り上げて行く作業に入れます。

それは具体的なプレーに限らず、実は「試合結果」についても同様だったりします。

自分たちが今やっている取り組みが結果的にどういう試合結果を生むかという認識を合わせたときにはじめて高度なコミュニケーションを構築するフェーズに入れます。

したがって、試合を前にしてチームを一丸とするというのは、じゃあ今まで何を作ってきたんですか?

今更ゴールイメージを摺り合わせる作業をするコストと副作用を考慮すると、もはやチームが一丸となっているかどうかを気にかけるだけマイナス効果しかないので、チーム結束のことなど忘れましょう。

いまさら濃密な時間をすごしてどうする

上記解釈の拡大にすぎないのですが、いまさら濃密な時間をすごしていてはいけません。

スポーツにおける「試合」の意味とは読んで字のごとく「試し合い」だという解釈があります。もちろん刀の世界における「殺し合い」が語源とする説が有力ですが、これに「試合」という字をあて、それが定着した事実を鑑みるに「試し合い」だという解釈は強く支持されているものと考えられます。

「試合」は何を「試す」ためのものなのでしょうか?

「その試合に対する想いの強さ」などと答える人もいるかもしれませんが、具体的には「日常における研鑽の結果」ではないでしょうか。

日常においてどのような研鑽をしてきたか、という結果が表出し露呈するのが「試し合い」の場であると僕は信じています。

したがって本当に濃密であるべきだったのは「決勝戦直前の2週間」ではなく、極端にいえば「決勝戦直前2週間を除く350日間ないしそれ以上の期間」だったのではないでしょうか。

当たり前のことですが「濃密な350日間を過ごし結果的に良いものを作り上げて持ってきた方」が勝つべきであり、試合をする当の本人たちも『「自分たち」ではなく「濃密な350日間を過ごし結果的に良いものを作り上げて持ってきた方」が勝ってほしい』と心より願っていてほしいと、僕はひっそりと思います。

ある製造業のはなし

僕はかつて製品をつくる会社に属していたことがあります。製品の売れ行きはかつては隆盛を誇っていたのですが、その当時は誰が見ても明らかな減少傾向でした。そんな中、ある同僚が以下のように口走ったのを聞きました。

「我々の方が良いものを作っているというのに、何故あの会社のものが売れるのか。世の中は間違っている」

もし仮に『「自分たち」ではなく「濃密な350日間を過ごし結果的に良いものを作り上げて持ってきた方」が勝つべきである』という願望がただの願望ではなく、真実であり、『「濃密な350日間を過ごし結果的に良いものを作り上げて持ってきた方」が勝つ』という原則で世界が動いているのだと仮定すると、やはり間違っているのは、僕たちの製品の方ということになるのではないかと思ったのでした。

我々の方が良いものを提供できていない、ただその事実が横たわっているだけなのではないでしょうか。

この事実を受け入れられないと、次に走るのは何かというと、相手企業に対する「ネガキャン」です。これでは製造業本来の「良いものを提供する」という活動に注ぐリソースが減じられてしまい、本末転倒です。

"たかがスポーツ"をなぜやるか

別にスポーツでなくてもいいと思います。ただ、日々の研鑽があり、それを披露する機会がある、という活動は、それ自体が何かを生まなくても有意義なことだと僕は思います。

「試合」とは「単なる試し合い」に過ぎず、日々の研鑽の結果が表出・露呈する機会に過ぎない、と解釈するのであれば、やはりスポーツマンとして重要なのは「試合前に濃密な時間を過ごす」のではなく「試合以外の日常24時間7日間365日をいかに濃密に、丁寧に、できることやるべきことできるようにならねばならぬことに取り組んだか」であるべきです。

むしろ勝敗とは「試合」が決めるのではなく「日常」が決めるものである、ということが、僕たちスポーツマンが学ぶべきだったことのひとつではないかと思うのです。

ということで

そんなこんなで、決勝戦を2週間後に控えた彼らにかける言葉があるとすれば、僕は

「風邪はひくな。当日は十分に楽しめ」

ぐらいのものになるのかもしれません。

最後に、尊敬する関学アメフト部の部訓にもなっている(とかいないとか)という、ドイツの哲学者の言葉を添えておきます。

いかなる闘いにもたじろぐな。偶然の利益は騎士的に潔く捨てよ。
威張らず、誇りを持って勝て。言い訳せず、品位を持って負けよ。
堂々と勝ち、堂々と負けよ。勝利より大切なのはこの態度なのだ。
汝を打ち破りし者に最初の感激を、汝を打ち破りし者に感動を与えよ。
堂々と勝ち、堂々と負けよ。汝の精神を汝の体を常に清潔に保て。
そして汝自身の、汝のクラブの、汝の国の名誉を汚(けが)すなかれ

自戒を込めて

WET