WETな備忘録

できなかったときの自分を忘れないように

30歳から見た働くという景色

正月に実家に戻って、妹と電車に乗っていた。妹に「就活してるときって、最初からプログラマーしたいと思っていたの?」と聞かれた。年の離れた妹は、今まさに就活中だった。僕は、ある程度はそうだ、何かしらのクリエイターになりたかった、的なことを言った。そして「でも、それは間違いだったと思う」と、はっきり言った。

このエントリは、かつての自分が書いた「3年目から見た「働く」という景色 - WETな備忘録」への返歌であり、定点観測であり、WETな備忘録として。

あと、本当は31歳なんですけど、語呂が悪いのでちょっとサバを読んだ。

生きることが怖かったのだと思う

そのエントリ↑を書いたときの僕は、明らかに何かに怖がっており、何かに焦っていたように、今では思う。今までの僕は、誰かが、何かが、何かしらの正解を選べば、それが僕を幸せにしてくれると思い込んでいた。会社への貢献が、CMの言う価値観が、親の示す将来が、世間の語る美徳が、華麗な転職が、僕を幸せにしてくれると思い込んでいたように思う。まるで通勤時のエスカレータのように、その「正解」に乗るために、ごった返す長蛇の列に必死になって外れないようにしていたのだった。しかし、それと同時に、本当はそんな「正解」はどこにも無いと薄々気づいていたから、毎日毎朝エスカレータの待ち列をつくるのに、焦りと、終わりの見えない疲弊を感じていた。

昨今、たとえば婚活雑誌を開けば「このように生きれば、それはあなたを幸せにしてくれる」という文言で溢れているし、転職サイトを開けば「このように生きると、あなたは不幸せである」という呪いと嘘に満ちている。そういうもののおかげで僕は「どんなふうに働くのがよいのだろうか」「働くことで何を目指せばそれは幸せといえるのだろうか」「俺は幸せと言えるのだろうか」という糞真面目な自問自答を繰り返し、悶々としては、自分を責めたりもした。

幸せの定義を人任せにしてはいけない

僕をそこから突き動かしたのは、ある後輩の死*1と、ある女性声優の死*2だった。そして生き急ぐかのように海外に行った*3。そこで、僕がいかに甘えていたかを知った。

テレビにそそのかされた「40年後の幸せ」のために、あとどのくらい我慢するのか?
他人が喧伝する「幸せ」を欲しがって、結果「不幸せ」になってはいないか?
自分の「不幸せ」を「だって親が」「だって会社が」と責任転嫁してはいないか?
これを、自分の人生と言えるのか?

つーか、誰があと40年も生きるかボケ。
俺の後輩は27で死んだ。

幸せの定義を、人任せにしてはいけないんじゃないか。親に、世間に、他人との比較に決めさせてはいけない。せめて、自分で決めるのが重要な気がする。美味いもん食いたいでもいいし、もちろんテンプレート通りに家族のためでもいいし、毎週末ビリヤードをするのでもよい。ちょっとでもいいから「まあ俺はこのために生きてるようなもんだな」と言って、他人から押し付けられた「幸せ」を忘れられる瞬間を見つけるのがいいのではないかと思う。

それはいわゆる「生きがい」と呼ばれるものだ。

僕たちは「働きがい」のために働くのではない。「生きがい」のために生きるのだ。

さて、今年の夏も、アニサマに行った。2日目だけ。アニサマに行かないと僕の夏は終わらないという感覚がある。光る棒をなくしてしまったので、急遽、会場で買ったのだけれど、ライブ会場で買う光る棒ってのはぼったくり並に高いのである。全力でそれを振ったのは、たぶん東山奈央さんの「月がきれい」だったかと思います。東山奈央さん、武道館おめでとう!!
あと、東山奈央さん所属事務所の社長の歌もよかったです。ゥウォオー!ゥウォオー!

[Official Video] Suzumura Kenichi - SHIPS - 鈴村健一

たしかに、かつては「誰か(何か)のために、自分の限りある時間を捧げれば、"ある程度の幸せ" が得られる、ないし予想ができる」時代があったのかもしれない。そのためには、単に大学に入って出る選択肢は有力だっただろうし、働けば24時間戦い続けるのなんか苦ではなかったのかもしれない。そんな時代には、たしかに「働く」という活動が自分の幸せに寄与する割合が大きかった、むしろイコールだった人もいるのかもしれない。

しかし、今はそうではない。大学を出たからといって安泰ではないし、大企業だって、あるいは業績が悪化しリストラを進め、あるいは経営破綻もする。にも関わらず、ものを売り続けたいメディアは「紋切り型の幸せ」の押し売りをやめず、"ある程度の幸せ" も保証できないと気づいた企業は「働きがい」という言葉を発明した。

今も昔も、人は働きがいのために働くのではない。生きがいのために生きるのだ。
生きがいのために生きるその延長に「働く」という景色が見えるだけで、その逆はない。

僕たちが改革しなきゃいけないのは「働き方」なんかの前に、「生き方」だ。

自分の幸せに責任を持つこと

僕は、僕の幸せを誰かにまかせていた。と同時に、僕の不幸せを誰かの責任にしていたと、はっきり断言できる。

人間ってね、我慢に我慢を重ねていると、気がついた時には気力も体力も奪われて、次の一手を打つことができなくなってしまう。そして黙って倒れるまで働き続ける。
日本人全員が、ひとりブラック企業みたいだと思う時がある。
〜『女の子が生きていくときに、覚えていてほしいこと』 西原理恵子

海外で働く前までは、海外に行けば、職場はきらびやかで同僚は優秀で、休暇は取りやすくバランスが取れていて、何もかもが日本と違うと思っていた。

でも、まったくそうではなかった。僕の体験した海外での仕事は、たいへんに忙しく、四方八方が遅延・炎上しており、人はよく解雇された。

海外があんなに自由に見える理由は、会社が違うのでも法が違うのでも無い。

奴らは、奴ら自身が幸せでないと意味が無いということを知っているのだ。奴らは、奴ら自身が幸せであるために物事を選択することに躊躇が無いのだ。奴らは、奴ら自身が幸せになることに、会社でも法の保護でもなく、奴ら自身が責任を持っていることを識っているのだ。

でも僕は、まったくそうではなかった。

あなたの「がんばりたい」という気持ちにつけこむのは暴力だから。
我慢しなくていい。「できない」「無理です」って言っていいんですよ。
あなたの人生は、あなたが幸せになるためにある。
〜『女の子が生きていくときに、覚えていてほしいこと』 西原理恵子

僕たちは、僕たちのために生きることを取り戻さなきゃいけない。
つよい意志で。自分の責任で。奴らのように。

30歳から見た「働く」という景色

「で、あるからして、給料が良いところを選ぶとよいよ」と妹には話した。
「給料は嘘つかない。その給料を、たとえば週末に使って『あゝ、俺はこのために給料を稼いでいるんだ』と思える瞬間こそがだいじ」みたいなことを話したと思う。

僕の今の生きがいは、火星に行くこと。火星で死にたいと思っている。あと最近は週末のビリヤードが超たのしい。上手くはないんだけど。

クリエイターになりたかったうんぬんに関しての自分なりの答えは、またどっかで備忘録として書くとして、妹には「自分の『あゝ、俺はこのために給料を稼いでいるんだ』と思えることを絶対に犠牲にしない範囲で、そこがスタートラインで、その次で仕事に『自己実現』とか『キャリアアップ』とかの判断基準を持ってくるべきで、その逆は危険。ワークライフバランスというのは二項対立ではなく内包関係であるべきあーだらこーだら」みたいな感じで熱が入ってしまったので、もう妹はうんざりしていた。

30歳を過ぎた僕にはもう「働く」という景色は輪郭が見えない、だいぶぼやけている。順番を守らず去った後輩や、理不尽に消えた知人と同様に、僕もいつ余命半年と言われるか分からない身なのであるのだから、ありもしないエスカレータの順番待ちをするのはやめた。幸せにしてくれるワケでもないのに世間の顔色を見るのはやめた。「働く」理由なんていらない。生きたい理由のためだけに生きようと思う。

「働く」という景色は、もう無い。ただただ、明日死ぬとしても僕は今日、リンゴの木を植えたいという気持ちだけがある。

WETな備忘録として

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雑感

  • ちょっと遅くなったけど、大人の夏休みの宿題書いた
  • 思えば昔っからそうや、期限通りに夏休みの宿題提出したことない
  • 意外と、大人の夏休みの宿題書くやつも、もう5年目になってた
  • 書き残すってのと、読み返すってのは、本当にだいじ
  • できなかったときのことを忘れないように、これからもかつての自分とこれからの自分のために書き残していきたいです
  • いやー東山奈央の武道館マジでびっくりだわー応援したいわー

現場からは以上です。